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忘れた頃

まさか元旦に震災が起こるとは思っていなかった。

僕は今日、家族と三人で毎年出かける神社へ初詣に行き、帰路はいつも元旦から開いている神社のそばにあるカフェでテイクアウトのケーキを買って、途中の鯛焼き屋さんで鯛焼きを買って行儀は悪いけど食べ歩きしながら帰っていた。

帰路途中に超高層マンションがある。
免震構造のマンション。そばを通るとエントランスまわりがギシギシと音鳴りしている。
建築の仕事をしているので免震構造が機能して建物が揺れていることがわかる。けれど大阪市内で地震を感じていないので、普段でもこんなに揺れるんだろうかと思ってしまった。妻は免震のエキスパンジョイント部分に乗って「無茶苦茶揺れてるよ」と言う。

まさかその時、石川県で大きな地震があったとは知らなかった。
帰宅してから正月番組を見ようとテレビをつけると、どのチャンネルも津波警報を知らせるニュースが流れている。刻々と新しい被害が伝えられる。
ちょうど超高層マンション脇を通っていた時に地震があったのだ。石川県での地震で大阪市内のマンションが揺れている。ぞっとする事実。

忘れていたことを思い出す。
1995年1月17日の阪神淡路大震災。
あの時は新年早々の激しい仕事(今で考えれば超過残業勤務)を終えて、朝の3時くらいに家に帰って寝入ったと思ったら大きな揺れで家具の下敷きになってしまった。外に出ると家の目の前にあるはずの新幹線の高架が崩れ線路がぶら下がっているのが見えた。駐車していた車がとんでもない向きになっていて揺れの大きさを物語っていた。
友人のお母さんや知人が亡くなり、生きているうちにこんなに大きな自然災害に出会うものなんだと、あらためて日々の平凡な毎日に感謝しなければと思ったものだ。

けれど忘れる。そして忘れた頃に思い出す。
2011年3月11日の東日本大震災。
未曾有の震災だった。この時はじめてほとんどの日本人が津波の恐ろしさを知る。しかも二次災害が原子力発電所のメルトダウン。原発事故はいまでも解決できていない。
あの時は建築士として現地に入り被災地を回った。あの時も普通の毎日が送れることの大切さを感謝しようと思った。

あれから幾度となく震災が起こり、その度に生きていることを考え、備えなければならないことを考えた。けれど、けれど忘れる。日々の生活に忘れてしまう。
忘れることは大切だ。悲しみもつらさも時間が経つことでゆるやかに忘却するころで癒されていくからだ。でも。。。

仕事であちらこちらへ移動することが多い。つまりそれは自分にとって大切な人と離れて独りでいることが日常になっているということ。いつ何が起こるのかわからない。


災害を受けた人々や地域がはやく平穏になりますように。


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