ジャンクフードみたいな俗悪コンテンツが大事なわけ
えー、なんかこうショッキングな見出しにしてみましたが_(:3」∠)_
基本的には、記事内容は結構まともです。
バニラコーラ、氷入れて飲むと美味しいよ?
前フリはさておき。
アニメや漫画、ゲームなど、その他音楽やらなにやら、リアルでない物事に関して、まあ、一部からやたら風当たりがきつい昨今ですけども。
ただ、コンテンツって、心の食事であり希望になることはよくあるんですな。
一見、くだらないと思うような作品でも、当人には人生に等しい価値ってことはよくあります。
その作品に出会えたから人生救われる、みたいなのは大なり小なりあったりするんですよ。
ほら、別にそれほど美味いって思ってなくても、みんなファーストフード行くし、コンビニ飯食うでしょ?
何なら体に悪いってわかってるのに、菓子やデザートまで食べるワケで。
それと同じように、そんなにいいわけでもないんだけど必要なもの、ってのはあるんですよ、やっぱり。
ほら、先日の緊急事態宣言もそうですが、災害などが長期化すると、心の栄養バランスが偏るってのはもう、みんなわかってるじゃないすか。
だから、そういうコンテンツを変に規制しすぎると、最高級店しか残らない飲食店みたいになって、みんな飯が食えなくなって心が餓死するんです。
なので、それはわかってあげて欲しいなあという次第。
アニメや漫画ゲームにうつつを抜かしてないで、リアルに来いよ、リアルは楽しいよって簡単にいう人たちはいるんだけどもさ。
それが出来ないからこっち側に来る人も少なくないんですよ。
だってそういうリアルから無意識に排除されたせいで、こっち側に救い求めてるんですもん。
お金、立場、友人、仕事。
色んな理由で上手くいかないとき、もしくはそこに馴染めなかったとき、人はコンテンツに救いを求めます。
もちろん、ガチに救いを求める人から一時しのぎまで様々ですが、とにかく、現実に足りない部分を埋めようとします。
ひどいと、もうそれがないとマジで犯罪しかない絶望まで行きます。
社会の潤滑油になっとるんですな。
規制ってのは、そういう人をさらに踏みにじるような話になるんで、やっと見つけたオアシスを我が物にしようとしてぶんどる悪役みたいなことはせず、住み方を考えてあげてください。
多数派に属しているから正しくて少数派にいる連中は気持ち悪いって考え方や、自分が受け入れらんないものに対して気持ち悪いって時「どう対応したり理解するか」が「大人であり知恵であり理性的な判断のある社会」だと思うので。
感情の赴くまま、怖いとか嫌いだから消えてなくなれってのはおとなげないと思うの。
だってそういう事する社会に押し込められて、そういう居場所を探しに行ったりとかするんですよ、ほんと。
弱者は押し込められるまでは(望んでないけど)我慢できるんですが、耐えきれないほど押し込められたとき、最後は反乱するしかなくなります。
みんなで締め上げて殴って殴って、ボロカスになった相手がが泣きながら仕返ししてきたら、「やっぱりあいつはそういうやつだったんだ」って糾弾するの、やめにしません?
世の中は、飲食店と同じように、いろんなジャンルやいろんな物事、考え方、いろんな人がいて初めて選択肢のある豊かさになるので。
自分がいかないような店が存続できるぐらいで、初めて「豊か」なんです。
それを、わざわざ自分で嫌いだからと貧しい道を選ばなくてもいいと思うし、他人がひどい目にあってもいいとか何かを無くしてしまえというのは、他人の人生資源を奪いあうような殲滅戦みたいなものなので。
事実、規制を強硬にうたう人の多くは、そういうのが目的な事が多いです。「私のために死ね」と言う殺し合いを仕掛けています。
でも「責任は負いたくないので自主的に滅んで欲しい」という、そのための規制です。
でもそうやって、「嫌いなことを嫌いだ」というためにも、選択の余地と自由は必要なので、人生の希望と価値を奪い合う精神的戦争反対。
感情なんてどうしたって感じるんだから、理由なんてあまりないんですよ。
感情は、そこで感情のままにしないか、そう感じてもどーにかする、もしくは自責で対応しないと、感情の棒を持って互いに浜辺で5分間殴り合うことになるのでよくない。
たとえば、サラダの中に嫌いなトマトが入ってたからといって、トマト入っていることやトマトの存在そのものにクレームつけるようなやり方は、色々おかしいのではないかなーと。
それなら、トマトを自分で食べないで残したり、いらないって言って外してもらったり、同席者にあげたり、トマトが最初からないサラダを選んだり、トマトが欲しい人といらない人で棲み分けするべきでしょ?
そこでトマト滅ぼすって選択肢は、すでに人類が本当に色んな動物を絶滅させたりしかけたりして色々後悔してる真っ最中なので、保護や棲み分け大事だと思うんですよ。
あ、ちなみに自分。
実際にトマトが嫌いで、長らく食べれなかったのですが。
ありがたいことに、結構だんだん克服しつつあります。
小学校で授業休ませてまでトマト食わせるとかいう、トラウマレベルで規制押し付けられもしましたが、そんなことしなくても食べるようになってきたので。
サラダのくし切りトマトは今でもダメだけど!
まあそんなんでも、世の中いつまでも感覚同じではないし、時代や年齢によって受け入れる余地ができることもあります。
第一、自分では食えなくても、飲食店開くならサラダにカットトマトは入れますよもちろん。
コンテンツだってそういうもんじゃないのかなあと。
まあ、そんなわけで。
いろいろとまとめるとですね。
「味覚破壊だから許さん!」みたいな主張で、ファーストフードやスーパーの安い惣菜、コンビニ弁当やお菓子、インスタント食品を滅ぼしたとします。
その結果、みんなが望む正しい高級懐石料理やコース料理だけになったとしましょう。
するとどうでしょう。
結果、みんなが普通の食事が許されなくなるし、正しい料理しか許されなくなって、弁当さえ重箱のおせちしかなくなり、飢えるしかなくなるのです。
だって、正しい料理以外はすべて禁止なので、いいかげんな食事なんか食べるぐらいなら死ねって世界ですから。
当然、普通の自炊やまかないさえ許されないに決まってます。全部お出汁から手間暇かけてとってください。
もちろん、少しでも誰かの気に触るような部分があれば全部廃棄……どこで修行するの?
っていうディストピアです。
だから、嫌いでもくだらないと思っても、いろんな種類の店の味やジャンクフード大事よね。
という感じ。
なので、寛容さや多様性は大事という。
実際、ビートルズやプレスリーも風紀を乱すって言われてさんざん叩かれましたからね。
ライダースの革ジャン着るだけで不良扱いになるような時代があったんですよ? 舘ひろし!
まあそんなわけで、たまには体に悪そうな色のグミキャンデー食べようぜ!
って話でした。
ジャンク大事。
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