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外国で暮らすということ-Ken-

「暮らすんだ」という覚悟で行く外国はあらゆる意味でただの旅行とは見えかたが違ってくる気がする。お札の色がいささか派手だったり、窓ガラスが割れた車が普通に走っていたり、周囲には日本人が自分だけだったり、そういう些細な違いは全てひっくるめて日常にフォルダリングされていく。だってそんなものにいちいち驚いていたら身がもたないから。

その過程はある意味で好奇心の磨耗とも呼べるかもしれない。違うということが当たり前になっていくのはそれぐらい味気のないことだった。そしてそれは自分にとってはどちらかと言えば寂しいことだった。もちろん人によってはそれが現地での生活に馴染んだことの証として嬉しいと感じるに違いない。でも自分にとっての外国はいつまでも日本とは違う異国の香りを漂わせるものであってほしい。だから慣れきってしまったこの地での生活に、一瞬でも異国の香りが漂わないかと無意識に探してしまう。

ただもう砂埃が舞い上がるでこぼこ道も、美しく空を映し出す凪いだ青い海も、スペイン語と英語が混じった日常会話でさえ昨日と変わらないそして明日もまた同じであろう日常風景でしかない。乾いた好奇心を満たしてくれるものはそこにはもうない。バックパックを担いで歩いたあの時の好奇心の躍動、しかしそれは日常生活とは決して相容れることがないのかもしれない。

そうやって少し諦めて、ゆっくりと日々の暮らしを一息ついて見つめることができるようになっていく。そうすると不思議なことにただの違いだったものが徐々にストーリーを帯び始める。あの道の真ん中の穴が今までに何回塞がれてそしてまた空いたのかなんていうどうでも良いことから、何度も通ううちに顔見知りになったお店の人たちとのなんでもない会話から垣間見える暮らし振りまでそれはもうたくさんのただの旅行では決して見えない無数のストーリーがじわじわと浮かび上がってくる。

どうやら暮らすということは目の前の景色に奥行きを加える作業らしい。旅行の刹那的な感動から、ただひたすら繰り返される毎日の中に身を放り込んでやっと見える立体的な世界へ。まだ幼いところを多分に残した自分なんかは刹那的な感動に魅力を感じながらそれでも少しづつ奥行きをもって広がる世界の魅力にも気がつき始めている。

外国で暮らすのはもちろん楽じゃないけれど、自分の目の前に広がる世界の変化を見つめているのはちょっと楽しい。いつまでもそういうものを楽しいと感じられる自分でいられると良いなぁと思っている


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