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二次創作を愛と呼ばずに、一体なんと呼べばいいの?


 わたしの先生は「模倣」の専門家なので、模倣のエピソードや方法論などを、対面やブログを通して、日々わたしに教えてくれます。

 なので当然、まだ教わって日が浅いわたしでも「模倣」に対する興味は強くなります。
 というより、前々から「模倣」に対して、なんらかの興味関心を抱いていたからこそ、先生の元で学びたいと思ったのかな、と個人的に思います。
 
 先生の教えを通して、わたしが悟ったこと。
 それは、オリジナリティなんて幻想だ、というものです。
 オリジナルはないのです。
 この世に、まったくのゼロから創り上げられたものなんて、実はひとつもありません。
 
 圧倒的オリジナリティーを感じさせる人物や作品すらも、元をたどると模倣した対象が現れます。
 
 模倣というと、やはりピカソです。
 以下より、まといのばのブログを引用させていただきます。
 
(引用開始)
 
ピカソが面白いことを言っています。

「画家とは結局なんですか?」という質問に、ピカソはこう答えた。「それは、自分が好きな他人の絵を描きながら、コレクションを続けたいと願うコレクターのことだ。私はそうやって始め、するとそれが別物になっていく」。そして彼はつけ加えた。「巨匠をうまく模倣できないから、オリジナルなものを作ることになる。」(p.234)

我々も自分の好きな他人の真似をガンガンして、そのコレクションをし続け、模倣し続け、そして模倣できないことによって、オリジナルになりましょう。
完コピを目指すと、オリジナルになるのです。
まさに「陰が極まれば陽となる」のです。
中途半端なコピーが中途半端なのであって、とことんやればオリジナルになってしまうのです(たぶん)。
 

 
(引用終了)
 
 模倣、コピー、パクリ。
 その言葉に、なんだか悪感情を抱いてしまうわたしたちですが、ピカソという偉大な画家ですら、模倣していたのですから、そんな感情を抱いている方が間違っているのだと思います。
 
 よく探してみなくとも、この世界には、模倣であふれています。
 たとえば、テレビを点ければ、そこには、ものまね芸人がたくさんいます。
 
 ものまね芸人というのは、あらためて考えてみれば、とても面白いです。
 彼ら彼女らは、オリジナルの芸人の容姿、声、服装、立ち振る舞いを徹底的にマネします。
 
 すると、なぜだか価値が生まれるのです。
 
 昔、偽物を見るくらいならば、本物を見ればいいのに、と幼き頃のわたしは思っていました。
 でも、徹底的に模倣すると、そこからオリジナリティが生まれ出てしまいます。
 オリジナルの芸人では出せない個性が生まれます。
 だから、オリジナルの芸人ではなく、そのモノマネ芸人の方をなぜだか愛してしまうのです。
 
 この不思議な原理を、まといのばのブログでは、このように説明されていました。
 
(引用開始)
 
パウロは徹底的にイエスをトレースすることで、イエスの完コピではなくパウロになりました。親鸞は師である法然に絶対的に帰依して、徹底的にトレースすることで法然のコピーではなく親鸞となりました。

恐れることなく大胆にコピーすると、パラドキシカルですが全く新しいオリジナルな(に見える)自分が立ち現れてきます。
 

 
(引用終了)
 
 たとえば最近、わたしには、好きだなあ、と感じるYouTuberがいます。
 その人は【露伴系YouTuber】として活躍されており、名前を岸辺ろはーん、と言います。
 

 漫画を読まれている方なら、もうお分かりかと思いますが、岸辺ろはーんは『ジョジョの奇妙な冒険』のキャラクター、岸辺露伴のパクリです。
 
 岸辺露伴とは、傲岸不遜かつ欲に忠実、漫画を書くためならば、人を本に変えてしまうほどの倫理観のなさで、ジョジョファンの中でも大人気のキャラクターです。



 もちろんわたしも好きなキャラクターなんですが……この岸辺ろはーんは、オリジナルの岸辺露伴の模倣がめちゃくちゃ上手いのです。
 コスプレの完成度だけに留まらず、声の似せ方、そしてセリフのトレース具合が絶妙で、まるで現実に岸辺露伴が飛び出してきたように感じます。
 
 気功の文脈で述べるなら、物理が、岸辺露伴という情報に追いついてきたかのよう、と言えるかもしれません。
 
 岸辺ろはーんは、漫画家の岸辺露伴と違って、絵は正直ど下手くそです。
 でも、そこが面白いとわたしは感じます。
 岸辺露伴は漫画のキャラクターなので、原作者の意思がなければ動きませんし、キャラ違いな行動は取れません。
 
 でも、岸辺ろはーんは、YouTuberなので、色々な行動を取れますし、「岸辺露伴はそんなことしないだろ!」みたいな行動も、その圧倒的なコピーの暴力で、こちらを無理やり納得させてきます。
 
 だから、わたしは岸辺ろはーんを見るとき、岸辺露伴ではなく、岸辺ろはーんが見たくて見ます。
 それこそ、圧倒的なオリジナリティーです。
 
 その背景にあるのは、僭越ながら、岸辺露伴への愛だとわたしは思います。
 ウケそうだから、という理由だけで、あそこまで完成度の高いコスプレはできません。
 岸辺露伴が好きだから、自分も岸辺露伴になりたいから、だからコスプレをする。
 
 そして、その好きをみんなと共有する。
 そうして、岸辺ろはーんは有名になったのでしょう。
 好きだ、という気持ちがあれば、意外とパクリは許されるようです。
 
(引用開始)
 
パクりたくなるくらい好きなものをひとつひとつ集めましょう。いわゆる窃盗や悪意のあるパクリ(著作権侵害)はNGですが、パクリ元に対する敬意と愛が節々から伝わって、なんらかの形で出典が示されていれば、それはオマージュとして評価されます。

 

 
(引用終了)
 
 思えば、サブカルチャーの世界は、模倣やパクリに対して、とても寛容な印象を受けます。
 好きなキャラクターになりきるコスプレもそうですが、オリジナル作品を利用して、独自の作品を作る二次創作も、ある程度は許容されています。
 
 たとえば、コミックマーケットというオタクたちの祭典では、二次創作のマンガで溢れています。
 有名なサークルであれば、1日に300万円の売上を稼いでいるそうなので、圧巻です。
 
 二次創作専用のサイトもいくつかありますし、そこでは、作品の設定やキャラクターをパクって、好きなように書いています。
 
「キャラクターが原作再現されていて好きです!」という言葉が、褒め言葉になるので、ほんとうに面白い世界だな、と感じます。
 
 二次創作は、基本的に愛に溢れています。
 好きだから、模倣して書くのです。
 物語を徹底的に読み込み、キャラクターや設定を原作者以上に理解しようとしたことで、もはや原作者でも書けないような、魅力ある作品を書けたりします。

 キャラクターがより生き生きとし始めるのです。
 二次創作によって、わたしたち読者は、新たな感動が与えられます。
 オリジナルだから、ではなく、完璧に近いコピーだからこそ、よりわたしたちの胸に響くのです。
 
 なので、わたしは好きな作品やキャラクターが出たときは、ウキウキとその二次創作を探しに行きます。
 好きなキャラクターや作品の、別の顔を見るために。
 
 コピーでも、ではなく、コピーだからこそ、人は感動するのです。
 コピーとは、適切な場所で披露すれば、むしろ喜ばれます。
 
 だから、わたしたちも、もっともっとコピーしていきましょう。
 歌でも、踊りでも、サブカルチャーでも、小説でも、なんであろうとも、徹底的にコピーすれば、そこからオリジナリティーが立ち現れます。
 
 わたしも、昔は躊躇していました。
 でも、これからは、もっとなりふり構わず、自分の喜びを胸にコピーしていこうと思います。
 
 それでは、また。
 またね、ばいばい。
 
 
 

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