入院生活6日目

初めて入院して、最初は7年前に亡くなった父のことをよく思い出していた。
「もっとしてやれたことがあったんじゃないか」とか、「もっと気持ちを言葉にすればよかった」とか「あんな態度とるんじゃなかった」「時間を大事にすればよかった」とか。考え出したらキリがないくらい考えた。

そして「どんなに怖かっただろう」って想像したりもした。

私の父は肺がんだった。
緩和病棟がどういう意味をさすのか、私は頭の片隅で察しつつあっても調べたりはしなかった。調べるのが怖かったんだと思う。

お通夜でのこと。
父がよく話しかけてくれたという女性が私に向かってこう言った。

「あんたが『元気だよ』って言ってなかったら会いに行ってたのに」

言われた時は私が悪いんだと思ってひたすらに謝った。謝ることしかできなかった。

だけど今思い返してみると、その人は父が亡くなる前日に用事があって病院に寄れる距離にいたと言っていた。
だから亡くなるような状況と知っていたなら会いに行っていたのに、と。

会いに行ける距離にいたなら会いに行けばよかったじゃないか。
私の言葉を信じず会いに行けばよかったんだ。
なのに何で私のせいになるんだ。
本当に会いたかったなら、会える時に会いに行くものなんじゃないのか。
父が末期だって地元の人間みんな知ってたことだろ。

今ではそう思う。

父が亡くなった日、よく顔を見に来てくれた父の友人に父が「ステーキが食べたい」と言っていたことを覚えている。
父は緩和病棟に入院しても寿司や鰻を食べていた。

今思い返せば、本当に食べたかったのか分からない。
周りを心配させまいと無理をしていたのかもしれないし。「せっかく持ってきてもらったものだから」と食べていたのかもしれない。もう明日食べれないかもしれないからと思って食べていたのかもしれない。
真相は亡くなった父にしか分からないけれど。

「ステーキが食べたい」と言った父は、その数時間後に容態が急変し亡くなった。
6月某日。その年の父の日のことだった。

父はたくさんの人に看取られた。そこは幸せだったんじゃないかと思う。
心残りは、父の心臓が動いているうちに「あなたの娘でよかった」と伝えられなかったことだ。
不満だってたくさんあったけど、それでも私は大切にしてもらっていたと居なくなって思い知った。
知って尚更感じている、あの時ちゃんと「ありがとう」と伝えていればと。

だからね、会いに行きたいなら会いに行ったらいいんだよ。行けばよかったんだよ。

私もそう行動できるようになれる人間でありたい。


ここまで詳しく話していないけれど、父のことを思い出してしまって気持ちが不安定になることを看護師さんに相談した。

そしたら、その看護師さんはこの病院に来る前はたくさんの方を看取っていたらしい。
その看護師さん曰く、「亡くなる方は家族のことを思ってるんだよ」と。
「大丈夫かな、元気にしてるかなー?って、思ってるんだよ」って優しく言ってくれた。

父が今の私を見たらどう思うんだろうか。
また困った顔をさせてしまうかもしれないな。

「幽霊はいない」と考える人はたくさんいる。
なら「魂」はどうだろう。そもそも「魂」とは何だろう。
その人の生きた証、痕跡、思想、思い出、そういったものだろうか。

話が逸れてきたのでこの辺で。