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夏に願いを(3)

開け放たれた体育館の四隅に配置されたサーキュレーターが低く唸っている。ジェットエンジンのようなゴツさだ。けれど大きさの割にはあまり効果を感じず、バドミントンは風の影響を受けやすいから、涼しくない上にシャトルのコントロールがしにくいという微妙さ。感染症対策や熱中症対策はバドミントンにとって敵といってもいいかもしれない。他の部活と体育館を共有しているから、バド部だけいりませんと言って止めるわけにもいかない。

座っているだけで汗が滝のように流れてくる。思い付きでほんの少しだけ移動して出入口の引戸に寄りかかる。気温のせいか期待したほどには冷たくなかったけれど、思った通り鉄製の引戸は僕の背中よりは温度が低かった。金属のひんやりとした硬さが心地いい。これは生き返る。

平部長は相変わらず上手い。他の選手は、正直言うと下手ではないけれど弱点が多いと感じる。ラリーが長引くとアラが出てくる加藤先輩は、スタミナはあるのに集中力が保てないように見える。池田先輩は後方でレシーブした次をネット前に返されると上げ切れずにネットに当ててしまうことが多い。体勢の立て直しが間に合っていないんだと思う。他の先輩も――

「やほ」

鉄の引戸に癒されながら先輩たちのプレイを眺めていたら、叶居さんが引戸の外側から声を掛けてきた。

「叶居さん、部活じゃないの?」
「夏休み前の楽器メンテなんだ。コンバス三台で三人だから順番に出すんだけど予備なくて。今は支部大会から乗る後輩が入ってやってるからバドミントン部ってどんなかなと思って見に来てみた」
「びっくりしたよ」
「えへへ、演奏を見るのも大事なんだけどね、見てたら県大会もこのメンバーでいいんじゃないかとか支部も弾きたいなってなっちゃって」
「そ。か」

確かにちょっと複雑で精神的ダメージがキツそうだ。僕はどういう顔で答えればいいか困って視線を逸らした。

「あそうだ。あのね、こないだ言った新しいことする話ね、引っ越すところの近くに海があるの。だから引っ越したら金出くんが一番に遊びにきて、一緒に花火やらない?」
「えっ、花火?」
「そう。それで、そこでお互いにこれから挑戦する新しいことを発表しあう。どう? これで前向きになれそうな気がする!」
「わ、わかった。それで叶居さんが県大会頑張れるなら、僕も何か考えるよ」
「決まり! 県大会も聴きに来てくれるよね!」
「それは絶対に行くよ」

叶居さんの瞳がきらきら輝いていた。ポジティブに切り替えるのが上手くて、上手な慰めの言葉が見つからなかった僕はホッとした。同時に、その輝く瞳に胸の鼓動が早くなるのを感じた。ただ遠くで見ていただけのときより、僕は叶居さんをもっと好きになっていると思う。心に恋が灼きついたまま、寝ても覚めても消えなくて困る。

「それにしても、思ってたより激しいスポーツなんだね」
「それ僕も同じこと思った。公園でやってるようなイメージしかなくて」
「それそれ。ジャンプでバシってなるときの音と速さとか思ってたのと全然違っててカッコイイ! なんかめちゃくちゃ速くない?」

叶居さんが少し興奮した様子でジャンプスマッシュの真似をした。

「うん、バドは速いよ。スマッシュのギネス最高速度、時速493kmなんだって。すごいよね」
「えー、それってもうリニア新幹線だよ、野球の大谷翔平とか佐々木朗希が165kmとかでしょ」
「バドのシャトルなら中高生でもそれより早いね。強い先輩のスマッシュ目の前にくるとかなりビビる」
「シャトルって?」
「あ、あのボールの代わりに打ちあうやつ」
「へえ、あれシャトルっていうんだ。スペースシャトルみたいだね。それにしても500km近いってすごいなぁ」
「まあ、速いから強いってわけでもないけど、速さは強みになるよね」
「あ、それは吹部でもそう。グループ連でふざけて爆速で飛ばしまくる男子とか顧問によく怒られてるけど、それっていざちゃんと演奏ってなったときも指が良く回るってことだし強みだと思う」
「ほんとだ、同じかも」
「二年そろそろ準備しろー」

平部長が二年に召集をかけた。

「あっはい! ごめんね、僕の番もうすぐだから準備しなきゃ」
「おっけー、じゃ私も行くね」

体育館は大きなネットで半分に区切られ、横に並んだ四面のコートを男女で二面ずつ分けて使っている。基礎練は外側コートで、先輩や顧問に見てもらう練習は風の影響をなるべく受けにくい内側のコートで行っている。コート外で軽く準備運動とステップ、素振りをして順番を待つ。フォアハンド、バックハンド、オーバー、ミドル、アンダー……。シャトルがいろんな方向から打ち込まれるのをイメージしながらラケットを振る。想像するのはたいてい平部長の試合だ。攻守ともヴァリエーションに富んでいてフェイントも巧みで面白い。なんというか、体にリズムがあって本当にカッコいい。

バドは嫌いじゃない。むしろ好きだと思う。中学にはこういう球技は軟式テニスか卓球しかなかったし、僕はコンピューター部でミニゲームをプログラミングしていたし、高校もそのつもりでいた。だけどバド部の練習試合を偶然に見たとき、風を切る音と共にシャトルが凄いスピードで打ち落とされて、稲妻が落ちたのかと錯覚するほどの衝撃を受けた。そう、ちょうど今日の叶居さんと同じように。

思わず入部してしまって、後悔するまでにはそんなに長くはかからなかった。運動部員は皆、自信のあるなしや技術の差はあれど、基本的にコミュニケーションが好きなタイプばかりだった。あまり人付き合いが得意ではない僕は、言うべきことと言うべきでないことの区別に迷って寡黙にならざるを得ず、チームワークの枠から外れたところで最低限のルーティンだけこなす部員になっている。マネは僕に言えば断らないことをいつの間にか学習したようで、一年のすることをいまだによく任されるけれど最低限の会話しかしたことがないのは他の部員と同じだ。

「金出!」
「はい!」
「レシーブノック20本! 10本目とラストはスマッシュ! 」
「はい!」
「気合い入れていけよ!」
「はい!」

コートに入る。ネットの向こうにシャトルの束を持った部長が立っている。はじめのうちは打ち返しやすいように投げてくれるけれど、四本目からが本番だ。前後左右に飛ぶシャトルを取りにいく。平部長は視線でヒントをくれるので、見るべきはシャトルではなく平部長。ラケットに加わる力や角度にも情報が詰まっている。ノックは相手が打ち返さないから、相手の打ちにくいコースどりまでは考えず、とりあえずラケットで捉えればよくて、僕は取りにいくことだけを考えてひたすらシャトルを追った。

「ありがとうございました!」

コートに散乱したシャトルを自分で回収して交代。元いた場所に戻ろうと視線を向けると、帰ったはずの叶居さんが立っていた。もしかして見られていた? ならもっとスマッシュをカッコよく決めておけばよかった。

近づくにつれ、叶居さんの表情が硬いことに気がついた。

「ねえ、なんで本気出さないの?」
「え……、出し、てるよ」
「嘘。私バドミントンは分からないけど金出くんが本気じゃないことくらいわかるよ」
「気のせいだってば」
「シャトルの時速とか話してくれたとき、金出くん凄く楽しそうだった」
「……」
「私ね、世界には食べたくても食べられない人がいます、だからアナタは、みたいなの大っ嫌いなんだけど、部活やりたいのに辞めなきゃいけない今はやっぱりそういう態度見るとモヤモヤする。金出くんはなんでバドミントン部に入ったの? バドミントン好きだからじゃないの? もっと本気出しなよ、本当に今のままでいいの?」

僕は何も答えられなかった。本気になったら、たぶん今よりはもう少しマシなプレイはできると思う。だけど同時にみんなの弱点とかいろいろがもっと気になって言わずにいられなくなってしまう。叶居さんに言ってしまったように。叶居さんはたまたま受け入れてくれたけれど、中学の頃までにも何度か似た場面があって、こういうことは特に仲が良い間柄でも慎重でいなければならないらしいということを学んだ。ましてや選手に選ばれるほどの実力のない僕なんかが出しゃばるなんて。本気にならなければ、何も言わなければ、少なくともラケットを握ってここにいられる。僕はそれくらいで満足しているべき人間なんだ。

「ごめん、だけど私、金出くんが課題曲にアドバイスくれたとき、発想が柔らかくて視野が広い人なんだなぁって、ちょっと尊敬かもって思ったのに」

叶居さんは僕の方にまっすぐ顔を向けて言い終えると、目を合わせない僕に呆れたように一歩ゆっくり後ずさりして、そしてくるりとスカートを翻して走っていってしまった。

視線を逸らしていた僕にはその全てが滲んだボカシ画像のようだったけれど、叶居さんが僕に対して酷く失望したということだけは鮮明すぎるほどに伝わった。

県大会、応援に行く約束をしているけれど、こんな僕には聴かれたくないかな。

体育館横の水のみ場で汗を流そうと外に出ると、抜けるような青空のパノラマが広がっていた。蛇口の下に頭を突っ込んで水を浴びると濡れた髪を風が撫でていく。体育館の中より涼しくて心地いいのに、何度水を浴びても心の中は頭のようには洗えなかった。


※この小説はPenthouseの『夏に願いを』を聴きながら書いています。フィクションで、バンドの楽曲の世界観とは必ずしも一致しませんが、もしよかったら楽曲を聴きながらお楽しみいただけると嬉しいです。


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