見出し画像

詩の読解と感想:“Blind Pew” by ホルヘ・ルイス・ボルヘス


はじめに

自習中の皆さん、お邪魔します。
今回は、寄り道をして、詩のレポートをさせていただきます。
体調不良で静養中、読書をしていて思いついたことをまとめてみます。

Jorge Luis Borges (ホルヘ・ルイス・ボルヘス) という、アルゼンチン出身の作家が書いた、“Blind Pew”という詩を読みました。

きっかけは、海堂尊さん著『ゲバラ覚醒:ポーラースター1』で、主人公チェ・ゲバラがボルヘスと対話するシーンを読んだことです。風変わりな人(ボルヘスの短編の印象に合わせてでしょうか)として描かれているのですが、社会を斜めから見てものを言う図書館司書兼詩人のボルヘスが、強く心に残りました。探してみると、英語に訳された詩がいくつかネットに公開されていて(大学のサイトの公開なので大丈夫なやつだと思われます)、その中の一つがこの詩だったのですが...。

https://spectrum.troy.edu/alr/v19/v19MezeyBarnesBorges.pdf

多くの詩がそうであるように、初見で意図をきちんと受け取るには難しく感じました。取りえた内容は:詩の主人公は、きっと手にいれられるであろう宝を夢見て、厳しい現実に耐えている。私たち読者も、彼と同じようなものである。宝が、死というかたちで、確実に待ち受けている???

ってどういうこと?

Blind Pewって?

そこで、“Blind Pew”ってなんだろう、とググってみたら、スティーブンソン(Robert Louis Stevenson)の『宝島』(Treasure Island)の登場人物だとでているではありませんか!

そこで、新潮文庫版の『宝島』を引っ張り出し、読み返してみたのです。

和訳では、盲人の乞食、ピューと表現されています。

そういえば、こんな人が出てきていたじゃないか、と再読していて思い出しました。読んだものって、簡単に忘れてしまっているものですね。。。

ジム少年(物語のナレーター)の父親が経営している、ベンボウ提督亭という宿屋に宿泊する老海賊フリントを、財宝目当てに呼び出しに来たのが、目が見えず、脚が不自由で杖をついた老人ピューです。フリントが財宝を隠しているのを知っていたのですね(隠していることが、けっこうやばい人たちに知られていて、笑ってしまうのですが)。

宝のありかを記した地図を隠していたフリントは、ずっと恐れていた呼び出しがついに現実のものとなってしまったことで、持病の発作を起こし死んでしまいます。

出頭の期限までにフリントが現れないため、盲人のピューは仲間を連れてベンボー亭へ乗り込んできます。フリントは死んだまま倒れているし、フリントの持ち物には(すでにジムによって持ち去られていたので)地図がありません。そこで、今度はジムを捜そうと外に出ますが、その時ジムの助けや密輸監視のための騎馬もあわただしく走り回っていて、捕まることを恐れて逃げた仲間に取り残された盲人のピューは、馬をよけきれずはねられて死んでしまうのでした。

このように、盲目のピューは、物語の冒頭の山場に登場する、印象に残る人物ですが、私は読み返すまで忘れてしまっていたのです。

物語の中盤にもピューは少し触れられます。ヒスパニオーラ号が「宝島」に到着する直前、ナレーターのジム少年が、料理番シルバーたちの反乱計画を偶然耳にしてしまったときのことです。

目が見えなくなったピューは、船乗りで得た大金を使い果たし、盗みや人殺しをした挙句に飢え死にしかけていた、と語られています。仲間うちで恐れられることもあったというピューの、破天荒な生きざまが分かる記述です。

詩の分析

前半

そこで、Borgesの詩に戻ると、第1ー2スタンザにピューの幸福とはいえない生きざまが描かれています。不自由な体でイギリス中の道や荒れ地を歩き回り、犬には吠えつかれ、子どもらには笑われ、寒さからのがれ寝付けないことや、溝でほこりにまみれ震える(溝で震えるというのは、馬にはねられる前、逃げまどいながら溝にあやまって落ちたことも含んでいるのかもしれません)という経験をしてきたのだとか。

物語からの情報だけではなく、類推も含まれているとわかる描写です。ヒスパニオーラ号に乗り込みもせず、宝探しにも参加しない登場人物なのに、ここまで人物像を広げてみるのか、とボルヘスの着目点に驚かされます。

等位接続詞の for

ちなみに、最初のスタンザ、2行目の For は文節と文節とを結びつけるときに使う、等位接続詞の for と考えます。

Far from the sea and from the lovely war
(For so love praises most what has been lost),
This blind, foot-weary pirate would exhaust
Road after English road or sodden moor.

今回は文節をつなげるようにはなっていませんが、詩なのでそのあたりがあいまいなのでしょうか。ただ、「というのは、愛は失われたものを、最も称えるものだから」(so も、そのように、そんなふうに、という意味でとり、…なものだから、としました)と、理由を表す接続詞として訳すと理解がすっきりしたからです。皆さんは、どう思われますか?

後半

続く2つのスタンザが、冒頭に述べた、初見でとり得た意味、に関わる場所です。

ピューの人生に思いを巡らせた今だからこそ、彼が大変な人生を送ってきたけれど、遥か彼方の黄金の砂浜には、自分のものになるはずの宝があると信じているので、つらさも和らぐと感じている、という心情がスッと理解できます。

このピューの心情を、Borgesは読者に絡めてきます。そして、シニカルに詩を結びます。

読者諸君もピューと同じようなものだ。別の黄金の砂浜で、あなたの宝が朽ちることなく待っていますよ。巨大で、形のない、必然的な死が。

私たちは、ピューのようにつらい状況にあるのでしょうか。そして、手に入るであろう宝物、つまり将来われわれに必ず到来する死、を思うことで、今の状況に耐えられているのでしょうか。死が宝?それが、なぐさめに?実は、そうなのかもしれない、人生って、この社会って、今の世界って、とふと思ってしまいそうです。

詩の面白さについて

今回こうやって詩をゆっくりとよんでみると、再発見がありました。

一つは、西洋詩の面白さです。散文詩は日本では翻訳詩のマネみたいに感じられるものが多く、じっくりと意味を考えたいものに出会うことが私にはあまりありません。ところが、今回の小さな詩は、英文学をはじめとする西洋文学に精通した詩人が、自分の詩を通して読み手をもう一つ別の世界(読み手が共有しているであろう『宝島』という文学作品)へと導いた上で、その世界への新たな見方を示しながら、詩自体の理解にヒントを与え、さらには読み手自身やその周りの組織や社会や世界へと思考を広げてくれる。日本の散文詩に感じることのすくない、圧倒的な知的面白さ、興奮なのです。

次は、これは詩以外のことにも当てはまると思いますが、ひとつを理解する楽しみの前提、教養の必要性です。教養、というか、雑学。今回であれば、スティーブンソンの『宝島』を読んだ経験や盲人のピューにまつわる詳細を知らなければ、ボルヘスがピューをどんな人物としてとらえているか推察できないし、その結果、詩の主旨が味わえなくなります。作品を鑑賞するには、その作品を読むだけでは不十分で、何層もの知識や経験が必要ということだと思いますが、この点を書き手も読み手に課しているというか、期待していると思われます。読み手にとっては高いハードルですが、だからこそ文学鑑賞もやりがいがあり、成立するといえるでしょう。

さいごに-文学研究について思うこと

以上、胃腸炎で寝込んでいるあいだに考えたことをまとめてみました。
近年、文学は「終わった」学問とみなされています。文学作品も学校で読まれなくなったそうです。そこで、文学を含む人文学が危機感を持ち、人文学の実用性をアピールする試みもみられます。
しかし、実用性ってなに?と思うのです。あることが実用的であるかどうかという判断も、結局は主観なのではないのでしょうか。化学、医学、マネジメント、実用的とされているものはいろいろとありますが、それらが必ずしも人間の生活や世界に実用的な貢献ばかりをしてきたでしょうか。利益を得るのは一部の人びとだけで、大多数の人びとには副作用や混乱や懸念、更なる課題を残しているのではないでしょうか。
実用的だから、ではなく、世の流れ的に実用的にみえるから、人はあこがれる、のだと思うのですが、どうでしょう。
そう考えると、文学と実用性を無理に結びつけるのはどうかなと思うのです。流行と同じで、いつか文学人気が高まるかもしれませんし、コンピューターサイエンスが低迷することだってあるかもしれません。もちろん、そうならないかもしれません。
文学作品のかわりに人々に親しまれているメディアのショート動画やテキスト・メッセージやフォトは、人間の興味をひきつけたり情報を拡散したりするとてつもない力を持ちます。しかし、それら刺激の強いメディアが、今回述べたような小さな一編の詩のように、人の持つ知を掘り下げたり広げたり結びつけたりひねったり、人間の思いや思考を過去や未来や内や外へと誘いうるかというと、そうではない気がします。文学は、そういった刹那的、断片的なメディアとは性質を異にする、人間特有の機能を大いに活用することを促す貴重なメディアの一つである、この認識だけは忘れることなく、今後も気ままに文学研究を応援していきます。
自習中の皆さん、お邪魔しました。継続してがんばりましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?