20221125

人生初の彼女に別れ話を切り出した話。
「好き」だの「愛してる」だの、言われ慣れていない言の葉に、だいぶ摩耗させられた感が否めない。人の好悪、他者に対する印象は、輪を描いているような気がする。これは感覚的な理解にすぎないから、万人受けするだなんて、爪の先ほども思っていないけど。精一杯カビの生えた頭を回して説明しようとすれば、「可愛さ余って憎さ百倍」というのが、ぴったりとはまるような。
いや、ちょっとズレている?
私を好き過ぎるが故に、私は束縛されていると感じてしまった…こんな言葉で伝わるのかな。
おそらく、この一言に収斂していくんじゃなかろうか。ありきたりだと言えば、それまでだけど、「適切な距離感が掴めないまま、想いが冷めてしまって、醒めた目で“恋愛”という現象を分析しだした」…。ここで打ち切ろう。

”眼鏡のお兄さん”の作家性を分析してみた話。
“眼鏡のお兄さん”とは、元ヒトリエのギターボーカル、wowakaさんのことだけど。身体的表現と言語的表現…。この2つが対立概念としてあるのか、別の選択肢としてあるのか、それがようやく掴めた。対概念ではなくて、両者は互いに補完し合う関係性にあるんだと思う。すなわち、どちらか一方が欠けても不完全で、両方が揃わないといけない、と。

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