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引き留められる言葉が逆に退職のきっかけになったよという話。


大前提として、私は死ぬ。
いつかはわからないが、とりあえず死ぬということだけは確定している。

その事実が時に恐怖だったり、逆に安心させたりと真逆の効果があって、ますます生死について考えてみたくなったりもする。


死ぬことが最大の恐怖である時に

会社員時代、休みがちになりつつもなんとか自分の仕事をこなし、抜擢してくれた社長や上司の期待にもなんとか応えたくて頑張った、と思う。
心配してサポートしてくれた上司や社長に、仕事を辞める直前に言われた言葉があった。



なにか失敗しても死ぬわけじゃないから大丈夫


一理ある、し理解できる。それはそう。

この考え方で「つらい」などとも溢しながら、仕事でも何でも取り組めている人は本当に尊敬する。強い、強すぎる。私のメンタルなど足元にも及ばないくらいつよい。何か成し遂げている人はここまで自分を騙せる(いい意味で)信念があって、それは時に喉から手が出るほど羨ましい。



どうせ死ぬまでの人生なのであれば、
私は少しでも苦しい時間を減らしたい。

そりゃ、包丁でも突きつけられた状態で、「仕事するか、死ぬか選べ」と言われたらさすがに死ぬよりマシ、とは思えるものの、生きる環境も仕事も選ぼうと思えば選べるときに、「あーあ、今日も仕事か」とうんざり電車の中で考えて生きる時間に「死ぬよりもマシだから」と言い訳はできないということだ。


そもそも死ぬことが怖いのか?

これについては一旦、否。
あくまで一旦。

怖いのは死に方であって、殺人や事故など何か苦痛を伴うのは当然怖い。ただ、この世から自分が消えることが怖いか?と考えると少し話は別のような気がする。

また、これはあくまで自分自身の話であり、身内や友人、大切な周囲の人間が亡くなってしまうことは、悲しみや寂しさ、憤りなどそれらをひっくるめて「怖い」と思う。


で、そんな消失に向かって歩む人生は止まることはないわけで、その時間をどう生きるかはまた人によって違うわけで。

限られてる時間なのであればなおさら、「死ぬよりマシだから大丈夫!」と思って歩くよりも、「自分はこういう風に生きたい!」を貫く方が私には合っていた。











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