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◆虹色アート

美しいと思う、あなたの心が美しい。

相田みつをの言葉の中で一番記憶に残っている言葉。

たぶん、これに間違いはないだろうと思う。

小2の時、

花壇に咲いていた花を見て「綺麗だ」と言ったその瞬間、

音楽の担任にいきなり抱きしめられ、

相田みつをの言葉を言われた。

どういうわけか、

その花は、

今の生活環境で、

自宅のすぐ近くの一軒家の軒下に毎年花を咲かせる。

ピンク色の細長い花びらが一つの花に20~30くらい付いている花。

名前は何というのだろう。


なぜ、そんな一瞬のことを今も覚えているのか。

それはたぶん、嬉しかったからだと思うんだよね、子供ながらに。

そして、音楽の担任から言われたその言葉の意味を自分から知ろうとした。


抱きしめられた記憶というのは、人の心にずっと残るということも知った。

小中高とほとんど良い記憶はないけれども、いまになっても覚えている記憶というのは、出来事が感情を揺れ動かしたもののみ。

それが、感動なのか、恐怖なのか、感謝なのか、絶望なのか、人の記憶には自分のあらゆる感情が絡んでいる。

やりたくなことを自分の子供や部下にさせ続ける人間たちの論拠はいつも、「今までみんなやってきたんだからやるのは当然のことだ」というようなもの。

時にはそれを「努力」や「責任」などと言ったりもする。

そうやって言い聞かせようとしている時点で刷り込まれているんだよね。

随分と長いこと、社会は間違い続けてきたんだね。

もはや誰が悪いかなんて問うことすら全くの無意味で、

納得のいかない社会環境を変えようとせずに惰性でやってきた現在の高齢世代が後世に残した社会はあまりに悲惨なものになってしまったね。

人によって、興味関心は様々だし、得意不得意もそれぞれ違う。

個人の意思を、社会の古い常識で縛り続けて、大学だの資格だの、あらゆる偽の希望を持たせて騙された人たちがどれほどいることか。

外的要因の恩恵で言えば、昭和のほうが圧倒的に恵まれていただろう。

それをね、今になってもなお「努力が足りない」「自己責任」そういう言葉でしか語れない老人たちは、それこそ、自分たちが生きた昭和の時代を忘れてるんじゃないのか?

それとも、現在の令和時代がどうなっているかを認識・理解できていないんじゃないか?

それはそうだろうよ。

老い先短い人たちにとって、未来の話なんて興味ないだろうからね。

むしろ、誰が無責任かと言えば、今の老人たちだよ。結局私益を肥やすことしかしてこなかったんだよね。だから詐欺のターゲットにされているとも言える。

財を持っているところを狙うのが詐欺グループの常套手段。持たざる者は狙われることもない。

記憶の改ざんをしているのは老人たち。彼らが言う努力や自己責任は、現代のそれとはまるで意味が違う。「昔はこうだった」って二度と言うなと思う。

若い世代の人たちは、高齢世代に対する一定以上の憎悪や怒りは持つべきだと思う。「お前ら一体何してきたの?」「何を残したの?」と。

こういう社会しか残せないのなら安易に子供産むなよって思う。無責任なのは誰なのか、浮き彫りになってきてるよね。

日本経済が長期低迷を始めて30年。何を頑張れば良いんだろうね?オレにはさっぱりわからん。

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