努力は基本的に、誰も褒めてくれない
えー、そうなんです。
基本的に、努力ってものは誰も褒めてくれません。
なぜなら!
多くの場合、努力って自分が勝手にすることだからなんですよ。
今回の話の結論です、わかりやすいね!
まあでも、そんなもんです_(:3」∠)_
努力ってのは、お願いされてやるものでもないので。
そもそも論としてですね。
自分の努力について、他人が理解できる内容って、結果なんすよ。
結果が全てとは言わんのですが、結果が出なければ理解できんのです。
だって例えば、ずっと努力し続けていたとして。
いつまでたっても結果でない場合、それってどう認めればいいんでしょう?
結果が出ず、達成しなくても褒めて認めてしまった場合も難しくて。
それだと「結果出さなくても正しい」って話にもなりますし。
「認められてるのに、いい結果出ないのはどういうことだ! 嘘でお世辞言ってんのか!」って逆恨みされたりまであるんですよ。
困ったことに、マジであるんです。
そんな感じで、認定基準がズレてしまうと、努力のための努力になってしまったり、何のためにやってるのかわからなくなったりするんですな。
そうなってしまったら、本末転倒ですし。
まあそんなわけで。
努力って、どう対応していくべきか、って話をしていこうかなと思います。
よろしくよろしく。
■努力とは自分が自分でやるものである
基本的に「努力ってのは自分が自分で勝手にやるもの」でして。
その自覚を持っておくかどうかが、わりと人生を分けます。
えー、嘘みたいですが。
わりと人生はそれで変わったりします。
なぜって、努力は自分の成長に対して実行するものだからです。
努力というのは基本的に、己の成長に貢献します。
逆に言えば、努力では成長しかしません。
なので。
努力の見返りは成長であり、それしかありません。
それ以外のものは全部おまけです。
ココを勘違いするから、みんなおかしくなるわけでして。
なので、どれだけ成長の役に立つか、成長として何を学ぶべきか。
そこだけを見るべきもので、それ以外の見返りとかないです。
しかも、誰かに頼まれてするものでもなんでもありません。
自分自身にしかわからないし、勝手にやるものなんですな。
いつでも出来るしいつでもやめられるものです。
義務感?
それは自分で義務に設定しただけで、義務ではなかったりです。
案外気が付かないんですが、学校も会社も、別に必要なら休んだっていいんですな。
こう、育児的な、ほっといたら死んじゃうとかそういう、やらんと物理的に誰かが死ぬってなら仕方ないんですが。
命がかかってないのであれば、まず自分の命が最優先であって。
それ以外のものはとりあえず後回しでいいものだったりします。
自分第一、だいじ。
まあ簡単に言えば。
多くのことは、体壊すほど無理しないでいいし。
逆に、無理したいときは無理していいものだってだけです。
ココが守られている時、努力に関して変に病んだりなんだりしにくいです。
じゃあ、なんで努力が報われる報われないなどと言って、事故るかと言いますと。
自分で、努力の確認をしにくい、もしくはしたがらないからです。
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