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誠実

「自分に対しての誠実さ」を保てなくなった時に、僕は苦しくなることに気づいた。

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今年、祖母の死(親類)、理不尽な仕事(会社)、その他コミュニティで、思い悩むことが多く、今年は春先から体調を崩していた。

昔から「人に対して誠実でありたい」と思って過ごしてきた。相手のことを気遣い、向き合い、真摯でいたいと思って過ごしてきた。

普段友達と過ごしている時には、なにも思い悩むことはないが、上記の通り、思い悩んでいた居場所にいるときは、相手に対して誠実さを発揮しようとするあまり、自分の気持ちに蓋をしがちだった。

今に始まったことではない。

10代の頃も、自分の気持ちに蓋をしがちだった。身体を壊したこともある。

20代になり、色々と人付き合いが増えた。なんらかの活動めいたものに誘われたり、そういうことも増えた。その中には、心からやりたいと思えるものと、なんとなく気持ちが乗せられないものがあった(自分の状況や優先度を鑑みて)。後者の方が積み重なると、苦しくなった。

28歳で退職後、再就職活動中にも関わらずいろんなことに誘われて、限界になってfacebookに文章を書いたことがある。明らかなキャパオーバーだった。それでも人と関わることは諦めようとしなかったことが文章から読み取れる。


誠実さを相手に向けようとしすぎて、自分に向けることが中々できなかった。毎年毎年同じような問題にぶつかってしまう。

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きっと「自分を生きる」ためには、自分に対する誠実さを保つことが大事なんだと思う。

自分に対する誠実さとは、

・ここだけは譲らないという線引きを守る
・自分の気持ちに嘘をつかない
・自分を卑下しない


の3点が内包されるものだと僕は考えている。これらが保てないと、人は自分を見失ってしまう。生きることが、怖くなってしまう。何者でもない他者が、怖い存在になってしまう。

生きることが、怖いか、怖くないか、のどちらかだとしたら、僕は怖い。

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そんな僕でも、これまでの人生で、心許せる友達がたくさんできた。自分に対する誠実さを保ちつつ、それでもそこにいてもいいと思えた、思わせてくれた人たちと、たくさん出会うことができた。自分が会いたいと思ったから会った、話したいと思ったから話した。中には、もう会わないだろうな、という人はいるけど、また会いたいな、と素直に思える人たちがたくさんいる。

友達付き合いに何も求めていなかった。それなのに、嬉しい言葉や元気づけられる言葉をたくさんもらった。言葉は自分しか見れない場所に5年前からまとめている。言った本人は覚えていないかもしれないけど、ちゃんと僕は覚えている。

ある日、今までもらった言葉の全てに目を通した。ぜんぶ。なんでこんなに人に恵まれてきたんだろうかと、意味がわからなすぎて、泣いてしまった。

これが自分の人生なんだ。人といて苦しくなることはあるけど、それでもちゃんと人に恵まれた。会って良かったな、と思える人たちに会えた。いろんなこと間違って、もっとこうした方が良かったなとか、そういうのたくさんあるけど、一番大事にしたい部分は間違ってなかったんだ。

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僕には人と良い関係を築ける力がある。全てのあらゆる人とはそんなん無理だけど、自分に対しての誠実さを保ったまま、良い関係を築くことできたことは、今までの人生で、確実にある。そこに自信を持っていいはずだ。

極論だけど、自分は良い影響をもたらすことができる人間だ、という自信が少しでもないと、人は人と良好な関係を築けない。それは友達関係でも恋愛関係でも仕事関係でもそうだ。自分は良い影響をもたらさない、と考えて人と接すると苦しいし、相手を苦しめてしまうかもしれない。だから、そう自身が思ってしまう場所からは距離を置き、安心できる場所にいることが大事だ。ひとりでいるのもいい。体調を崩している間、自信が回復するまで、僕はそうした。

もっと言うと、居場所を増やしたいなら、勇気を出すことや、理にかなった信念を持つことが必要なんだ。理にかなった信念とは、自分自身の思考や感情の経験にもとづいた確信のことであり、根拠のない自信とは別ものだ。信念を持つには勇気がいる。勇気とは、あえて危険をおかす能力であり、苦痛や失望を受け入れる覚悟だ(と、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」に書かれている)。

生きることも人と接することも怖いけど、勇気を出して、今までの自分を振り返って、未来を描いて、信念を持って、自分の力を信じるんだ。

いつか、自分の気持ちを伝えて、誰かとぶつかってしまっても、自分の誠実さを保ち続ける。それでも、なにがあっても、自分を自分たらしめる芯は折れずに変わらずちゃんとあって、それは相手も同じで、相手自身が自身をたらしめる芯は折れない。ということを信じる。信じる勇気を持つんだ。

友達のことを疑いそうになってしまうときは、それは自分に自信がないからそうなるんであって、まずは自分を信じる勇気を持つんだ。僕は友達を罪人には絶対に絶対にしたくない。

そうやって生きていたい。
そうやって生きたいって強く思う。

もはや誰向けの何の文章かわからんけど、

・ここだけは譲らないという線引きを守る
・自分の気持ちに嘘をつかない
・自分を卑下しない

という「自分に対しての誠実さ」をまずは大事にしたい。それで人が離れることがあるかもしれないけど、それでも残ってくれた人のことを大切にしたい。目の前の人も、自分自身に対して誠実でいてほしい。ありたいような姿で生きてほしい。

ということを言語化するのにだいぶ時間がかかったが、言語化せずとも、こうやって生きたいって感じたときに、自分を取り戻した感覚があった。

「人に対して誠実でありたい」よりも
「自分に対して誠実でありたい」んだ。
それが自分を健やかにさせるんだと今ならハッキリと思える。







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