デザイン思考中心の世界

前の記事、タグをつけたとはいえ林さんからスキをつけてもらって、どうしようと動揺している。半端な書き殴りで恥ずかしすぎる。

流産の話はまだ、現実逃避真っ最中なので、気分転換にセミナーに参加。
デザイン経営の話。

デザイン経営、って言葉がそもそもよくわからないがデザイン思考とかデザインシステムを経営に取り入れる、ということらしい。

オシャレとか可愛い、とかじゃない。

そもそも私はイラストとかデザイン物を自分で製作するひとじゃないし、したいという思いは今のところない、のでその手の話ならセミナーにはいかない。

デザイン、という言葉が大きすぎて理解しきれてないが、デザインというのは論理的思考とか統計の逆説語にあたるようで。

理解して認識したところで、ここ最近のニュースとかでモヤっとしていることと合わせてデザイン思考やシステムが、蔓延した場合の先の世界、を思考していた。

新年明けてからのニュースも含めてここ最近、資本主義とか民主主義、法治主義というものに対して、懐疑的になっている。もっというと、このシステムって正しいの?って。

ポピュリズムは、民主主義の根幹だけれど感情でまちがえがちなのではないか。

論理的思考と統計を駆使する官僚制度が民主主義と法治主義を支えるけど、それだと世界のスピードには足りなくて非効率なのではないか。

デザインの力が強くなれば、その思考とシステムを使うのは、1つの意思で方向性。でこれが大きすぎる権限とともにあれば、王政とか独裁の方が運営しやすいのでは?

まだ、モヤっとしているけど、社会のデザインが完璧としたら、PSYCHO-PASSのシビュラシステムともいえる。

デザインだけに社会がよりすぎるということはおそらくないけれど、社会のシステムが変わっちゃう予感の裏付けのような、思考ゲームに突入した。

官僚、役所のシステムって、虐待も市長の暴言も統計調査のミスも、起こり得るエラーで起こってから対処するしかない気がする。

正しい気がする、システムをデザインし直すってことなのかな?改革っていうのは。で、今のところ、デザインが先行しすぎてしまうとシビュラシステムなのかなぁと。それが正しいかはわからないけど。

そんな難しいこと考えたりした1週間だったけど、それよりも暴行はやっちゃダメだよ、何やってるんだよ、って十数年前にかれのデビュー作に心動かされて未だに好きな私は落ち込んでいる。

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