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~全部?(・∀・)あはっ♬~

 皆さん!!!! どーも、にゃむですっ!!(・∀・)にっ♬ 今日のタイトル画像もタイトルもシンプルにしてみたよ♪ これでも一時間かかっちゃうんだから、ダメねぇ~♬ もっとサクサクとスピーディーに作成できなくちゃ、文章に費やす時間がなくなっちまうわ!! うん、それはわかってるんだけどね~、っていうか、いい加減タイトル画像について語るのを辞めろ(笑)と、自分でも思う今日この頃(笑) でも、触れたいっ!! 触れちゃいたいたいたいっ!! 好きでやってることだからなおさら!! 触れずにはいられないのっ!!

 さて、今回は【愛】【自由】【希望】について語って行こうと思う。 何を望むかって、全部ほしいに決まってんじゃんっ!! 愚問だっ!! と言いたげなそこのキミ、まぁちょっとそこに腰を下ろしなさいな(・∀・)にっ♬ ボクの考えではね、なぜ「全部ほしいに決まっている」なんて言えるのかがよくわからない。 何もかも一気に満たされてみな? 恐ろしいほどの虚無に襲われるから。 それに、人が望む愛も自由も希望も、人によって色・形は全然違う! 

 一方、この3つのうちどれか一つを選んで人生を歩むにしても、おそらく人は必ず、望んだものとは別の何かに飢え始める。

 これも一つの生き方であり、本人にとっては至福と言えるかもしれない。 人を愛するということと、自由や希望を天秤にかけても、圧倒的に人を愛することを選択できるという、そんな生き方だ。 他のことはまったく視界に入らなくなる分、見失うこともあるかもしれないが、この生き方を選択したら、きっと行くところまで行くのだろう。 では次に、自由を選択する生き方はどうなるだろうか。

 まさに、独身貴族そのものといった感じだ。 今の時代、これを望む人は増えているのかもしれない。 確かに、自分一人の自由を優先しようと思えば、いつでもやりたいようにできるし、誰からとやかく言われることもない。 まさに時間的にも経済的にも縛り無き自由。 ところが、この生き方を選択しても、やりたいことが見付からなかったり、やってきたことに飽きてしまったりすると、それはそれで問題。 そんな状態でもなお自由であることは変わらないのだが、やりたいことが見付からないというのは、人間にとって時に苦痛を伴うものなのかもしれない。 では、最後に希望について表現してみることにする。

 希望を胸に抱くということは、生きることそのものの原動力に成り得るとボクは思う。 前回のnoteでも書いたように、「~生きてさえいれば~」ということだ。 希望を抱き、未来に向かって生き続けることにこそ、愛する人との巡り合わせもあるだろうし、いつしか自由を手にするかもしれない。

 こんなふうにして見てみると、個人的には【希望】を選択したい。 人生は一本道ではなく、時として岐路にぶち当たる。 その都度、【愛】か、【自由】か、【希望】か、そのどれかを意識するといいのかもしれない。 人生を語るにはまだ早いのは自覚しているが、この考え方は正解ではなく、間違いでもない。 

 今の社会、30代、40代の人たちは本当に大変な生き方を強いられていると表現することができるかもしれない。 ボクもそのうちの一人だ。 今もこうして生きていられるのは、偏に「人の支え」のおかげであると認識できている。 家族はもちろん、これまで関わってきた全ての人たちの存在があったからこそ今があると思える。 だから、簡単に人生を諦めてはいけないんだ。 愛されたくても愛されない、自由になりたくても自由になれない、だったらボクと一緒に【希望】を抱こうじゃないか。 生きてさえいれば、必ず良いことがあるってボクは信じているよ。 辛くなんかない。 悲しくも寂しくもない。 やりたいことがあるんだ。 だからこそ、たとえどんなに苦しくても、未来に向かって走り続けるんだ!! (・∀・)いっちに♬いっちに♬ ゆっくりいこっ♬

 ↑この言葉を書いている時に、Mr.childrenの「HANABI」が流れてきて、泣きながら書いた。 自分で書いてて何泣いてんだかって思ってしまった(笑) 本当は、これを読んだ全ての人たちの背中を押したくて書いたのに、気が付いたら自分が背中を押されていた。 やっぱり、ボクは、誰かのために、表現者であり続けたい。 ボクのこの希望だけは、絶対に奪わないでほしい。 頼む。

※今回はここまで♬ 最後まで読んでくれてありがとう(・∀・)あはっ♬ ご意見やご感想などありましたら、当noteコメント欄もしくはTwitterのDMまでご連絡くださいね♬ なお、このnoteは #cakesコンテスト に応募致します♬ また次回もお楽しみに♬


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