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58年目のビーチボーイズ大棚卸 2. Please Let Me Wonder:スペクターへのロード・マップ

先日の「無音部に流れる時間:ハル・ブレイン、大滝詠一、ブライアン・ウィルソン、ティファナ・ブラス 」という記事でブライアン・ウィルソンのことを書いていて、すっかり忘れていたことを思いだした。

昨夏、わが家にある、ブートをのぞく、合計61.7GBにおよぶビーチボーイズの正規盤全エディションを聴き直す、という大棚卸について書くつもりで、その前説の部分(「58年目のビーチボーイズ大棚卸 1. 裸にされたDarlin'」 )はポストしておきながら、その直後にグレイトフル・デッドのWake of the Floodのセッションズが出て、そちらについて書くのに七転八倒してしまい、ビーチボーイズのことは放りっぱなしになっていたのだ。

◎The Beach Boys Today!への帰還

その大棚卸で何を思ったかは、もうほとんど忘れてしまったので(!)、ひとつだけ、あの時に書こうと準備だけはした曲のことを完了し、あとはなかったことにする。

半世紀以上前から、誰が何と云っても、ビーチボーイズのベストはPet Soundsだと考えてきた。しかし、いくらなんでも聴きすぎた。


The Beach Boys - Friends


それで、しばらくは、Friendsばかりかけたり、昔は聴かなかったL.A.のA面後半やB面を探求したりと、ややこじれてしまった結果、そこからさらにひと曲がりして、今回の大棚卸ではメイン・ラインであるTodayに回帰した。


The Beach Boys - Light Album (L.A.)


TodayはPet Soundsに比肩できるほど曲が揃っているので(ただし、プレイとしては褒められないものも多い)、長年のあいだにフェイヴは揺れ動いたが、いつも変わらずシンガロングするのはPlease Let Me Wonderだった。今回もいろいろなエディションを楽しみ、やっぱりステレオ・マスターのほうがいい、と結論した。


The Beach Boys Today!


むろん、近年のリマスターのほうがいいに決まっているのだが、ふと、ブートで、セッションズとオルタネート・ステレオ・マスターをもっていることを思いだし、そちらを聴いてみたとたん、エッ、こんなトラックだったのかよ、とビックリ仰天した(20年ぐらい前に一通り聴いたのに、ビックリもくそもあったものかよ、だが!)。

◎Sea of TunesのToday!セッションズ8枚組

ビーチボーイズ・ファンはよくご存じのUnsurpassed Masters(別名Sea of Tunes、以下「SOT」と略す)という、レア・トラック、別ミックス、セッションズなどを集めたブート・シリーズがある。ビートルズにも同名のブート・シリーズがあるが、あれと似たようなものだ。


The Beach Boys - SOT No. 07 1965 The Alternate 'Beach Boys Today' Album Vol. 2の箱絵


このSOTの第7巻と第8巻というふたつの箱、CD枚数にして8枚がTodayセッションズに割り当てられている。もとはCDの半分以下のプレイング・タイムのものを8枚にしたのだから、16倍以上に相当する。

当然、その詳しさたるや滅法界で、問題のPlease Let Me Wonderは、リハーサルからはじまってテイク25(たぶん、トラッキング・セッションはこれですべて)まで収録されている。CD一枚が丸ごとこの曲のセッションに割り当てられているのだ。

The Beach Boys - SOT No. 07 1965 The Alternate 'Beach Boys Today' Album Vol. 2のディスク1のトレイ。すべてPlease Let Me Wonderで、録音は1965年1月7日となっている。


◎隠されていた音

20年ほど前に聴いたきりだったこのPlease Let Me Wonderセッションズを聴きはじめたとたん、いや、正確にはトラック02の「リハーサル」のセカンド・ヴァースに差し掛かったとたん、「ウッソー!」と声が出た。

4管ぐらいのホーンが入って来たのだ。しかも、そのホーン・ラインはどことなく、Be My Babyを思わせる。そう思って聴いていると、そもそもPlease Let Me Wonderという曲はBe My Babyビートを変形させたもののような気さえしてきた。


Please Let Me Wonderセッションを収録したThe Beach Boys - SOT No. 07 1965 The Alternate 'Beach Boys Today' Album Vol. 2のディスク1のフロント・カヴァー。すごい内容のシリーズだが、デザインは残念ながら、いかにもブートでございである。


サックスなんて、リリース・マスターにはないぞ、俺はPlease Let Me Wonderを百万回聴いた、断じてそんな音は鳴っていない! てえんで、モノ&ステレオ・リマスター盤を取り出し、分離が明確なステレオのほうを再聴した。ヘッドフォンでヴォリュームをあげても、やはりサックスなんか聴こえない! 念のためにモノのほうも再聴したが、やはりノー。


The Beach Boys Today モノ+ステレオ・リマスターのフロント・カヴァー


セッションを重ねるうちに、ブライアンが無用と判断し、オミットした可能性があると思い、SOTに戻り、最後のコンプリートであるテイク22まで通しで聴いた。それで、なるほど、そういうことか、と得心した。

テイク22でもまだサックスはそこにあるのだが、よく聴こえないぐらいに薄いミックスになっているのだ。これではヴォーカルをかぶせたら、マスキング効果で完全に消えてしまう。


The Beach Boys - Do You Wanna Dance? b/w Please Let Me Wonderの45スリーヴ


ホーンばかりでなく、コーラス・パートにティンパニーが入っているのも知らなかった。これはテイク22でもまだはっきり聴こえるのだが、最終的に、ミックス・アウトされたか、マスキングで消えてしまったのだろう。


Please Let Me Wonderのドラム・ストゥールに坐ったのは、ハル・ブレインではなく、アール・パーマーだった。アールはビーチボーイズではほんの一握りの曲しか叩いていないと思われる。確実にウラがとれているのはこのPlease Let Me Wonderのみ。


◎Be My Babyの衝撃

最終的には事実上聞こえないくらいにミックス・アウトされたとはいえ、Please Let Me Wonderのブライアンの当初のアレンジにはホーンがあったという事実は消えない。その点は一考を要する。

カーニーだか、ウェンディーだか、ブライアンの娘のどちらかが、子供のころ、家の中ではいつもBe My Babyが大音響で鳴っていた、と回想していた。ブライアンはBe My Baby、スペクターのサウンドに取り憑かれていたのだ。


左からブライアン・ウィルソン、ひとりおいてフィル・スペクター、ひとりおいてマイク・ラヴ、ボビー・ハットフィールド。スペクターの背後のサングラスの人物はジャック・ニーチー。


ブライアンがフィル・スペクターに心酔していたのは誰でも知るところで、63、4年ぐらいにスペクターに会い、セッションを見学したり、ときにはフロアに降りてピアノを弾いたりもした。

それは当然、彼自身がつくる音にも跳ね返っていくことになった。当たり前だ。You are what you ate、人は摂取したものの総体として存在するのだから、摂取した音はやがてブライアン・ウィルソンの血肉になり、外にあらわれる。

◎続Be My Baby

ブライアンがフィル・スペクター指向を外に向かって明確に表明したのは、1964年2月20日に録音されたDon't Worry Babyでのことだった。この曲はBe My Babyのフォロウ・アップ、続篇としてロネッツのために書かれたのだが、スペクターがターン・ダウンしたと云われる。


The Beach Boys - I Get Around b/w Don't Worry Babyの45スリーヴ

その結果、ホットロッダーの路上レースにおける心象風景、とでも云うべき、不思議な歌詞を持つ唄としてビーチボーイズが録音することになった。

Be My Babyの続篇だった名残は、この曲のドラム・イントロやベースのリズム・パターンのなかに聴きとれる。


Don't Worry Babyはホットロッド・ソングを集めたShut Down Vol. 2に収められた。考えてみると、ホットロッド・ソングの中では唯一のラヴ・バラッドのような気がしてきた。


◎ロール・オーヴァー・スペクター・ロード・マップ

その二か月後、シャロン・マリーという女性シンガーのためにブライアンが書いたThinkin' 'bout You Baby(後年、Darlin'という曲に改変してビーチボーイズが録音する。この曲については「58年目のビーチボーイズ大棚卸 1. 裸にされたDarlin' 」で書いた)のセッションで、ブライアンはさらに一歩、フィル・スペクター・サウンドに踏み込む。


左からシャロン・マリー、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソン、マイク・ラヴ、ブライアン・ウィルソン。なぜかアル・ジャーディーンの姿はない。


強いビートこそないが、音を細かく割らない、全音符、2部音符などによる、絨毯を敷きつめるようなホーン・セクション、複数のアコースティック・ギターによるコード・カッティングは、明らかにスペクターの手法だ(スペクターは多くの場合、複数ギターとピアノに同じリズムでコードを弾かせた)。

そして、つぎに来るのが、スペクターのスタジオであるゴールド・スターでの、スペクターがそうしたように、直列4本のEMI製プレート・エコーをフルに利用した、Do You Wanna Danceの録音だ。これについては何も云う必要はない。聴けばわかる。ストレートなスペクター・サウンドの模倣だ。


アビー・ロード・スタジオにインストールされたプレート・エコー。この土管のようなものの中に鉄板が吊るされている。この内部に音を通し、鉄板の共鳴によって得たエコーを内部のマイクロフォンで拾ってコンソールに戻す。複数あるのは、直列で接続し、エコーを深くするため。


改めて録音日を確認したら、Please Let Me Wonderは1月7日、Do You Wanna Danceの4日前に録音されていた。Please Let Me Wonderでは躊躇った「完全スペクター化」を、4日後には躊躇わなかったのはなぜだろう。Please Let Me Wonderでは踏み込みが不十分だったと反省したのか?


The Beach Boys Today!収録各曲の録音日(部分)。いい曲が並んでいるなあ、と惚れ惚れする。


そして、このあと、1965年3月30日、スペクター的ホーンというより、一歩進んでPet Sounds的なホーン・アレンジのLet Him Run Wildで、スペクター峰よりさらに高いPet Soundsへの登攀準備は完了する。


Let Him Run Wildを収録したThe Beach Boys - Summer Days (And Summer Nights!!) モノ+ステレオ・リマスターのフロント・カヴァー。またもアル・ジャーディーン不在。そうか、そう云えば、アルが一時的に抜けていたことがあったなあ、とボンヤリした記憶がよみがえった。


Please Let Me Wonderはスペクター化、Pet Sounds化のロード・マップの重要な転回点だったことに、半世紀以上気づかずにいたとは、われながら呆れた。

◎ベクトル合成

Pet Soundsは、ブライアン・ウィルソンがさまざまなルートからフィル・スペクター山頂へのアタックを繰り返しているうちに、ふいにRubber SoulというLPが出現したために、ビートルズにも挑戦せざるを得なくなり、彼のとてつもない才能のおかげで、不可能に見える二正面作戦に成功し、Be My BabyもRubber Soulもひとまとめにして、一気に追い越してしまったアルバム、と考えている。


The Fabulous Ronnettes featuring Veronicaのフロント・カヴァー


ブライアン自身はずっと後年になっても、そうは考えていなかったようだが、Pet Soundsは、スペクターのシングルにはなかった複雑なサウンド・ストラクチャーを持ち、奥行きと深みはRubber Soulをも凌ぐ。

スペクターだけが相手の闘いだったら、あそこまでの音はつくれなかっただろう。ビートルズがいて、一本調子でスペクター化に邁進しつつあったブライアンの面前に、Rubber Soulというアルバムを突き付けたからこそ、その両者を止揚して、あそこまで上りつめることになったに違いない。


ダンエレクトロの〝ロングホーン〟モデル6弦ベース。通称〝ダノ〟。
ブライアン・ウィルソン=フィル・スペクター文脈とは関係ないので本文から外したが、Please Let Me Wonderにはベースは使われておらず、ベースのパートはダノが弾いている。ダノはベースではなく、「すべての弦を1オクターヴ低く調弦するギター」なので、ハリウッドではあくまでもギターとして使われた。ストリング・ベースやフェンダー・ベースはアンサンブルの中で沈んでしまいがちなので、そこに輪郭を与えるために、ベースと同じラインを弾いたり、たとえば、グレン・キャンベルのWichita Linemanの間奏や、リッチー・ヴァレンズのLa Bambaのように、ふつうのものには不可能な低音を出せる特殊ギターとして使われた。したがって、他のベースに輪郭をつけるためではなく、単独にベースとして使われた例はハリウッド音楽では他に知らない。そういう意味でも、「ブライアン好みのさまざまな音を集めた博物館」だったPet SoundsはPlease Let Me Wonderの時点ですでに始まっていたのかもしれない。


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