何かに憧れ続ける20歳の自己紹介をしてみましょうか。

初投稿に緊張しながらも、自分の話をしてみようと思います。


「 自 分 が わ か ら な い 」


最大限かっこよく表現するならば、これが私のnoteを始めた理由です。20年と言うまだまだ短い人生の途中。思い返してみると、「自分と向き合う」ことから逃げてきた気がします。


自分と向き合うことから逃げてきた私は今、どうなったでしょうか。


そうです、

「他人に依存」 したのです(笑)



お恥ずかしい話ではありますが、少しだけ私の依存歴書いていこうと思います。

あれは忘れもしない2007年12月、『 Hey!Say!JUMP デビュー&ファーストコンサート いきなり! in 東京ドーム 』での出来事です。

なんだよ、ジャニーズかよ〜って思われた方もいるかもしれません。でも、自分に置き換えて考えてみてほしいのですが、何かしらにハマった経験があるのではないでしょうか。アイドル・俳優女優・ドラマ・アニメ・漫画・スポーツ選手、、、この世には沢山の眩しい世界が存在しています。私が堕ちた世界はジャニーズでした。2007年当時、8歳だった私が見た光景は衝撃そのものでした。


全ての始まりは3つ上の姉の影響です。

「どうしてもHey!Say!JUMPのコンサートに行きたいの !!」

思い返してみれば、なんてわがままな姉だったんだと思います(笑)。母親が取ってくれたチケットを握りしめ、何がなんだか分からないまま、8歳のとんちゃんはライブへ連れて行かれました。

一言で言うならば、「衝撃」でした。

キラキラの衣装をまとって、出てきた小さな小さな男の子たち。立ち上がる歓声と鳴り響く音楽。歌って踊って、終始笑顔で立ち続ける彼等のステージは、見たことのない新しい世界そのものでした。これが、私とジャニーズの出会いです。ここから私の依存歴が始まったと言っても過言ではないでしょう。


そこから私はHey!Say!JUMPが好きになったものの、「依存する」までにはなりませんでした。言葉で伝えるのが難しいのですが、当時のHey!Say!JUMPに対する「好き」はオタクとしての「好き」ではなく、憧れの「好き」と言えばいいのでしょうか。" 石原さとみちゃんみたいに細くて可愛くなりたい! " と思春期の時に憧れたあの感覚です。それを裏付けるように、どんどんボーイッシュな髪型・服装を好むようになり、髪を切る際は、知念君の写真を持って行って、この髪型にしてください!と頼んだ記憶もあります(笑)。


そして、事件は起こります。

B.I.Shadowとの出会い

これが私の依存の始まりです。B.I.Shadowを簡単に説明すると、現在のSexy Zoneのメンバーである中島健人君、菊池風磨君に加え、高畑岬君(退所によって脱退)の3人で結成された後、現在のSixTONESのメンバーである松村北斗君、高地優吾君が加わり、4人で活動していたグループです。初めて見た時のあの胸の高鳴りは今でも思い出します。「なんてカッコいいんだ、、、!!」と。この時、オタクとしての「好き」が芽生えたのだと思います。初めて、恋をしたような感覚です。「依存」状態でした。好きになったらもう一直線。少ないお小遣いを貯めて雑誌を買ったり、出演するテレビ番組は録画して何度も何度も繰り返し観ました。MV、メイキング映像は何度見たことか、、、(笑)。

この話は違う形でお話しするとして、次に行きましょう。


時は過ぎ、2011年8月10日、

Kis-My-Ft2 CDデビュー

当時の私は12歳。小学校6年生でした。お恥ずかしい話ですが、異常な程の愛を捧げていたと思います(笑)。大好きだったB.I.Shadowよりも熱狂的でした。発売されたCDは全形態、DVD、雑誌だって毎月買っていたと思います。バカですね。でもその当時の私は、それが楽しくて楽しくて仕方なかったのでしょう。なので、今現在、SNSなどで沢山の写真や、買ったCDの写真を載せている小学生を見ると、可愛いなぁって思っちゃったりするんです。そうだよね、かっこいいんだよね、楽しいよねって。


その頃同時に私は、あることに気がついてきます。

「あれ、キスマイの後ろで踊ってる"Jr." ってめちゃくちゃカッコよくね??」

そうです、この時期が来てしまうのです、、、。Jr.を簡単に説明しますと、ジャニーズJr.という、CDデビューはしていないものの、ジャニーズ事務所に所属し、デビュー組のバックダンサーを務める役割をしています。

彼等はあくまでもバックです。スポットライトに当たることは有名である場合か、最後に少しだけ紹介してもらう場合以外ほぼ無いに等しいです。ですが、注目してみると、とってもかっこいいんです。バックで踊るのはもちろん、早着替えの手伝いや、フライヤーの装着、マイクの受け渡しなど見えない中でも沢山の仕事をしています。そこから私はJr.の沼に堕ちてしまいます。あれは深い深い沼です。堕ちたら一生抜け出せません。


Jr.との出会い。これも私の依存歴には欠かせません。ここで出会ってしまうのです。

安井謙太郎君、田中樹君という2人の存在に。


このことも違う形でお話したいと思います。この2人は20歳になった私に大きな影響を与えている2人です。


こうして私は小学校6年生からいわゆるジャニオタとなりました。ジャニオタ頑張りはちゃめちゃ気は2013年のKis-My-Ft2のドームLIVEでしょうか。毎日のようにLIVEに行っていた気がします。


歳を重ねるにつれて、お金の使い方や考え方を学び、20歳となった現在の話をするとしましょう。冒頭で述べた「自分がわからない」状態に陥っています。自身と向き合うことをやめて、他人に逃げることを続けた結果です。現実逃避とも言えるでしょうか。自粛期間となり、行くはずだった公演はほぼ中止。その時私は思います。

私、趣味以外何も持ってない。

LIVE・舞台に行くことだけを趣味に、楽しみにしていた私にとってこの自粛期間は地獄のような日々でした。バイトに行くこと以外出掛けなくなり、メイクもお洒落もしない毎日。自分自身の生活を振り返る時間が多くなりました。思い返せば、バイト代は貯金以外、趣味にほぼ全額使っていました。私自身にお金をかけるとするならば、たまに買う洋服代、たまに行く美容院、メイク道具なんてもう何年も買っていません。自粛中、改めて自分を見つめ直してみると、「私って何なんだろう、何したいんだろう」と悩めば悩むほど分からなくなってしまいました。この「悩み」が溢れ出した結果、noteを書き始めているのかもしれません。

今現在は、ゆるくゆるくオタク活動をしてます。いわゆる量産型オタクや過激派ではありません。(一時期憧れていた時もありました。現場で見かけると、すごくすごく素敵だなぁって思ったりしてます。)なんと表現すれば良いか分かりませんが、 " LIVE・舞台上で輝く「表現者」" として彼等を見ていると言えば伝わるでしょうか。彼等の内に秘めた想いや葛藤を少しでも感じられたら嬉しい思いで、日々現場に向かっています。多分、自分がわからない分、強い意志で何かを表現している人に憧れ、惹かれてしまうのだと思います。

好きなアーティストの話はまた他のnoteで綴れたらと思います。


だからと言って、私はこの20年間の過ごし方を後悔していません。だって、とても楽しい日々だったから。LIVEに行って元気を貰ったり、舞台に行って言葉の力強さを知ったり。様々な経験ができました。このような状況で行けなくなってしまった今、改めて自分と向き合う時間があり、私はnoteという形で憧れ続けた「表現者」になれたらと思い書いてみた、そんな感じです。これから好きなことを自分の言葉で、自分の好きなように表現していこうと思います。書いてみると意外とまとまらず、難しいですね。私の知らなかった一部分がもう既に見つかっちゃいました。こうして、文字を綴ることで自分を見つけていければと思います。

「 自 分 が わ か ら な い 」20歳が私の知らない私を見つけるnote。

→2020.06.02















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