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病み闇diary

ヤバイかなとは思っていた。
ずっと続く不調。
それに大しての自覚症状。
旦那は私を叱った。
何度も一緒に行こうって言ってたのに。
…ごめんなさい。
持病である糖尿病の内科の受診でわかったことである。

躁鬱、糖尿病、高血圧。それにかかわるすべての病院の通院をやめて二年。
うつで家から出られない生活。
旦那に外出での用事は任せて、ほぼ引きこもり。
一生このままかもという危惧はあったが、いつものいい加減さでまぁいいか、また今度。大丈夫やし。後回しにしていた。
旦那と一緒ならたまには出られるが、ほぼ一人では出かけられない。
対人恐怖。出かける前の支度から憂鬱になる。外出で知り合いに会うのが怖かった。
子どもたちも家を出たし、自由気ままには生きてはいる。家にいてやることなすことは本当にいい加減で、自分の好き勝手にやりたい放題だった。暴飲暴食の日々だった。

コミックエッセイを読むのが好きで、妊娠出産、育児や闘病記をよく読んでいた。
とある作家の本が私の背中を押した。
死んで生きかえったということを描いた作家の本である。
読んでみて、
あ、ヤバい。
これちょっと似てる。
あれ?
ちょっと待てよ?
あかん、あかん。
ヤバすぎやろ!
一念発起できたのは、その一冊の本との出会いだった。

ハードルは高く、まずは病んでいる心をなんとかしないと、と思った。それにはまず精神科受診である。
対人恐怖症がよくならないままでは外出先で危うくなる。旦那にお願いして以前かかっていた精神科に連れて行ってもらう。それも私には高いハードルだ。
今までの主治医から新しい医師に変えてもらうも考えていた。
病院へ行くのは容易くない。
私の精神科通院歴はもう30年近い。十代の頃から病んでいて通院していたからだ。
近所のその精神科には、20年以上前から通院していた。入院歴も何度もある。当然知り合いや顔見知りも多い。
行きたくなかった。
その病院での知り合いの話を耳にすることがある。亡くなったと。大概が自殺で、それを聞くと憂鬱になる。
だから行きたくなかった。
でも旦那がいると、旦那は病院とは全く無関係な人間なので旦那を知らない人ばかりである。故に旦那というシールドがあるので、誰とも会話しなくて済むことになる。
約2年は通院しなかったその病院では初診扱いで診察を受けた。だが既往歴や通院歴は残っているので、その分楽である。
診察してくれた若く感じのいい女医の診察は好感触で、ここ最近の自分の状態を話し、こういう薬が欲しいと言うと、PCに向かい過去の投薬歴や、既往歴を見て
一から新しく薬を変えてみましょう。
と一言。
私のピーク時の服薬量はかなりなもので、食後に10錠以上の薬を服薬していた。その頃の状態はいつも悪く、薬に左右される日々だった。うつから躁になったり、薬を減らされては一気にうつになったりしていた。自分が自分でないのがいつも歯痒かった。身体は思い通りに動かないし、感情を言葉で表わすことも難しく歯痒かった。そんな状態だからいつもイライラしているか、悲しかった。笑うことがほぼなかったように思う。感情すら薬に支配されたようだった。
女医は、
手探りかもわからないですが、今の状況では薬を試してみないとわかりません。まずは出された薬を飲んでみてください。
出してくれた薬はたった3種類だった。

朝食後一錠。サインバルタ。
寝る前に一錠。コントミン。
ソワソワする時やイライラ時の頓服。レキソタン。

精神の安定がこれだけの薬ですむのなら、なぜ早く連れて行ってもらわなかったのか。
死にたい気持ちを抱え、家事も何もかもをせずに、それに対して余計に罪悪感を抱いて苦しんでいたのに。
基本的に旦那は何にも言わない人だ。思っていても、私が自分の言葉によって傷つくのがイヤだから言わない。いや、言えなくなったのだ。私は旦那の言葉をすごく敏感に受け取る。だから旦那はいつも言葉をオブラートに包む。ダメな妻を放置しているわけではなかった。時折やんわりと釘を刺す。だがその釘は私には刃であり、余計に自分を動けないほどのダメージを受ける。
旦那の言葉は私にとって脅威なのだ。
病院行きや。
その言葉にドキドキしていた。
病院に行かないお前はダメだよ。そう言われているようだった。私はまた罪悪感を抱いて自分を責める。
堂々巡りである。言わないと通院しないし、言わなくても通院しない。旦那はお手上げ状態だったと思う。

精神科を受診して、次は内科受診が課題となった。以前の内科は町医者で、診たてはいいのだが、待ち時間が半端なく、2時間待たされたりは当たり前だった。
最近では時間はそんなに取れないし、何しろ待たされるのがすごくつらい。

ネット検索をして、割と近くに糖尿病と高血圧を診てくれる病院を見つけた。
朝、昼、夜と曜日によっては診察をしている。
すぐにその病院に行くことを決めた。

旦那の仕事が休みの昼間の診察時間に、その病院に行った。
患者は私の前に一人しかいなくて、ラッキーだった。
診察室に呼ばれ、症状を言う。
まず血圧を測られた。
…無言。
深呼吸してください。
そう言われ、2、3回深呼吸をする。
また血圧を測る。
若いその医師は無言だった。
内診したあと、

もしも数値なんかが高かったらここで診察を続けるのは無理です。合併症を起こしてるかもわかりませんから。その場合は大きな病院に行ってもらうことになりますがいいですか?

と言われた。
私は、はいと言うしかなかった。
血液検査と尿検査をし、次の週に通院することを指示された。

その一ヶ月ぐらい前だろうか。
もっと前からかもわからない。
意識したのは一ヶ月前だった。
右の指3本が痺れ出した。いや、ずっと前にから右手人差し指は痺れていた。
最初は頭の下に手を置いて寝ていたのかもな、ぐらいに思っていて、大したことはないとしか意識していなかった。
そのうちに食器を洗うとき、握力がないのか食器を落とし出した。勿論ガラスや陶器なんかは割れてしまう。
ほぼほぼ毎日のその状態におかしいと思うようになった。
調べてみたら、糖尿病の症状に当てはまる。指を壊死しているのかも知れないと思った時、
大したことないと思っていた糖尿病で、全身脱力するような感覚に包まれたことを覚えている。

一週間後の金曜日、検査結果を聞くべく内科に行った。旦那も一緒に病院にきてくれた。いつもは車の中で待っているのに、今回は重い病状と思ったらしい。

うちでは診れないです。これだけ数値がたかと…。
結果は悪く、やはり市民病院への紹介状をだされた。
市民病院の予約を取ってもらい、内科をあとにした。

その次の日精神科を受診し、主治医となってくれた女医に内科の受診の結果を話した。
薬の兼ね合いがあるからだ。
主治医は
今出している薬は大丈夫です。
糖尿病と高血圧には大丈夫らしい。
翌週の金曜には市民病院を受診するので、その次の日の土曜に予約を入れて帰った。

旦那はなんとかするよ、と言ったが、うちには2匹の犬がいる。旦那が仕事であまり家にいないため、問題なのがごはんだ。私は入院するわけにはいかない。おまけに一匹がママっ子で、私がいないとダメな子なのだ。車でも私がいないとダメ、家ではもっとダメ。
現状では入院はできない。

息子二人にはLINEで知らせた。長男の反応は呆気ないものだったが、次男は私が死ぬように思ったらしくかなり怖がっていた。そして私は叱られた。自己管理のなさ過ぎに。

少しは塩分糖分を抑えた食事をして、一週間が過ぎた。
行きたくない。
そう思いながら市民病院に向かった。

受け付けをして、内科の前で待つ。糖尿内科の先生は内科の中で唯一一人だ。
だけど内科全員の患者が待つその待ち合いは、人だらけだった。

診察には旦那も付き添ってくれた。
旦那と他愛ない話をしたり、YouTubeの面白そうな動画を見つけてはあとで見るに入れたりして時間を潰した。

中待ち合いに呼ばれ、割とすぐに診察室に呼ばれた。
若い男性のメガネをかけた先生だった。
私の既往歴を聞き、そのあとで一言。
入院できますか?
無理である。
すみません、無理です。
と告げた。
血糖値はHbA1cが10以上超えている場合は入院らしい。

私の近所での検査結果は10.5だった。
入院はしたほうがいいのはわかっている。いつもトイレにいって尿が泡立っていた。自分でもおかしいのはわかっていた。
だが入院はできない。
通院で治療は無理ですか?入院できないんです。
旦那共々お願いする。
医師は渋い顔をしたが、旦那までの頼みを聞き入れてくれた。
そしてつぎの診察予約までの間に多くの検査を入れた。

レントゲン、採血、血圧。診察後の検査をうけた。
診察前の血圧検査で190/132。
そう言えば以前通院していた内科の血管年齢測定は68歳だった。
入院を今回は見過ごしてくれたが、次回はどうかわからない。

帰れることにはなった。
気持ちが軽くなった。でも本当には手放しでは喜べないのだとわかっていた。
帰れることは嬉しかった。これから自宅で食餌療法をしなければならない。
旦那の食事と別に作る。
ごはんを作るのが苦痛でない私だが、自分の治療のための食事を作るのが憂鬱になった。

その翌日は精神科受診だった。
主治医に市民病院を受診した結果を言うと、驚かれた。
仕方ないことだ。
恥ずべきは自分である。二週間後に予約を入れて、病院をあとにした。

私は自分の好き好きにして死んで行くなら本望だと思っていた。
私の長兄は自殺したのだが、死ぬまで病院通いだった。でも死ぬ直前まで好きなものを食べ、飲酒を続けた。だが重い糖尿病だった。
私は兄がうらやましかった。

糖質制限。痩せるらしいとはわかっていても簡単には出来ない。
炊きたてごはんはおいしいし、糖質のあるものに限って大好きである。
高血圧でもあるので塩分過多も大敵である。
麺類、米類、パン、粉物。
それをきっぱり抜くのは至難の業である。
それよりもアルコールが好きである。

こうなるとせめては米類と小麦粉類の炭水化物は抜こうと思った。今まで週に2缶ぐらい飲んでいた缶ジュースなどを一切やめた。
たまには炭水化物を摂取するのはやめられなかった。

市立病院の診察日は腹部エコーがあり、絶飲絶飲だった。暑い日で、喉が渇いて仕方なかった。先に予約をしていた尿検査と血液検査が終わり、腹部エコーだ。
私のブヨブヨした大きなお腹にゼリーが塗られて医師は検査する。押されたりもした。腹部エコーが何を検査しているのかわからなかった。

内科の前で少し待ち診察室に呼ばれた。
数値は低くなったものの、まだOKをだせる数値ではなかった。


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