3連休明けの水曜日に書いた
結局だらだらと過ごしてしまった3連休明けの平日は、なんだかいつもより気が重い。
休みのあいだに睡眠のサイクルが乱れ、昨日はちゃんと寝たはずなのに、運転中もあくびが止まらない。
そういえば、耳に穴を開けた。
これまで開けなかった理由も、ここにきて開けてみようという気になった理由も、まあそれなりにはあるのだが、とりとめのないことなので、ここでは割愛しよう。
とにかく私は、ピアスの穴を耳に開けた。
けれど、やはり30年間これまで一度も身体に穴を開けたことのない人間が、なんの躊躇もなく開けられるわけがないのだ。
開けようと思ったときから、さまざまなリスクが頭の中に巡った。
一度耳に穴を開けてしまったら、もう二度と耳に穴を開ける前の自分には戻れないからだ。仮に穴が塞がったとしても、なんらかのしこりが残るだろう。
そもそも、身体に穴を開けるという行為は、とても不自然のように思う。
ネックレスや指輪はともかく、身体に穴を開けてまで飾ろうとするなど、装飾品の域を越えている感がすごい。
耳だって、まさか穴を開けられると思って、みみたぶを用意しているわけではないはずである。
ピアスの起源は古代文明にあると言われている。恐らく、インドやエジプトの高い地位にいる人間が、装飾を身体じゅうにし尽くして付けるところがなくなり、とうとう耳に穴を開けて、装飾を施したのだろう。
そう思うと、位の低い、なんの装飾も付けていない女が、突然耳にだけ控えめなピアスをつけるのは、妙な気もする。
っていうか「控えめなピアス」とはなんなのだろう。耳をぶち抜いて飾ろうとしてるやつのどこらへんが控えめなんですか!?と問い正したい気分である。
最終的に、万が一、今後宇宙人が地球を乗っ取り、圧力政治によって、家族や友人が貧困に陥り、人体を引換に金銭が手に入るとなった場合、1度も穴を開けていない身体の方が、高値で取引されるかもしれない、などというあらぬ心配までよぎったりした。
しかし結果的に、私は耳に穴を開けた。
身体に穴を開けて装飾することに、一体なんの意味があるのか、ついにわからなかった。
けれど私は、この結果に満足しているのだ。
取引先に着いた。車を出る前に髪をくくる。
バックミラーにうつった自分の耳には、控えめなピアスが光っていた。
これまであまり身につける人生ではなかったが、アクセサリーはたしかにすごい。
週末に向けて、少しだけ軽くなった気持ちを、また客先へ運ぶ。
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