自己肯定感と事実認識の話

「自己肯定感が高くなければ成功しない」という話に、疑問を持っている。
というか、自己肯定感という言葉をなんだか誤解している人に対して。

例えば。
私が「パートナーがいたらいいなと思うようになったけど、私のスペックだとなかなか難しいよね」と言ったら。

脊髄反射で
「そんなこと言っちゃダメだよ!もっと自己肯定感を高く持たないと。私のスペックが~なんて言ってたら、幸せが逃げちゃうよ!」
と力説してくる人がいる。
マジでいる。

私は思うのだ。
「節子、それ自己肯定感ちゃう、脳内お花畑や……」


私のスペック
アラフィフ バツイチ 子ども有り 賃貸住み
顔面偏差値・スタイルとも加点なし

「そうだよね、私にもきっと素敵な人が現れるよね!」と言って、50から王子待ちしてたら即身成仏してしまう。

パートナーとのマッチングが困難なのは、単なる事実でしかない。
需要が多くレッドオーシャンでも勝てる石原さとみとは条件が異なると言っているのであって、こんな私なんかじゃ絶対にダメだよ…と勝負を投げているわけではない。

過大でも過少でもない適正な事実を述べただけで「幸せが逃げちゃう」のなら、まったく自己を肯定してないし、そもそも戦略は、現実を正しく認識するところからなんじゃないのか。
市場における自分の位置づけや価値を冷静に評価することは、自己肯定感とは関係ない話である。

花畑自己肯定感を力説してくる人に「じゃあ、どうすればいいと思う?」と具体的対策を聞くと、かなり高い確率で「あなたは、あなたらしくいればいいんだよ♪」というマジックワードが返ってくる。

しかし私、まったく無理もしてないし自分を偽ってもいない。私らしさ全開、フルスロットル。
で、これまで私らしくいた結果、目標が達成できていないわけだ。
なにかを得たいなら、逆にちょっと無理せにゃいかん場面なのだ。

頑固一徹の伝統工芸職人でも、さかなクンさんでもない、普通の私の私らしさは貫き通さずどんどんアップデートしていかなきゃ何も起こらないまま、結局のところ即身成仏ルートに突入する。


これ、まんま仕事でも同じで。
目標に向かうには適正な事実認識と分析が欠かせない。
その結果、戦略として「私らしさ(個性)が売りになる」なら、突き抜けるまでやればいい。

が、そうであってもなくてもアプデは必要だ。
頑なに伝統を守って生き残っているものも、変えない部分を取捨選択しているに過ぎない。自己(個性)を肯定する=今のまま変わらずに停滞することではない。変わっていくことも織り込み済みで、自分なのだから。

だいたい、無知の知や足らざるを知るぐらいで崩れる自己肯定感なら、耐震強度に問題あるから基礎工事からやり直した方がいい。
年令的な変化という激震は必ずくるから、「変わらない自分」を肯定するのはちょっぴり危険でもある。

個性を貫くにしろ、自分をアプデし続けるしろ。
どっちにしたって、自分はこれでいいのかと問い続けながら生きるのはラクじゃない。だが、ラクじゃないから面白いのだ。
分析のプロでもなく、あなたのことをろくに知りもしない人が言う「あなたはそのままでいい、今のままあなたらしくいればいい」ってソフトな甘い言葉は、悲喜こもごもが詰まった人生という弁当の、 からいおかずや硬いおかずの合間に食べる箸休め、フジッコのおまめさんだと思うぐらいでいいんじゃなかろうか。

めちゃくちゃに逃げ足の速い「幸せの青い鳥」という幻ポケモンが捕まえられないなら、今のままでいいと言わず地道にレベル上げしていくしかない。
望む未来を手にするのは、たぶん今のままのあなたじゃなく、バージョンアップしたあなた5.3とかだと思う。


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