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「ボールボーイ・ミーツ・デビルガール」 track.1


BALL BOY MEETS DEVIL GIRL

「他の奴らがピクニック気分で来たのは知っている……。だけどな、ワタシは違う! ワタシはこの星を征服するためにやってきた!」
 元居た学校の名前も、家族構成も、名前すらも言わずに、転入生の彼女、666号は言い放った。




1.


「みんな。見ての通り、不思議ちゃんだ。仲良くしてやってくれ」
「おい、地球人。そんな言葉でワタシを括るな。殺すぞ」
「みんな、短気でもあるぞー。がんばってくれ」

 担任が教卓に戻り、クラス中の人間は唖然とし、爆笑した。
 ムギワラから擬態を経て日本に降り立った生命体、666号は不服そうに頬を膨らまし、空いている席に座り、足を机の上にあげる。
 彼女の隣には、未だに腹を抱えている坊主頭のヒロイがいた。本名は球井ヒロイ。4人家族の長男で、彼は妹と仲良くしたいと思っているが、好かれてはいない。


2.


 それは或る日の世界史の授業の時だった。
 窓の外を眺めるヒロイを666号はなんとなしに見つめてみる。
 グラウンドでは体育の授業が行われ、木製のバッドに当たった白球が青空に弧を描いた。一年生レギュラーのタカギシは授業といえど手を抜かず、満面の笑みを崩さないまま、再び、ホームベースを踏んだ。

「なぁ、」
「なんだ」
「やろうと思えば、指とか尖らせる事できるのか?」
「できるぞ」
 666号は嘘をついた。ヒロイはまだグラウンドを眺めている。
「じゃあ、100mを3秒で走れたりも?」
「雑作もないぞ」
 666号は体育より、どちらかといえば国語の方が得意だ。
「140kmのボールって、打てる?」
「打てるどころか、140kmで走れる」
「すげえな。スポーツカーじゃん」
 666号の50mのタイムは8秒3で、女子の平均より少しだけ速い程度だ。
「ワタシは車じゃないぞ」
 だが、666号は侵略者というスタンスでこの星にやってきているため、簡単には引き下がれない。ナメられてはいけない。地球に降り立ち、初めて666号が学んだことだった。
「もののたとえだよ」
「もののあはれ?」
「違うよ」
「ワタシは頭が良くないんだ。だがな、お前らを蹂躙するのに、頭脳など必要ない。脊髄でいける。脊髄でな」
「そいつは、まいったな」
 ヒロイが初めて振り返って666号を見た。
 凹凸の少ない顔をしている割には、ヒロイの睫は長く、瞳は大きく、黒曜石のような輝きを放っている。
 666号は急に目を逸らしたくなった。だが、征服者でいないとならないため、簡単に逸らすことはできない。二人が見つめあっていると、白髪の世界史の教師が、いつの間にか彼女の隣に立っていた。
 666号は、今日メガネを忘れてしまったから顔の判別に時間がかかるんだと言い張ったが、開いてあるノートはほぼ白紙で、左端にこれだけ記されていた。

 1919年6月(仏)
 ヴェルサイユ条約締結 ←ヴェルサイユって響きかっこよ!

 何を言い張ろうが、もはや、無駄だった。
 結局、666号は今日の授業範囲の小テストを放課後に受けることとなり、ヒロイも巻き添えを食らった。

 ヒロイの定期テストの成績は常に学年の上位に入るが、666号はそうはいかない。
 彼女は元々、違う惑星の住人であり、666号は地球のことを帰り道にどこまで蹴れるか試すための石ころ程度にしか思っていないため、地球の歴史どころか、地球人の話にすら耳を傾けることができないのだ。
 666号の額からは汗がとめどなく流れ、腹の調子も悪くなっていた。ヒロイは悪魔のように666号の顔が青ざめていくのを見て、自分の答案用紙でそっと彼女の腕をつついた。こうして二人は難を乗り越え、帰り道にコンビニでアイスを買い、労いあった。


3.


「ヒロイはいいやつだな!」
 奢りだぞと言い張り、コンビニまで引っ張っていったものの、666号は財布も持っておらず、スマホのチャージ額は3円しかなく、結局、ヒロイがパピコを買い、半分を彼女にあげた。
「そりゃ、どーも」
 666号はまるで初めて食べたかのように目を見開く。だが本人はあくまで冷静を装っているつもりだ。
「ヒロイは賢い。それになんといってもワタシに優しい。だから参謀にしてやってもいいぞ」
 ヒロイはパピコのチョココーヒー味を口に加えたまま、空を見つめていた。視線の先には未確認飛行物体、ムギワラが、よく澄んだ青の中で異質な輪郭を主張していた。

「去年さ、アイツが空からやってきただろ? それのせいで三年の先輩たち甲子園決まってたのに、大会自体がなくなっちゃったんだ。だから今年はスタメンも、ベンチも関係なく、みんな気合い入ってんだ。俺はさ、あんたがいう通りちょっとだけ賢いかもしれない。でもさ、俺、野球がしたいんだ。今も、大学になっても、その先も。野球がしたい。だから、参謀は辞退するよ」

 面と向かって言われると、さっきまでの自分の発言がどうしようもなく浮ついて聞こえ、666号はパピコを強く吸い上げた。
 氷を噛み締めると側頭部に鋭い痛みが走り、666号が額を抑える。ヒロイのパピコはすでに空っぽだった。その日初めて、ヒロイは部活をサボった。


4.


 それから二人は何度か一緒に帰るようになった。たまに空くオフの日曜日はキャッチボールに付き合った。
 666号は部活に入っていないため、約束している日は、昇降口裏に行き、岩の裏に生息しているダンゴムシの群れを見て、気持ち悪いなと思いながら時間を潰したりした。校舎近くにいる野良猫と戯れる日の方が多かったかもしれない。
 猫の後をついて行き、遠くに行った日は全速力で戻った。だが8秒3なので、いつも校門に着く時は、息を切らしていた。そんな666号を見て、ヒロイはありがとなと言いながら笑った。
 ヒロイの練習着は汗臭かった。エナメルバッグも常に薄汚れていた。666号は地球人て汚いんだなと思いつつも、なぜか指摘はできなく、帰り道は今日の学食で何がうまかったかの話ばかりしていた。

「七夕ゼリーってさ、あんなに美味いのになんであの日しか出ないんだ?」
「だから、七夕ゼリーなんだよ」
「それじゃ、七夕ゼリーがかわいそうだ。あっ、ヒロイ決めたぞ。ワタシがこの星を征服したら、まず、七夕ゼリーを毎日学食で出せるようにする」
「アレ、美味いからな」
 ヒロイは足を引き摺りながら歩くので、肩にかけているエナメルバッグが一層重たく見える。666号は「まかせろ」と胸を張るが、横目では彼の様子を窺っていた。

 ヒロイは朝起きてランニングと素振りをしてから学校へ向かう。そこから朝練習に励み、昼休みになったらまた素振りをする。壁に向かってボールを投げたりもする。もちろん放課後の練習も真面目に取り組んだ。メンバーが嫌がる走り込みも進んで行った。
 ヒロイが属している野球部は3年が少ない。それは去年3年だった代がムギワラの襲来によって活躍の場を奪われ、失意のまま部活を去っていき、負の伝染が後輩の台にも及んだからだ。そのため、ヒロイが属しているチームは2年が主導になっていた。
 666号は2年のメンバーの中で、ヒロイが一番、野球に打ち込んでいるとわかっていた。それでもヒロイはレギュラーに選ばれなかった。ヒロイが着る予定のユニフォームは、タカギシのものになっていた。
 タカギシは身長が185cmあり、140kmの球を投げた。正直、監督すら持て余す怪物で、すでにいくつかのスポーツ雑誌から取材も受けていた。
 ヒロイは誰もが認める努力家だった。
 だが、タカギシはヒロイの練習量の半分で5倍以上のパフォーマンスが出せた。才能はどこまでも残酷だった。

「タカギシってさ、たまに俺にだけ、本当にしょうもない親父ギャグとか言ってくるんだ」
 ヒロイはタカギシの話をしている時、笑顔だが、笑ってはいないのを666号は知っていた。そのため、タカギシの話をする時、彼女はわざと退屈そうに返事をしたり、無視したりした。
「タカギシは図体がでっかいだけで、動きはとろい。ワタシの方が100万倍速いぞ」
「そうかもな」
 ヒロイのテンションは常に穏やかで、一定のため、他人から見れば彼は泰然自若のように見える。
 だが、666号はわかっていた。
「なぁ、ヒロイ。胸でも揉んでみるか?」
 立ち止まると、ヒロイも足を止めた。鼻の下が少しだけ伸びていて、それに気づくと666号は緊張した。
「いいのか?」
 てっきり、あしらわれると思っていたため、666号はどうしていいかわからなかったが、頷いた。
「きっとお前が毎日握ってる白いボールより、100万倍柔らかくて気持ちいぞ」
 ヒロイの方を向いて666号は両手を横に広げた。露わになった乳房の膨らみが二つ、彼の目の前にある。水泳バッグをリフティングしながら歩いている小学生男児が不思議そうにみながら通り過ぎていく。
 666号は地球人に借りを作らせておくのも悪くないだろうと言い聞かせることにした。
 筋張ったヒロイの掌がゆっくりと吸い寄せられるように伸びてきて、666号の胸に着地した。
 ニール•アームストロング船長て、こんな気持ちだったのだろうかとヒロイは思った。
 一方、666号の鼓動は一気に速まった。完璧に模倣したはずだが、人間の形を保てなくなりそうで、666号はとっさにヒロイの手を強く振り払った。

「うわああああ、長いぞ!」
「やべっ、ごめん!」
「……どうだ。ワタシのおっぱい。元気でたか!?」

 ヒロイはただ顔を赤くして黙っている。照れていることに気づかない666号が彼に近づくと、走って逃げた。ヒロイの50m走のタイムは7秒3で、どちらかといえば持久走の方が得意だった。


5.


 39℃の蕩けそうな日曜日。その日は夕方から地元の花火大会が始まる予定だ。666号は望みは薄いだろうと思っていたが、ヒロイの部活がオフになっていないだろうかと朝からそわそわしながら神社にいた。

 ワタシは今日花火を見るぞ。

 と、LINEだけを送ったが、まだヒロイからの返信はない。

 一方、ヒロイはその日遠征に来ていた。
 結局、ヒロイが属しているチームはタカギシの能力だけが突出しているだけで、その他のメンバーは3年も、2年も、ヒロイより少しだけ上手い程度だった。
 そのため、県ベスト4にはなったが、その後の地方大会の初戦で敗退した。そこで残留組の夏が終わった。
 選抜大会後、監督は大学時代の同期に掛け合い、試合を組んだ。それは選手たちに悲観するだけの夏を二度と送ってほしくなかったからであり、単純に高岸を中核に据えたチームをさらに強化したかったからだ。
 朝から昼過ぎまで練習試合が行われた。
 ヒロイはタカギシの控えのピッチャーとしてずっと肩を温め続けた。妹が来ていたが彼の出番はなかった。
 午後3時、練習試合が終わり、レギュラーメンバーがクールダウンに入ると、ヒロイはタカギシのストレッチに付き合った。タカギシは芝生の上に腰を下ろし、足裏を合わせてそれを両手で掴むと股を広げた。ヒロイは彼の膝に手を乗せゆっくりと押していく。

「先輩、お股割ったからオワッターですね」
「タカギシくん、マウンドのキレはどこ行ったんですか?」
「そういうヒロイさんは、キレッキレですね」
「うっさいよ」

 その時、ヒロイのエナメルバッグからセンチメンタルバスのSunny Day Sundayが流れる。手に取ると、666号からの追いLINEだった。

「先輩、彼女いたんすか」
「まぁね」

 ヒロイと666号はよく休日を共にするが付き合ってはいない。だが、先輩だから彼は見栄を張った。
 少し遅れるかもしれないけど、いける。
 と送り返すと、666号から電話がかかってきた。
 ヒロイは慌てすぎて硬直している。そんな彼を見たタカギシが気を遣ってランニングしてくると言おうと思った時だった。

「おい、やりたい奴は集まれ。B戦するぞ」

 やりたいやつ。
 監督がそう口にするときはベンチメンバーにとってチャンスだった。なぜなら監督自身もゲームに参加するからだ。
 より間近で自分のプレーをアピールできる。それに今は新チームを組み始めている時。これ以上のチャンスはなかった。
 だが、666号はいつも健気に付き合ってくれた。つまらないと叫びながらも666号は、取りこぼしたボールが芝生の上を転がっていくのを追いかけた。何度も、何度もだ。
 666号はこの星を征服すると言っているが、本当は優しい女の子だとヒロイは知っている。
 そして、ヒロイは666号のことが好きだった。
 彼女の浴衣姿に緊張したり、一緒に花火をみたり、炒め過ぎの焼きそばを啜ったりしたかった。

 ヒロイは悩んだ。
 電話はまだ鳴っていた。
「俺は一体、どうすれば、どうしたらいいんだ」
 ヒロイは迷いに迷った。

 タカギシが投げた球を夕空に打ち上げたのは、ヒロイだった。ホームランだった。青い胸が弾む。白球が夕空に吸い込まれていく。

「バカめ! この裏切り、一生忘れないからな!」

 666号は夕空に向かって叫んだ。二人は全く違う場所で同じ夕空を見上げている。
 その日の帰り道、監督は焼肉を食べさせた。今まで食べたどのカルビよりも美味かった。

 少年は少女と出逢った。だが彼は全く変わらなかった。



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音楽が好きな方で、スロウタイの紹介記事が独創的で面白かったです。





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