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スパイク・ジョーンズとフランキー堺:米日コミック音楽のこと その2

スパイク・ジョーンズの4枚組を通して聴いて、アレンジは複雑だし、これをプレイするのはおおごとだな、とおおいに感心したが、大笑いするようなものではなく、なぜ20年間もアクティヴでありつづけ、盤をリリースしつづけられたのかと首を傾げた。

◎一大楽劇団のエクストラヴァガンザ

その疑問は、コンサート・カウベルの配置方法を確認するために、ヴィデオ・クリップを見て、あっさり解けた。舞台ではなくテレビでのライヴパフォーマンスだが、どれを見ても、速い、面白い、完璧。笑えるものもあれば、ただ音楽の演奏としてすごいものもあり、このコミック音楽を舞台で並べられれば、老若男女誰もが満足するに違いない。

百聞は一見に如かず、いくつかクリップを並べておく。
https://www.youtube.com/watch?v=m1w8Kq6Jjx4
https://www.youtube.com/watch?v=Be7O9g2sphw
https://www.youtube.com/watch?v=twldwsubdok
https://www.youtube.com/watch?v=d2ufQhzx_70

ちょっと妙な方向に連想が働いた。1976年、いまはなきアール・デコ建築の浅草国際劇場で見た、フランク・ザッパ&ザ・マザーズのライヴだ。ときおり寸劇やギミックが入る、かなり面倒なアレンジを、ほとんどノン・ストップで完璧にプレイしていた。われわれはただただ圧倒された。あの面倒なアレンジと練度の高さは、スパイク・ジョーンズに似ている。いや、スパイク・ジョーンズのほうがはるかに大掛かりだが、その根幹にある精神は近い。




◎専用列車でアメリカ大陸を巡業する一大楽劇団

フランキー堺とシティ・スリッカーズの活動期間は1954年から翌年にかけての1年ほどだったらしい。それに対して本家は、スパイク・ジョーンズのソロとバンドとしての活動の境目が不明瞭なのだが、仮に大ヒット曲 Der Fuehrer's Face のリリースをデビューとするなら1942年、第二次大戦の真っ最中だ。そして40年代を全盛期としつつ、50年代を通じて舞台や放送でも活躍をつづけ、CBSテレビのレギュラー番組が終了する1961年までアクティヴだった。ちょうど20年間という計算になる。

1年と20年、この差はどこから生まれたのか? フランキー堺自身がそれを説明している。

「スパイ ク・ジョーンズはスケールが大きい。 象まで使ってサーカスみたいな、貨車十何台で全米をずーっと巡業して歩くという スケールなんで、プレーヤーが並んで昔楽だけやるというのもテレビのなかでは、ちらっとはやってたけども、 ほとんどが皆扮装して何か芝居をする連中なんだ。音楽をやったり歌を歌ったり芝居をしたりするわけなんだ。 それが全部集まって一座をなしていた。 楽劇団なんだよね。 それにサーカスが混じっているというのだから、 大変なスケール」――フランキー堺とシティ・スリッカーズ「スパイク・ジョーンズ・スタイル」ライナーノートより



同じライナーで、フランキー堺は、すぐにアイディアが尽きてしまったとも云っている。浅草国際ではフランキー堺は自動車をステージに上げたりしたと云っているが、スパイク・ジョーンズは象をはじめとする動物まで引き連れて専用列車で巡業、桁が違う。

もうひとつ、スパイク・ジョーンズほどのスケールになると、他のアーティストと違って補助的な意味しかないかもしれないが、Der Fuehrer's Face、All I Want For Christmas (Is My Two Front Teeth)、Cocktails For Twoの大ヒットをはじめ、ヒット曲が多数あるのも大きいと考える。ビルボード・チャート・トッパーがひとつあれば、生涯食いっぱぐれない国だ、ソロ・シンガーなら、これだけあれば資産としては十分だっただろう。


スパイク・ジョーンズのDer Fuehrer's Faceはディズニーの戦意昂揚映画のためにつくられた。したがってサタイアに分類されるかもしれないが、微妙なところ。


◎純音楽コミック、コント、コミカル楽劇

戦後すぐ、三木鶏郎(トリロー)は一座を組んでラジオで「日曜娯楽版」という番組をやり、一世を風靡した。残されたラジオ・トランスクリプションやレコード音源を聴くと、コミック・ソングもたくさんあるし、政治風刺寸劇もまた多く、ある意味でスパイク・ジョーンズのラジオ放送(前回ふれた)に近い。


三木トリローとテープ・マシン(東通工製?)作者にして作曲者自身がごく初期からテープ・マシンを所有していたおかげで、ラジオ・トランスクリプションやライヴ録音を聴くことができる。


三木トリローのコミック・ソングのコミカルな側面は、ひとつには曲調そのものが担うが、それ以上に歌詞、言葉に比重がかかっている。スパイク・ジョーンズのような「音によるギャグ」は、管楽器がコミカルな音を出す程度で、控えめだ。政治風刺から出発し、ラジオ放送はそれが中心になったからだろう。

――とボックスを聴きながらこれを書いていたのだが、「トリロー・コレクション」ディスク4に収められたCMソングのひとつ、丸山清子「森永インスタントコーヒー」にコンサート・カウベルが出てきたのには、ちょっと驚いた。


フランキー堺は「風速50メートル」など、三木トリローの曲を唄っているし、シティ・スリッカーズがプレイした三木トリロー楽曲もあったそうで、これも、あのコンサート・カウベルを使ったのだろう。

◎クレイジー・キャッツの三段跳び

ハナ肇とクレイジー・キャッツの前身であるキューバン・キャッツは、フランキー堺とシティ・スリッカーズが活動停止状態になった1955年ごろに発足し、クレイジー・キャッツと名前を変えたころに、元シティ・スリッカーズの谷啓、植木等が順次加わっていき、血脈が受け継がれることになる(もうひとりのスリッカー、桜井センリはさらに後年、石橋エータローが病をえた時にピンチヒッターとして加わり、石橋の復帰後も在籍をつづける)。


フランキー堺とシティ・スリッカーズ 後列右端に谷啓、その二人手前にギターの植木等、立っているのはフランキー堺(ドラムは叩かず、指揮のみだったことがこれを見てもわかる)、そして左端、ピアノ・ストゥールには桜井センリ。


進駐軍クラブやジャズ喫茶時代のクレイジー・キャッツについては、文字資料しか見たことがないが、シティ・スリッカーズに近いことをやっていたらしい。後年、テレビでやったもののなかにはジャズ喫茶時代のネタの再演があるそうで、であるなら、洗面器で叩いたりするのは、そのひとつなのだろう。

クレイジー・キャッツのスターダムへのホップ・ステップ・ジャンプの第一段階、昼の帯番組「おとなの漫画」は、記憶しているかぎりでは、時事ネタ寸劇であって、音楽ギャグはあまりなかったと思う。風刺というほどキツくなく、冷やかしの色合いが強かったが、それでもなお、スタイルとしては、米日の両City Slickersよりも、三木トリローの「日曜娯楽版」のほうに近いと思う。



つぎのステップとなったTV番組「シャボン玉ホリデー」は1961年にはじまった。こちらは寸劇が中心だったが、ときおり、ギミックを使ったコミック音楽をやることもあり、こちらには明確なスパイク・ジョーンズ→フランキー堺の血が感じられた。

植木等、およびクレイジー・キャッツが不動の地位を確立するのは、61年「スーダラ節」の爆発的ヒットとそれに続く62年の映画『ニッポン無責任時代』とその主題歌の大ヒットだ。

いまとは市場規模が異なるので、数字的な比較は意味をなさないが、昔の「爆発的ヒット」というのは、世代などに分断されず、老若男女、日本中誰もが知る巨大な規模のものだった。病床の小津安二郎が、佐田啓二の子供たちとスーダラ節を唄った、と看病日記で読んだときは、さもありなん、と思った。「スーダラ節」はそれくらいのメガ・メガ・メガヒットだった。

◎「ソング」と「テューン」

スパイク・ジョーンズを父としてフランキー堺とシティ・スリッカーズが生まれ、そのシティ・スリッカーズ残党の谷啓と植木等がクレイジー・キャッツを頂点に導いたのだから、クレイジーはスパイク・ジョーンズの孫にあたる、と云ってかまわないだろう。


スパイク・ジョーンズのメイン楽器は、ひとつはコンサート・カウベル、もうひとつがこの洗濯板にピッチの異なるさまざまなカーホーンとカウベルを取り付けた面妖な代物!


しかし、スパイク・ジョーンズ、フランキー堺、三木トリロー、クレイジー・キャッツ、と並べて、頭の中で反芻しているうちに、米日ふたつのCity Slickersと、三木トリロー、クレイジー・キャッツの違いに思い当たった。

両City Slickersは、純粋に音だけによるコメディーをつくったのに対し、三木トリロー作品はつねに言葉が中心にあったし、クレイジー・キャッツも、レコードに関する限り、いつでも言葉による笑いが中心にあった。萩原哲晶によるアレンジには、管楽器、打楽器による笑いがあるが、それはつねに補助的なものだった。


「スーダラ節」も「無責任一代男」も、そのほかの大ヒット曲も、萩原哲晶や植木等だけでなく、青島幸男の歌詞がなければ、あそこまでヒットすることはなかっただろう。


音楽用語でいうと、songとtuneの相違だ。米日ふたつのCity Slickersもsongを演ってはいるものの、そのいっぽうで、どちらも言葉によらないtuneもたくさん生み出し、それを売り物にしたのに対し、三木トリローとクレイジー・キャッツは、つねにsongを演った。

この違いはどこから生まれ、どういう意味を持つと考えればいいのか? いまのところ、わたしには結論はない。いつか、ふと解決に至るかもしれないタイプの設問、としておく。

◎マルクス・ブラザーズの音楽ギャグ

スパイク・ジョーンズに先行する音楽コミックについては、ほとんど何も知らない。わたしの嗜好は第二次大戦中までしか遡行できておらず、1920年代、30年代の音楽についてはほんのわずかな知識しかなく、アメリカ音楽全体から云えば小さな部分にすぎない音楽コミック(コミック・ソングと狭く限定しないためにこの言葉を使っている)についての知識はゼロ付近だ。

ただ、マルクス兄弟の映画に何度か音楽コントと云えるようなものが出てくるのを思いだし、数本再見して、そういうシーンを拾った。しかし、まだ再見していない映画も多いので、それについては稿を改める。つぎはマルクス映画だ!


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