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(はいる)SNSは生活に根ざさなきゃ!

こんにちは、はいるです。2024年になってからずーっと体調が悪いよ。困ったね。文章を書くのも超億劫、うえーん!しかし、書くのですが…。今回のテーマは「SNS」!

ツイッターからの卒業

最近、ツイッターからかなり卒業を感じる。5ツイートに1つくらいの広告が表示され出し、タイムラインが時系列じゃなくなり、おすすめタブがデフォルトになり、嫌なところが一つ、また一つ増えていく。それでも代替出来るツールがなかったうちは耐えながら使っていたが、blue skyが現れたら、今のツイッターがどれほどにクソか、ということを改めて思い知った。

特に良くないなと思うのは、不平や不満、怒りを煽動するようなツイートが流れてくるような仕組みだ。夫への不満、義母への不満、特定の性別への不満。もちろん、ツイッターをそんなふうに使うのは悪いことじゃないし、フォローしている人(こちらが見たくて見てる人)がそれを呟いていてもいい。良くないのは、見たいと思っていないのに、日々目に入ってくる、ということだ。


blue skyは代替になりえなかった

なので最近はblue skyにいる。でも、ツイッターで出来た友達の6割くらいは、まだツイッターにいるか、もうSNS自体に居ない。好きな友達のつぶやきが流れてこないSNSは、自分にとってはあんまり見る意味がない。

SNSは友人の近況を知る場所

個人的には、SNSの醍醐味は人の近況が知れ、疎遠にならずに済むことだ。もちろん好きなら日頃から連絡を取るのも大事だし、実際さちことは先ほどもEyeLoveYouをリアタイしているわけだが、それだけではなくて。

友人の結婚や出産といった人生の大きなトピックよりも、風邪を引いたとか、旅行に行ったとか、うまい餃子を食ったから写真を撮ったとか、そういうのが見たい。友達が、自分と同じように日々の営みをしているところが見たい。あがったりさがったりしている近況が知りたい。そういう、生活に根ざしたことを知っている関係が、友人であることの原点のような気がする。

それが昔は学校の教室であり、個人のホームページであり、ミクシィだった。場所が変わっても、人の近況を知りたい(し、自分も知らせておきたい)という目的はいつも同じだった。

ツイッターがなくなった今、残されたのは、この交換エッセイである。さちこには、ラインも、リアルも、そしてここnoteでも、いつでも近況を伝え続けたい。30代も、40代も、SNSがなくなっても、うちらはダチをやっていきます。

えっ?終わり???なんだよこの締めくくり。


マシュマロ大募集!みんなはなんでSNSやってるの?教えて〜!


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