見出し画像

卑屈なわたしの人生の転換

みなさまのnoteを読んでて確かにわたしにも卑屈で(かわいいものなんて絶対に似合わないのに…)と思い続ける日々があったことを思い出したので記事にしてみました。

卑屈になるきっかけははっきりとは覚えていませんが、思春期のころにクラスメイトなどに「ブス」だの「歯並びが悪い」だのなんだの言われて外見を気にし始めたことは間違いありません。
これらは大人になってからも呪いとしてまとわりついています。
子供って良くも悪くもストレートにものを言うところありますよね!

幼少の頃からメゾピアノとかポンポネットの服をよく買ってもらうタイプの家庭で、自分の外見と着ている洋服がマッチしているかどうかなど全然気にせず普通に着ていました。
思春期に入ったあたりからボサボサのくせ毛やニキビが多い肌、毛深いところ、歯並びが悪いところ、痩せていないところ、色白でないところ、などなどコンプレックスが急に増えてしまい、親が買い与えてくれる服と自分が合わないような気がして服を買ってもらうことも、かわいい服を着ることも高校生くらいまでずっと嫌でした。

大人になった今となってはせっかくかわいいお洋服を買ってもらっていたのだから堂々と着ていたらよかったのに、と思います。思春期の自分に会うことができたら呪いを軽くしてあげられたらいいのに、とも思います。
ですが、過ぎたことは変えられないので今現在から未来のわたしのために呪いを少しずつ解いていけたらいいなっていうのは人生の課題のひとつです。
社会人になった頃に呪いに気がつけたことは幸いなことだったと思います。

「呪い」に気がついたときはまだ積極的に可愛いものを身につける気分にはなれませんでした。
気がついたからといってすぐに克服できるわけでもないんですね。
克服ほどではありませんが、「かわいい」にハマったのは新卒ですぐに転職した先がそこそこブラックな企業だったときにプリキュアを見たことがきっかけだったように思います。
疲れ切って友人の家にいっても寝転がってだらだらしていたわたしに友人が見せてくれたプリキュアは(テーマが女児ごっこの日でした)、わたしの目にとても素晴らしい存在に見えて、そこから一気に「プリキュアみたいになりたい!!!!」と強く思ったことを覚えています。

プリキュアみたいになりたい。あのキラキラして前向きで、くじけそうなときも何度でも立ち上がる姿、とってもかわいいお衣装を身にまとって戦う彼女たちがとても羨ましくわたしの憧れになりました。
過労の身に「かわいい」がとても沁みた、という感じです。

それまでジルスチュアートのきらきらした化粧品はわたしには似合わないと思っていましたし、ポールジョーのかわいいリップケースはわたしにはとても無理だと思っていました。スナイデルは若くて可愛い女の子のためのブランドで、ブスなわたしにはとても向いていない。キラキラしたアクセサリーはわたしのために存在していない。リボンを身につけるなんて年齢に不相応。そういった卑屈な気持ちがあっっという間にどこかへ行って(心の奥底に追いやっただけです)、「うるせ〜〜!知らね〜〜!」の精神でジルスチュアートの化粧品を買い、ポールジョーの店へ入り、リボンが付いた靴を買い、雑貨屋さんではキラキラしたアクセサリーを眺め、スナイデルのワンピースを通販でポチりました。

何が言いたいのかというと、わたしの人生の転換のひとつは間違いなくプリキュアでした!!

大学生の頃のことはあまり思い出せないのですが、受験のストレスで激やせしてサイズがSサイズになりスカートを履いても足の太さが気にならなくなったことでなんとなく周りに合わせた「かわいい」を身につけるようになったような気がします!
あとはお化粧を覚えて眉毛を整えるようになったとか、激安カットではない美容院に通い始めて髪が綺麗になったとかですね。

社会人になってからのほうが「かわいい」を周りに合わせてではなく、自分の意志で身につけ始めたように思います。
やっぱり自分で稼いで好きに使っていいお金があるっていいことですね!!

社会人最高〜!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?