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ピンクに染めて⁈

アナログ作家の創作・読書ノート                           おおくぼ系

    

この夏、ピンクの津波が襲ってきた。映画館の扉をくぐり、スクリーンに向かうと突然に異次元にすいこまれ、ピンク・ワールドに転生してしまう。そして、そのピンク色にみちた世界は天国でハッピーなのだった。

 

 アニメやゲームといったエンターテイメントがあふれるなかで、映画の世界も毎回あふれるほどの新作が公開される。出版界と同様にどの世界も供給過剰の感があるのだが、その中でも目を引く作品、いわゆるヒットするものがでてくる。

 今回の〈バービー〉もアメリカでは、歴代の興行収入NO1を更新したとの人気作品である。けっこうシビアなドラマや映画が多いなかで、宣伝からしてわりとノホホンとしてみられるのではないかと、足を運んだ。

 

オープニングで、五歳前後の女の子たちが、今まで赤ちゃんの人形に、ミルクを飲ませたりオムツを変えたりして、夢中で遊んでいたのだが、画面に巨大なストライブのスイムスーツを着た大人のバービー(マーゴット・ロビー)が降臨すると、圧倒されていままでの赤ちゃん人形を壊して捨てるシーンがあった。マーゴットは神々しく、女神として輝いたのだ。まさに成長した女性として、ため息が出そうな均整の取れたボデイとゆれる笑顔、女の子が将来、あこがれるであろう成熟したイメジーを体現させ、次の時代へと橋渡しをし、適役としかいいようがない華やかさをかもし出す。

 

 ご存じのように、バービー人形は、日本ではリカちゃん人形の影になって、やや印象はうすいのであるが、男の子が、自動車やピストルに一度は夢中になるように、リカちゃんも、自分の住まい、ドールハウスに家具や自動車などを継ぎ足して、際限なく自身のハウスとファミリーを広げていく人気となった。

 

 映画の〈バービー〉では、ドレスにはじまり、家具、ハウス、自家用車などのすべてが、ピンク色を基調にしていて、見るものをピンク・ランドに誘い込んでいく。

 桃色は、もともと媚薬なのだろう。そのまったりとした、とろけるような色は、女性特有の幽玄の世界そのものなのだ。そのなかではオトコどもも、ピンクの衣装を着けて、バービーに主役の座をゆずり、女性のわき役でしかない。

 バービーの家では、毎晩のようにダンスパーテーが開かれて、夜通し踊り狂い、パジャマパーティーで終息する。そこに集う女性の面々は、女性の首相に弁護士、医者など、すべての職種が女性により成り立っている社会であり、このバービー・ランドにおいては、男性の〈ケン〉は、〈バービー〉の友達としてビーチにつっ立っているだけで、いわば〈バービー〉の飾り物的存在である。

 年少の頃、女性ご用達の漫画雑誌は、どれもこれもあふれる花で主人公は飾られていたが、映画のスクリーンにより、まさにその花園に男性が迷い込む感覚を体験することになる。女性主導の世界は、このような毎日であろうとの実感がわいてくるのである。

 

 ところが、このような平和な日々に異変が起こり、〈バービー〉は、〈ケン〉とともに、その原因を突き止めるべくリアルの世界にトリップする。そこは、マッチョのオトコどもの君臨する社会であり、〈ケン〉は、男社会の現実を見て存在意義にめざめて、一足先にバービー・ランドへ帰り、ピンク社会を男中心の社会に改革する。

 男たちに実権を譲った女性の首相は、男とともにダンスに興じながら、〈首相でいるのも、若干、シンドかったのよね~〉と、本音をもらすシーンもある。

 フェミニズムの浸透しつつある現代において、系どんとしては、女性は機構や組織のトップにたってはじめて、社会的責任の重さを知ると考えているが、女性はトップにたつとその感情(好き嫌い)により、ますます敵を攻撃するのだという人もいる。

 

 ともあれ、ドラえもんの〈どこでもドア〉は常にあって、表現者による架空の異次元世界と現実の世界はつながりをもっていると思う。〈バービー〉人形の製作者は、〈現実とのギャップを埋めるためにバービーが出来た〉とのたまわれる。

 小説の創作にしても人の〈内面への呼びかけ〉でもって、異次元世界へといざなうのであろう。リアルであれ、ファンタジーであろうとも、創作活動は異次元や並行世界へのトリップをさそうものであり、くりひろげられる創造世界に同化して遊ぶことにより、安らぎをもたらすものである。

この映画のアンチ派はバービー人形を燃やすなどの抗議が起こったというが、社会のピンク化は、紆余曲折しながらも急速に進むと思う。

 

 さて、読書であるが、いまだに前回のハードボイルド路線にはまっている。

 〈新宿鮫〉を〈Ⅰ〉から〈Ⅺ・暗躍領域〉までを無心に読み終えた。それぞれが傑作であり面白いのだが、今回は〈Ⅶ灰夜〉について述べてみたい。この作品は、新宿の舞台をはなれて、サメ氏が、自殺した同期の警視庁キャリアの七回忌に、サツマと思われる地方を訪れ、拉致されたところから物語が始まる。はっきりとサツマとの記述はないが、街の造りや方言などで、サツマがモデルだとわかる。

 もともと、サツマは警察とは縁が深く、維新後に警察制度を創設し初代大警視となった川路利良はサツマ人であるが、西南戦争では、大久保利通とともに反西郷勢力であったために、地元での人気は振るわない。戦後になって出身地皆与志町に誕生碑が建ち、平成11年になり移転した県警本部のまえにようやく銅像が立った。

 

 鮫島は、この地で北九州と地元のヤクザ組織に不信をいだかれ拉致されて、さらに地元の朝鮮人二世や捜査をしていた麻薬取締官とともに異郷の地で難解な事件に巻き込まれる。背景には、北朝鮮員の工作員や密輸がからむのだが、帰化した北朝鮮の二世は、〈国籍を捨てたときから、祖国に命をささげる覚悟はできている〉との信念をもっている。

 先の大戦において、日本は朝鮮、中国へと侵略した立場であるから、ゴメンナサイですまそうとするのだが、侵略された側の恨み〈ハン〉はなかなか消えないのだと常々考えている。さらに明治維新をおこし大戦まで戦争への道をつき進んだ理由の一つとして、権力の中枢で決断したサツマの勢力があったのである。その末裔の系どんは何をかいわんの複雑な心境でもある。

 

自身の小説にも書いたように、〈維新で武士が死に、大戦で戦士が滅びた〉、このように男社会が変貌するなかで、環境がピンク色に染まることになって、女性はますますの自由とパワーを獲得していくが、同時にその責任をも背負っていくことになると考えている。


              (適時、掲載シマス。ヨロピク!)

    


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