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アイデンティティ

絵も描けない、お話も書けない、という時期に陥ると「私には何もない」と絶望してしまう。それがまさに今。
アイデンティティみたいなものが無くなってしまう。「私はこれができる」と自信をもって言えるものがない。私が私を証明できるものが何もない。

今日は久しぶりに絵を描いた。模写だけど。
2011年に描いた絵を見つけて、あの頃は頭の中のイメージを出力している感じだった。
でも今は違う。
何かを見ながらでしか描けない。
「頭の中にあるものを描く」ということができない、と感じてしまう。
それが完全に悪いというわけではないけれど、私自身がそんな私を許せずにいる。

仕事で自分の得意なことは何ですか、と訊かれたときに「絵を描きます」と答えた。「どんな絵を描くんですか」ときたから「模写です」と返答したら「模写ねぇ…(苦笑い)そういうのは求めてないんですよね」と言われた。それから絵を描くことをやめた。多分。

Twitterでもそう。
何かを見ながら描くということはその写真を撮った人の感性を通したものであなたの感性ではない。みたいなツイートがまわってきて。やっぱり私のやってることは駄目なんだと感じてしまって余計に絵を描くことをやめた。

繰り返し書くけど「何かを見ながら描く」「模写をする」ことが必ずしも悪いわけではない。
ただ、私自身が私がそうすることしかできないことがきらいなだけで。


なんか、今の私には何もないなぁ。
何か熱をもったものがあるわけでもない。
二次創作も今は手をつけていない。自分の文章を読む気になれないから。
それならインプットの時期にすりゃいいじゃない、と思うけど焦る。他人と比べてしまうから。
ましてや今日はイベントがあった日。みんな本を売っていてああこの人たちみんな何かを創り上げたんだなと思うとこう、劣等感がね。どうしても出てきちゃって。
自分の心地いい努力を見定めて徐々に強くしていったらいいとある人は言った。
本当にそうだと思う。
自分が自分であればいいと思う。
でもさ、焦るよね。嫌でも比べてしまうんだもの。


amazarashiの『1.0』という曲がある。
そのラストのサビの心境。

きっと0か1でしかなくて その間に海原が広がり
泳ぎきれずに藻搔いている 生きたがりの亡霊たちが
凍える心に声も無く 消えたい願いすら叶わず
死にたいなんてうそぶいたって 対岸の灯が眩しくて

それでも逃げ込める居場所を あなたを呼び止める声を
もうここで死んだっていいって 心底思える夜とか
報われた日の朝とか あなたにとっての1が
見つかりますように 見つかりますように

「どうにかなるさ」って言える あなたにとっての1が
見つかりますように 見つかりますように

まじでこれ。この心境。

何か楽しいことないかな。