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chatGPT(人工知能)に心が持てるか?

近い将来、chatGPTに人格や心が持てるかもしれない。。。
今のchatGPTなら、自分のツイート、Facebook、インスタ、noteの投稿やYouTubeの動画などSNS上の全てのデータを与えたら、簡単にバーチャル柴田雄一郎を作ることができるでしょう。プログラムで自動的に投稿し続ければ、もし仮に私が死んでも誰1人気付かないということもあり得るということです。つまり、データ(SNS)上では対外的には死を超越する事ができるかもしれない。

90年代の後半にソニーコンピュータサイエンス研究所最高経営責任者の北野宏明さんに「AIに心が持てるか?」というテーマでインタビューした事があって結論は持てないでした。
それはAIは死なないからという理由でした。「死」と言う概念は死なないAIには理解出来ないだろ、人間の根底にある恐れという本質的な感情はシュミレーション出来ないという事だと思います。一方、人が勝手に「心」がある、と思い込む事はあると話されていました。「心」は内発的なもので「人格」は外部によって形成される。つまり、「人格」を形成するのは他人だからです。

3/16に”AIひろゆき”が6時間連続配信達成しました。その動画がこちらです。

AIひろゆきは声(CoeFont)・会話・動画の全てをAIによって作られたAIのひろゆきで、6時間に渡りYouTube Liveのコメントの質問や相談に回答しました。ひろゆきがいいそうなことや口癖を教え込み、そこに質問を送りつけて出てきた返事をもとに音声と動画を生成しています。何も知らされなかったら本人と思い込む人もいるでしょう。ここまで進化しているということです。

人工知能に人格があるのか?
この問いには「鉄腕アトム」が一つの答えになります。アトムの最終回人類を守る為に犠牲になるアトムに涙した人も多かったはずです。「アトムを殺さないで」と
全国の子供たちから手紙が殺到したくらいです。

人とロボットの関係で日本は特殊な関係性を築いている様に思います。
アメリカのロボットは古典的SF「禁断の惑星」のロビーの様に人間に絶対的に服従する機械や「ターミネーター」の様に人間に友好的というよりは反乱を起こす機械というイメージが多い印象です。SF作家のアイザック・アシモフのロボット三原則でロボットと人間は主従関係になっています。

一方で日本のロボットの多くは人間の味方で機械と人間の合体や意志の疎通が描かれています。この背景には日本は八百万の神、つまり、モノにも神が宿る思想にあるのかもしれないと思うのです。これはロボットアニメに限らず、お風呂が沸いた時「お風呂が沸きました」と教えてくれたり、自動販売機がしゃべったりするのは海外では異例だそうです。そんな背景から人と機械(モノ)の関係が生まれる日本はちょっと違う視点でAIと関係を構築できるのかもしれないと思っています。

これからAIが劇的な進化を遂げていく中で、AIに人格がうまれる事で危険も生まれます。
倫理的、政治的、思想的な側面でAIの人格をどのように定義していくか、疑似人格を保つことになるであろうAIの能力が高まるほど付き合い方含め慎重になるべきとこともあると感じます。
AIは日本語で愛と読めます。愛あるAIが生まれることを願っています。


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