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小学校に入る前に日本を離れたらこうなった三男

三男は幼稚園の年長さんの夏に南国に移った。南国の幼稚園では英語だったので日本語のフォローは自宅で行っていた。

その時長男は4年生、次男は2年生。長男が小学校に入る前はけっこう必死にひらがなやカタカナを教えた記憶があるのだが、次男の時はそこで苦労した記憶がない。私の助けなど必要とせず自力で習得したのか、はたまた私の記憶から綺麗に消え失せているだけなのか。後者だったら怒られそうなので前者だったことにしておく。

日本にいるころから三男はよく一人で本を読んでいた。愛読書はウルトラマン大図鑑だったので読んでいた、というよりは眺めていただけだったのかもしれない。それでも一通りひらがなもカタカナも読めていたように記憶している。

両親ともに日本人で日本で生まれ育ったのだから日本語はそこまで心配することはないだろう。とタカをくくっていたのだが、日本人が一人もいないクラスに放り込まれた三男はえげつない早さで英語を習得していった。
そして息子たちはついに家の中でも英語で会話するようになり、読む本も英語の方が多くなってきたところでようやく私は彼らの日本語があやしいことに気がついた。

焦った私は彼らに漢字の練習と日記を書かせることにしたのだが、それはもう珍解答のオンパレードであった。

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ちなみにこちらは
2018/5/18
きょうField trip たのしかった。We pick garbage We lisen a to a start We ate lunch and snack。と書いてあるようだ。所々よくわからないことも書いてあるのでどなたか解明できたならぜひ教えていただきたい。

さすがにこれを見たときは驚いた。
そうか。日本人でもちゃんと1から教えないとこんなことになってしまうのか。それからの私はせっせと彼らに日本語を教えるようになった。
1年半の滞在を終えて日本に帰国し、1年以上が経つがなんとか授業にもついていけてはいるようである。ただ、やはり文章を書くのは苦手なようだ。四男においては何が日本語で何が英語なのかがわかっていないようで、先日のあいうえお作文では「かきくけ かあさん クックした」と書いていた。

不思議なのは1番日本で日本語の教育を受け、クラスにもたくさん日本人がいたはずの長男が兄弟の中で最も日本語が不自由なこと。先日ポストしたものを読んでいただければわかっていただけるのではないだろうか。

https://note.com/4boyshaha/n/n219593413bd6

彼のお話はまたの機会に書くことにしよう。


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