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【全ては鬼のせい】本能に寄生する鬼は時代と共に質を変えてきた・・・。

 人は昔から今に至るまで、ずっと争い続けてきた。誰と、何のために、その結果どうなったのか・・・。

 争いの無い平和な世の中?もしこれを実現できたとしても、また世界のあちこちで争いの火種はばら撒かれることになる。争いはこの世界から根絶することのできない不滅の感情。

 そもそも、争いは人間だけのものではない。あらゆる動物たちが、子孫繁栄のために毎日縄張りを争ったり、捕食対象を奪い合ったりしている。

 動物も、人も、生きるためならば鬼になれる。

 なぜなら、鬼とは動物や人の本能に寄生するから。

 もし人が本能のままに生きたとすれば、現代のような社会は創造されることがなかったかもしれない。

 もしそんな世界に生まれ落ちたとすれば、現代とは違う、生きるか死ぬかといった二択の毎日を過ごすことになったかもしれない。

 本能に寄生した鬼は、人の精神と肉体を支配し、理性を奪う。

 人とは思えないような行動を起こす者が現れてしまうことを、いつの時代においても、まるで当たり前のように思ってしまう。

 事件を起こした鬼は、世間に晒されたのち投獄される。社会人として更生するために、罪を償うために、人として生きていくために・・・。

 しかし中には、人に戻ることを許されない者もいて、鬼のまま法の下に処刑される。

 また、更生したと認められ出所した者のうち、再び鬼に支配された者は初犯の時とは違い、量刑は重くなる。

 薬物汚染は、危険薬物を売る者と買う者と使用する者とがいて、どれも鬼。売る者は鬼を増やし、買う者のうち転売する者と使用する者とにわかれる。

 そうして鬼となった者が車を運転することで、暴走し、罪のない一般人をひきころす。

 鬼が道具を扱うと、どんなものも凶器と化す。道具だけではなく、資格や権力、あらゆる技術も悪用することを不思議に思わなくなる。

 今、自分たちが生きているこの世界は、あまりにも鬼が蔓延し過ぎた。大切な精神と肉体、時には命さえも鬼に売る。

 では、普段関わっている人たちはどうか、自分自身はどうか、鬼になっていないだろうか。

 自分を善人だと疑わない人ほど鬼になってしまっていることに気付かないことだってあるかもしれない。

 表向きは好い顔をしていても、裏ではどうかはわからない。本能を鬼に支配されてしまえば、日々沸いてくる欲求を抑えるための理性が働かないものだから、自由な時間に何をしているかわかったものではない。

 アニメ「鬼滅の刃」の主人公、竈門炭治郎の嗅覚、人か鬼かといった臭いを嗅ぎ分けられる特技、鬼の場合、臭いのキツさで強さも判別できる。また、臭いの質で鬼の感情がどんなものかも嗅ぎ分ける。

 本来、嗅覚そのものにそうした特性はない。ここで言う嗅覚とは、相手の性質を見極める嗅覚を意味する。

 理性の働き方の精度、相手が何を求めているか、または、相手が何に飢えているか、そういうことくらいは察知できるようでありたい。

 人も動物も、「飢え」には抗えない。特に空腹の飢え、睡眠の飢え、性欲の飢えは、度を超えると、鬼に本能を支配された状態では理性も働かず制御不能になる。

 鬼の正体とは、本能の欲するところの飢えに寄生する醜悪な存在。飢えさえ凌げば人は鬼にならずに済む。

 人は飢えを避けるためにどうすればいいかを頭ではわかっている。でも、ウィルス感染拡大の影響から今日を生きることに困窮するようになった人たちは、飢えを凌ぐために必死に仕事を探し、生活保護を頼る。

 人は、飢えてなお頼るものがなくなった時、鬼になってしまうのかもしれない。ここ数カ月で自殺者数が増加しているのは、鬼になるくらいなら・・・と命を絶った人たちなのかもしれない。

 人間、いざとなれば、生きるために人目も気にせずとんでもない行動に出ることもある。鬼が巣食う人間の飢えとは、元よりそういう性質なのだ。

 鬼滅の刃に出てくる兪史郎(ゆしろう)は、病に倒れ今にも死にそうな状態の時、すでに鬼と化した珠世(たまよ)から「鬼となっても生きたいか」と聞かれ、これを承諾し、兪史郎も鬼となる。上の画像は、「お優しい珠世様、美し過ぎるぞ!」と思っている時の様子。

 生への執着は飢えの度合いにも因るが、あまりにも飢えれば生きるために自分を鬼にすることも厭わない、そういう選択肢が人間にはあるのかもしれない。

 生きるのなら、鬼にならないように生きたいものである。本能を鬼に売ることなく、欲求を理性でコントロールし、飢えを避けつつ生きていきたい。

 鬼滅の刃は、ただ人気のあるアニメではない。どんな作品も捉え方次第。なんかこう、鬼滅アンチみたいな人たちが言うことには、「流行に流されたくないから観ない」とか「まぁまぁだとは思うけど嫌い」とか、好き放題に批評しているけれども、面白いか面白くないかの偏見だけで言ってるだけだよね。

 確かに、すごく計算された作りにはなっているとは思うけれども、ボクは良いアニメだと思う。短慮だよね、鬼滅アンチの言うことは。時代を象徴する内容であることと、人の生き死にが描かれていること、この二つだけでも十分観る価値のある作品だとボクは思う。

 鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)がなぜ鬼を増やすのか、鬼殺隊が鬼を滅殺することは本当に正義なのか、鬼は本当に斬って捨てるべき存在なのか、とかね。いろいろ伏線が張られているのも面白い部分。

 あ、自分で表現していて今更気付いたけど、ボクが嫌いな人間は、物事や人の考えに対して短慮な人だと。考えが浅はかな人の言うことは、聞くだけ時間の無駄。

 鬼かどうかを図るための感覚は養っておきたいね。なんか知らないけど常に飢えている人、危ないかも。愚痴が多い人も、いつもイライラしている人も、たぶん何かに飢えてる。もうね、承認欲求に飢えている人って一番危ないよね。

 飢えにご用心。鬼になるぞ。

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