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【質量転嫁の法則②】「成功」と「失敗」価値はどちらに・・・

 そもそも、成功と失敗を価値という天秤にかけること自体になんの意味があるのか・・・と思う方もいるかもしれませんが、とりあえずこのまま読み進めてください。

【1】「成功」とは

 公に意味する辞書では、「成功とは、物事を目的どおりに成し遂げること。」とされていて、社会的地位や名声を得ることとも記されています。非常に曖昧と言いますか、抽象的だと感じられます。

 では、人から認めてもらわない限り成功とは言えないのか、人から認めてもらえない状態は成功ではないのか、といった感じで少し掘り下げて考えると、そういうわけでもないのが成功の意味には含まれています。

 認める認めないとは、「一体誰からなのか」ということです。人から認めてもらわない限り成功に至ることがないのなら、成功者とは全ての人から認めてもらった人ということになりませんか?あり得ませんよね、そんなこと。もしそのように思い込んでいる「自称成功者」がいたとしたら、まさに脳内にお花畑が広がっているかもしれません。

 かの有名な元メジャー野球選手、イチローさんほどの人でさえ、引退会見ではこのように言っていましたね。

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 彼は、自身のあらゆる功績を一括りに「結果」と表現し、それら全てを「なんの意味もないモノ」と言いました。誰が見ても成功者と言わしめるほどの成績を残してきているにもかかわらず、本人は自身のやってきたこと自体には言うほどの価値があるわけではない、と。その一方で彼は、こうも言いました。

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 どれほど多くの人たちに認められ、「あなたはれっきとした成功者だ!」ともてはやされたからと言って、満足して踏ん反り返った瞬間から、きっと初心を忘れ、かつて必死にやってきた努力をしなくなるのが、「自称成功者」の末路だということを彼は言っています。

 過去、どれほどの功績を積み上げてきた人間ですら、今現在、何一つ努力をしない人間に成り下がったとするならば、如何なる成功も価値のない「単なる過去」になるだけなのですね。何度も過去の栄光を自慢気に語る人ほど現在においてはかつてほどの努力はしていないのだと、そう考えている人は今も何かを目指して努力をしているものだ、というのが世の習いなのだと言わしめているように感じられます。

 つまり、過去の如何なる成功も「通過点に過ぎない」ということなのです。その時々の成功に満足しないこと、それが成功という言葉の本質的な意味なのだと認識することが適切なのかもしれませんね。


【2】「失敗」とは

 シリーズ①にて述べたとおり、「諦めない限り、失敗が確定することはない。」、これが失敗の本質的な意味だと思います。そして、ここで示す成功の意味と同じく、その時々の失敗も「通過点に過ぎない」ということです。

 1度や2度の失敗で諦めてしまおうものなら、せっかく挑戦した時間も、意思も、時には周りの人たちの協力も、全て不意にしてしまうことになります。極端な話、「自ら死を選ぶ」という選択は、生きることそのものを諦めるわけですから、「人生に失敗した」と表現できると思ってしまいますが、自害は失敗ではなく、逃避です。不意にするのではなく、家族を始めとする全ての関係者にとっての「損失」となります。

 人が失敗することは悪いことではなく、むしろ価値のあることであり、失敗に至る行動そのものは、多くの人たちにとっての教訓となります。しかし、完全に諦めて放棄してしまえば、その瞬間に多くの無駄が発生します。

 学生の頃、部活やりたいと親に打診して、始めはダメだと言われていても、何度目かの打診で、親がこう言うとします。「自分でやりたいと選んだんだから、何があっても途中で投げ出すようなマネはするんじゃないぞ。」と。部下の内容にも因りますが、子が部活を始めるとなると、相応にお金がかかりますから、親の立場としては最後までやり通してほしいと思うのが親心でしょうね。

 ちょっと失敗したから、ちょっとうまくいかないからとすぐに投げ出す癖が一度でも身に付いてしまうと、大人になっても似たような局面に多く遭遇することになりかねません。ですから、子が失敗した時には、叱るばかりではなく、次への挑戦を促す教育が最も適していると言えるのではないでしょうか。

 諦めそうになった時に、人の存在が、それを放棄することを許さないこともあると思います。協力してくれる全ての人たちの顔が脳裏を過ぎり、落ちた腰を上げ、次の挑戦に向けて動き出せることもあるでしょう。自分が失敗した時にこそ、自分にとって大切な人たちの存在を思い返すことが原動力になるのです。

 先ほど部活について触れましたが、野球やバレーなどの「チームワーク」が求められるスポーツでは、いちいち一人の選手の失敗を咎めている場合ではなく、目の前にいる相手チームに勝つためのマインドをキープし、戦術を考えて戦わないといけませんね?試合に負けた時に、「お前のせいで負けた」なんて誰も言わないですよね、普通は。でも逆に、「自分のせいで負けた」と自己嫌悪に陥る人も少なくはないでしょう。

 確かに、試合の流れの中でミスをしてはいけない局面は往々にしてあると思いますが、そういう時ほど緊張もするでしょうし、普段の力量を発揮することが難しくなることって当たり前みたいにありますよね。ただ、本番に強いとか、ここぞという時にこそ120%の力を発揮できるとか、そういうタイプの人間も確かにいますが、誰もがそうというわけではありませんよね。

 ここで、「本領発揮」という言葉が出てきます。本領を発揮すべき時に発揮できる人というのは、タイプがどうであるかはさほど関係はなく、そういう人ほど実直にコツコツ努力ができる人なのだと思います。ちなみに、「実直」とは「誠実でかげひなたのないこと」です。

 ボクは、練習が心底大っ嫌いです(笑)それも、「強いられる練習」が、です。堀江貴文さんがよく例として挙げる寿司職人の修行と同じで、どんなに皿洗いを必死にやっても寿司の握り方は上達しない、というまさにそれです。おまけに、皿洗い中に皿を割ってしまったら寿司職人に向いてない、とか言う人、そもそもちゃんと教える気がないし、指導者として向いてないし、「失敗」に対する認識も「教育」に対する認識も間違っていて、そういう上司や先輩の下についた新人は、仕事が面白くない、仕事が楽しくないなどと思うようになり、目標を見失うようになります。

 練習するのなら、基礎も応用も実践に活かされる手段に特化すればダイレクトに成長に繋げるための練習になりますが、全く関係のないことをやらせて修行だ練習だと偉そうに言う人がボクは嫌いです(笑)ただ面倒事を押し付けているだけで、極めてタテの関係にこだわる体育会系の脳内筋肉バカの言うことなんか聞いてられませんからね。大方そういうタイプの人間に感性なんか感じられません。

 一度の失敗で極端に「お前向いてないんじゃない?」とか「やる気あるの?」とか言う人、本当に無理ですね(笑)なぜだかわかりますか?理屈で言っても論理的に考えても、確実にこう断言できるからです。

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 だから、たった数回のミスや失敗で、一生懸命頑張ろうとしている人に適性がないとか向いてないとか馬鹿にしたように言って諦めさせようとする心無い人間のことを、ボクはクズと呼びます。でも、実際に自分が「そんなんじゃ一生できないよ、向いてないんじゃない?」と言われたとしても一切反応しません。反応すること自体、その時間が無駄だからですね。

 「あなたは失敗したことはないんですか?」って言いたくなるでしょう(笑)でも、そんなこと言ってクズみたいなことを言う人が考えを改めると思いますか?感情を弄ばれて終わりです。そんなことに時間を浪費するくらいなら、「失敗に対する適切な認識を持っている人」とのコミュニケーションを大切にすることのほうがよっぽど大事です。

【3】成功も失敗も「価値のある通過点」

 成功も失敗も通過点、イチローさんほどではなくとも、そのように認識して目標に向かって努力し続けることができるのなら、自ずと次なる成功点に到達することができるのです。

 成功における満足、失敗における放棄、こういう表現をするとですね、単に「成功にも失敗にも価値があるということではない」のだとわかりますね?価値があるのは、こういう成功と失敗です。

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 つまりですね、成功と失敗を分けて考える必要はないというのが今回の結論です。失敗しても諦めさえしなければ失敗が確定することはないし、成功しても満足することがなければ次の目標を目指して努力し続けることができるということです。

 結局のところ、失敗した時も、成功した時も、他者の評価を基準にしている人たちは一喜一憂しやすいし、仕様もない失敗で落ち込み、ちょっと口の上手いことを言われただけで舞い上がるのです。

 でも、今回で言うところの「成功とは」「失敗とは」「実直とは」などというように、本来の言葉の意味を適切に認識していさえいれば、失敗しようが成功しようが、周りがどういう評価をしようが、自分が頑張りたいことをひたすら頑張り続けることができるのです。語彙力も大事ですが、言葉の意味を適切に認識しておくことが何より大事なのです。

 周りに多いのではないでしょうか。悪い言い方をすると、「現代語被れ」。流行語がそんなに格好いいのでしょうか。なんでもかんでも略して言う癖とか、現代では動画の影響を受けている人たちも少なくはないでしょうけれども、自然と自分が「正しく丁寧に話すことができなくなっていること」に気付けない人や、「そんなことはどうでもいい」などと思っている人が非常に増えたのではないかと思います。

 現代語に被れた人がどんなに正論らしいことを言っていても、現代語の影響から真っ直ぐには伝わらないこともあると思います。言語力は大事です。言葉の本来の意味を無視するから、「修行の本来あるべき姿」も考えずに新人に皿洗いばかりさせるような上司や先輩が沸いて出るわけです。「オレたちも昔はそうだった」と。

 未来志向が強く、普段から目指すものがあり、虎視眈々と努力し続けられる人には、そう簡単に勝てるものではありませんよね。方法論で解決することも少なくはありませんが、上の立場にいる教育者の理想像を言うのであれば「失敗させてやれる人」が、もっとも下からの信頼を勝ち取るのではないかとボクは思います。尻ぬぐいが面倒でイヤだと言うのなら、人の上に立つべきではないというのがリーダーシップの基本ではないかとも思います。管理する立場なら当たり前のことです。

 今回は、最後にこの言葉を投下して終了とします。最後まで読んでいただき、ありがとうございます!心から読んで良かったぁー!!と思って頂けた方は、この記事を購入してくださいね!!結構いいでしょう、全文公開有料記事♬次回もお楽しみに!!

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