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救急搬送、間違った診断


2日前、旅からの帰りに救急車で運ばれてしまった。


京都一泊。
2日目は帰りの新幹線に乗っているところから既に気分が悪かった。

抹茶パフェが有名なお店で、パフェと茶そばを食べた。
少し食べすぎたか?
気持ちが悪い……。

新幹線内では到着までの間ずっと気持ち悪さが残っていた。



在来線に乗り換え。
また1時間以上かかる。。
1本遅らせてでも座って帰ろうと思っていた。

そのつもりだったのに、私はその電車に飛び乗ってしまった。

全然座れない。
すごく混んでいるわけではなかったけど、座れない。
立ちっぱなしで1時間は無理だ。
ヘルプマークはバッグにぶら下げている。

一か八か、優先席の前に立ってみた。
しかし、私よりもはるかに若かった3人は席を譲ろうという気はなさそうだ。

仕方なく他の場所へ移動するも、やはり無視。
斜め前が空いた!と思ったら隣に立っていた若い女性に座られてしまった。



もうダメだ…、どうしよう


少しづつ痺れがきて、広がって、
上半身はビリビリに痺れだして力が抜けていった。
1度降りよう。。。


途中で降りてベンチで休む。
でも痺れは止まらない。それどころか足にまで広がっていってる。

でも帰らなきゃ!なんとかなる!
次の電車に乗ろうと、ベンチから離れて座り込んで電車を待っていたら、男性が声をかけてきた。


「あのー、大丈夫ですか?」

「痺れが止まらなくて💦」

「一度イスに座りましょうか」


またベンチに戻り座らされる。
酷い脱力感。。

「誰か呼んできますね、待っててください」


その人はおそらく駅員さんのところへ行ったのだろう。

戻ってくると、
「今人来ますから待っててください」

少しの間、その方と言葉を交わすものの、喋れば喋るほどに痺れは酷くなり、同時に脱力感も酷くなる。




その男性は福祉の仕事をしていて、私のヘルプマークを見て、何か持病があるのだろうと声をかけてくれたとのことだった。



しばらく経ってやっと駅員さんが現れ、、

「大丈夫ですか? 救急車呼びましょうか、、呼ぼうね、ちょっと待っててね」




声をかけてくれた男性の方がヘルプマークがあることを伝えると、駅員さんは、
「差し支えなければ、ご病気教えてもらえますか」

私、(てんかんです)







大体、10分くらいかな、
救急車の音がして、駅にある車椅子で外に出て、担架に乗せられ救急車の中へ。


質問をされるけど、言葉に出すと悪化して余計に喋れなくなるので、流暢に話はできない。


患者からの反応がない場合は、
「カバン開けますねー。お財布の中見させてもらいますねー、保険証あるかなー」

と、進めていくものだけど、
この救急隊員さんは私からの返答をひたすら待っている…。

もうすでに全身の強い脱力で言葉も出ないし目もあかない状態なのに、

「保険証見せてもらえますか」

「お財布ですかね」

「バッグ見てもいいですか」


ソレに私は何一つ答えることができません。
力が抜けて首を振ることも手を使うことも、何もできないのですから。


最初に、
過換気だと思います。と、告げてあったのでこんなダラダラ状態が続いたのか、病院探しでも(過呼吸)となると、なかなか受け入れてくれない。
その間はずっと救急隊員の質問が続いていた。



わざと喋らない…とでも思っているのか?

電話番号教えてください、とか、
やっと財布から保険証を探し出して住所を確認、名前を確認、
しているはずなのに
「番地は1234でよろしいですか」
と聞いてくる。。。。。



書いてあるやろ!!
そのとーりや!アホかお前
💢



私の心はもうイライライライラ‪💢‬


どんどんすすめて早く病院に行ってくれーー!!!





30分以上続いていたと思われる。





やっと病院に着いたけど、私は動くことも話すこともできない。

ただ意識はある。
喋れないだけ、どこも動かないだけ

異常なほどの脱力感で。



看護師の声が聞こえる。

「過換気の感じじゃないよねえ」



いや、過換気なんです〜涙


言葉が出ない。

何を聞かれても、
返せない。


看護師さんは救急隊員とは違い、
「お財布はどっちのカバンかなー?」

「お財布見るねー」

「携帯…、あ、携帯いいかな、ちょっと触るね」

と進んでいく。

あの救急隊員は新人だったのだろうか?



病院について安心したのか、目があくようになった。

家を聞かれ、声にならない声で地名だけ伝える。


看護師の声…
「てんかん発作だったらウチはお手上げだよ」

ってことは、この病院には脳外がないのか…。


しばらくすると女医が2人やってきた。

看護師、
「過換気って言うんだけど過換気っぽくないんだよね」


女医から声をかけられる。
「◯◯さーん!わかりますかー」

目を閉じてYesと伝える。

その後の質問は、
手で答えてくれということで、そうなら右手をギュッとしてくださいと。

ギュッはできない……💧


内容は、家族、その他連絡できるところはあるかということ。

両親、兄弟はいるか?



母親は死んでる、
父はいるけど認知症、

って言えない。。

両親はいると思っている。


ただもどかしいだけ。
早く言葉だけでも出るようになって!




携帯を出してきて、看護師が私の目の前に携帯を翳し、
連絡先のとこ開けるねー。
少しづつ下げていくから連絡できるとこあったら教えてくださーい。

私は少し首を振ることが可能になっていた。


姉の名前と父の名前は入ってる。

(姉)を見つけ、
あ、お姉さんだね!連絡大丈夫かな


軽くうなづいた。

深夜11時半。
寝てるかもな…、また迷惑かけるなって思ったら涙ボロボロ出てきた。

同時に連絡出来る人が殆どいないという事実を目の当たりにして軽くショックだったり。



弟がいるけど伝えなかった。

私の連絡先には弟の名前はない。


女医が電話で姉と話してた。



ボロボロ泣いてる私を見た若い看護師がティッシュで拭いてくれた。





徐々に声が出てくるようになって、
単語で答えたり、
涙を拭いてくれた看護師に旅の疲れがあったとか、しんどかったとか、少し話した。


首が動いて、手が動いて、軽く話せるようになって…、


採血、心電図、担架に移ってCTを撮りに。

その後は車椅子でレントゲンを撮りに。

PCR検査もされた。


点滴開始。




少し動ける、喋れる、、
この時点でいろいろ聞いて欲しかった。
状態や経緯のこと。







日付も変わりam1時すぎ、
大部屋に移り休むことに。


京都1泊、病院1泊。。


寝付くまで2時間……💧

3時間の爆睡後、6時に起こされる……(ಠ_ಠ)



もう普通に話せる、歩ける。
でもトイレは看護師さんと一緒に。




姉が迎えに来たのは12時前。

一応私にも朝ごはんが出た。


入退院手続きも会計も済ませて、
担当してくれた女医からは、てんかんの主治医に渡してください、と封筒を渡され、
その他もろもろ、書類を沢山渡された。

いろんなものにサインした。
なんのサインなのかもう覚えてない。


正常に戻った私は、もう看護師からも女医からも何も聞かれず、
点滴も途中で外して姉と2人で帰宅。


改めていろんな書類を見直してみた。

その中にあった「入院診療計画書」

病名の欄に、
てんかん発作、過換気症候群

と書いてある。


てんかん発作???



てんかんの発作は出ていない。

意識はあった。
言葉が出なかっただけだ!


これじゃ医療保険がおりない!!





担当してくれた女医は呼吸器内科の先生。
脳のことなんて知らないでしょ。

退院前に先生は、
「過換気発作が出た時にてんかん発作が出ることがあるので」

って言ってた。


どこかで調べたんだろう。


でもてんかん発作は出ていない。


てんかんに関しては何も聞かれてない。
何発作か、どんな症状が出るのか、




この病院には脳に詳しい医者はいないからね…






1泊入院でかかった費用、
約¥30000

戻ってこないと困る💦







無知ということ。



てんかんなんて世界中にある病気、動物にもある病気なのに、まだまだ知らない人が多すぎる。

わからなかったら聞いて!

本人から聞けなかったら身内から聞いて!

何発作なのか、どんな発作が出るのか。。



ひとまずこのままではいられないから病院に連絡。



考えてみたらね、
私、てんかんの薬持ってるのに
処方されて朝飲んでくださいって言われたりして、

理由は、私がイレギュラーな飲み方をしてるからって。

一般的には朝と夕で服用する人が多いから。
私の場合、朝昼夜で服用してるから、それがイレギュラーだって。

決まりはない。3回で飲んでる人だっています。



この病院に脳に詳しい医者はいない。



ネットか何かで調べただけだろう。
余計なお金取られたな。







そういえば、
数年前に虫垂炎で搬送されたのも
6月23日だった。
誕生日の3日後だったからよく覚えてる。



まだ解決はしてないけど、

私が言いたいことは、
もう少し知っておいてください、ということ。



同時にヘルプマークのこともね。

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