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120回目の誕生日に綴る

皆さんこんにちは。比文一年の棗です。本日12月2日のアドベントカレンダーを担当させていただきます。

さて、昨日2023年12月1日は作家・小林多喜二の120回目の誕生日でした。何を隠そうこの棗さん、所謂近代作家と呼ばれる人たちのなかで一番好きな作家のひとりが小林多喜二なのです(多喜二さん以外にも何人かいます。それぞれ作風やジャンルやエピソードが多種多様なのでひとりには選べません)。多喜二さん生誕120年というまたとない機会、そして比文生によるアドベントカレンダーという素晴らしい機会に恵まれましたので、今回は多喜二さんについて徒然なるままに書かせていただこうかと思います。拙い文章ですが最後までお付き合いいただけますと幸いです。

私がちゃんとした形で多喜二さんの本を読んだのは中学三年生のときでした。それ以前に小鳩まり『なめこ文學全集 なめこでわかる名作文学』(幻冬舎コミックス)にて『蟹工船』のコミックス版を読んだことがあったのですが原作は読んだことがなかったのです。その時に出会ったのが「文豪とアルケミスト」(DMM GAMES)のイベント『特別要請「太陽のない街」ヲ浄化セヨ』。小林多喜二や中野重治、徳永直のプロレタリア文学作家たちがメインのイベントだったのですが、イベント報酬の回想内の多喜二さんと重治さんのやり取りが印象に残っています。

「……重治、過去を見るんじゃない。俺たちがいる世界で新しい未来を創ろう。もう一度!」
「……うん、もう一度!」

このセリフ(音声付き)を聞いたとき、もう何年も読んでいなかったはずの『蟹工船』(漫画版)の記憶が鮮明に蘇ってきました。そのとき唐突に「そうだ、『蟹工船』(原典)読もう」となったのです。今でも何故そんな「そうだ、京都行こう」のテンションでそう思ったのかは分かりません。何故でしょう。

次の週末に本屋に行き、角川文庫版の『蟹工船・党生活者』を買い、学校の休み時間や勉強の合間にちょっとずつ読みました。読み終わった瞬間に感じたのが「なんかよくわからんけどめっちゃかっこいい」でした。
カムチャッカの極寒の海や蟹工船の労働の厳しさを描く厳冬の風のような文体。登場人物たちに極力個人名を与えないことで個ではなく労働者全体を描き、集団としての力を描く描写技法。そして本編(といっていいのでしょうか)のラストに書かれた、あのセリフ。
「そして、彼等は、立ち上がった。――もう一度!」
打たれても否定されても辛い環境にいても、諦めずに何度も立ち上がる。その工員たちの姿に、その姿を書いて世に残そうとした多喜二さんのその姿勢に、私の心はズドーンと撃ち抜かれたわけです。

ここでひとつはっきりさせておきましょう。私は思想家や活動家としての小林多喜二ではなく、作家やひとりの人間としての小林多喜二が好きなのです。私自身はそこまで思想が強い方ではなく、ただ本と作家と物語が好きなだけ、物語が楽しめればそれでまぁ良しというオタクなのです。

その後同じ本に掲載されていた『党生活者』や図書館で借りてきた『駄菓子屋』『争われない事実』などを読み「多喜二さんの本面白いなぁ」とにこにこと楽しんでおりました。その後多喜二さん本人についても調べるようになったのですが、その史実から「心のやさしい田舎者」としての小林多喜二の姿が浮かんできました。
家族とのエピソード、弟さんとのエピソード、恋人とのエピソード、他の作家とのエピソードなどなど、知れば知るほど「活動家としての小林多喜二」としてよりも「人間としての小林多喜二」が好きになるようになってきました。

個人的に好きなのは志賀直哉とのエピソードです。多喜二さんは志賀直哉の作品を愛読しており、学生時代からファンレターや自身の小説を送っていました。その熱意は志賀にも届いたらしく、志賀もファンレターへの返信や小説の感想などを送ったり獄中の多喜二さんに差し入れしようとしたりと、ふたりの交流はただの作家とファンの関係性を超えたものに発展していきました。1931年11月、当時特高にマークされていた多喜二さんは遂に奈良に住んでいた志賀の元へと会いに行っています。そのときも志賀は好印象を抱いたようです。多喜二さんの死後、志賀は日記に「警官に殺されたるらし、実に不愉快」と記し、多喜二さんの母・セキさんに弔辞を送っています。手紙によるやり取り、一度だけの邂逅であってもふたりの間には親密な関係性があったのだということが伺えるエピソードだと思います。志賀が多喜二さんに送った手紙やセキさんに宛てた弔辞は志賀直哉『白い線』(大和書房、2012年)、多喜二さんが志賀に送った手紙は『小林多喜二と『蟹工船』』(河出書房新社、2008年)に掲載されています。話は脱線しますが『白い線』には『太宰治の死』っていう太宰治『如是我聞』へのアンサーみたいな内容の文章とか『沓掛にて』っていう芥川追悼文も載っているし『小林多喜二と『蟹工船』』には『心のやさしい田舎者』っていう重治さんが書いた多喜二さんの回想録もあるしその他の多喜二さん書簡にも多喜二さんの人となりが分かる一節がたくさんあるのでその界隈が推しの方は是非読んでください書簡だと「闇があるから光がある」の恋人宛ての手紙と「僕は月を愛している」の重治さん宛ての手紙が好きですよろしくお願いします(ここまでノンブレス)。

さて、このようにして多喜二さん始め数多くの文豪たちに狂わされる中学・高校時代を送ってきた私ですが、「文学についてもっと研究したい」という思いが募り、ついに筑波大学比較文化学類への受験を決意しました。以下は私が実際に面接で話した志望理由の一部です。

私は将来、文化芸術に関わる仕事に就き、人々に文化芸術の魅力について伝えていきたいと思っています。中学生のときに小林多喜二の『蟹工船』を読み、何十年も前に書かれた言葉がこれ程までに人の心を揺さぶるのかと感動し、自分が感じた魅力をもっと多くの人に伝えたいと感じました。私は、人が耐えきれないほど辛く苦しい現実に直面したとき、人を支え、人を生かすのは、人が作り出した文化芸術だと思っています。戦争や感染症などによって先の見えない混沌とした今の時代だからこそ、そのような文化芸術の力が求められていると考えています。だからこそ、人と文化芸術を繋ぐ架け橋として社会に貢献したいと考えています。

これを先生方の前で話したのが11月30日。そして来たる12月13日、私は無事合格。私の高校が帰りのホームルーム前のスマホ使用が禁止だったため合格発表は休み時間に掃除ロッカーの影で確認したんですが、衝撃のあまりロッカーに頭ぶつけました。むちゃくちゃ痛かったです。

このようにして私はこのつくばの地にやってきました。卒論はもちろん多喜二さん……と言いたいところなんですがまだ迷い中でして。今のところの興味は文学作品の受容の歴史やゲームや文学作品などに描かれた歴史上の人物の表象やそれが与えた影響について(いわゆる「FGOマジック」的なやつですね)などです。個人的には角川文庫版『蟹工船・党生活者』掲載の雨宮処凛『新装版にあたって』にある2000年代における『蟹工船』の受容についても気になるし、絶対文アルで多喜二さんが登場したことで何かしらの影響あったよな……(文アル実装後に徳田秋声『あらくれ』や松岡譲『憂鬱な愛人』などは復刻版や新装版が刊行されている)とも思っています。市立小樽文学館でも文アルとのタイアップやってるし。

いずれにせよ、あの日あのとき文アルに出会っていなければ、「そうだ、『蟹工船』読もう」となっていなければ、本屋で『蟹工船・党生活者』を手に取っていなければ、私は今ここにはいなかったでしょう。「あの日に出会った一冊の本が私の進むべき地図と」なったわけです(鍵かっこ内はROU『魂となりて』より引用)。まさに運命。あの日本を手に取ってくれてありがとう過去の私。作品を語り継いでくれてありがとう数多の人々。作品を書いてくれてありがとう多喜二さん。

私の一人語りはこれにて終幕です。ですが最後にひとつだけ言わせてください。
多喜二さん、120回目の誕生日おめでとう。あなたに出会えて、私は幸せです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。



参考文献


小林多喜二『蟹工船・党生活者』(角川文庫、2008年)
雨宮処凛『新装版にあたって』(角川文庫、2008年)
志賀直哉『白い線』(大和書房、2012年)
『小林多喜二と『蟹工船』』(河出書房新社、2008年)
ROU『魂となりて』(作詞:吉谷晃太郎、「舞台『文豪とアルケミスト』 綴リ人ノ輪唱」主題歌、2020年)
「文豪とアルケミスト」内イベント『特別要請「太陽のない街」ヲ浄化セヨ』報酬回想


本文に書ききれなかったおすすめ図書(私の趣味)


小林セキ=述/小林廣=編『母の語る小林多喜二』(戦後にセキさんが語った回顧録。記憶が曖昧な部分が多いようですが、いち人間としての小林多喜二を物語る一次資料としておすすめです)
三浦綾子『母』(九十代のセキさんが作者に語った回顧録、という体で書かれた小説。個人的には多喜二さんと弟・三吾さんのエピソードにおける多喜二さんがあまりにもお兄ちゃんしていて好きです。私もこういうお兄ちゃん欲しかった。余談ですが私は高校時代にこの本を読んでいたらあだ名が「母」になりました。なんとなく解せぬ)
柳広司『アンブレイカブル』(1925年の治安維持法成立から1946年の治安維持法廃止までを生きた人々たちの姿を第三者の語り手たちの視点から描いた短編集。多喜二さんは『雲雀』にて銀行員としての仕事の傍ら元蟹工船搭乗員たちの元へ取材に来る小説家として登場します。作中でも言及されるのですが、この作品の多喜二さんは「この人が本当に『蟹工船』や『三月一五日』の作者なのか」と疑うような心優しい真面目な好青年として描かれています。またこの作品の語り手には政府側の人たちもいるため「政府側の人たちが見た治安維持法施行下の日本はどうだったのか」ということを知るきっかけにもなるかと思います(執筆に当たって使用された参考文献が載っていないのが惜しいのですが……))
その他多喜二さんの著作(私のおすすめは『駄菓子屋』です。設定から見るに実際の小林家をモチーフにしていると考えられるのですが『母の語る小林多喜二』などから伺える小林家の印象とはかなり違うんですよね。創作的な意図か、はたまた子から見た自身の幼少期の記憶と親から見た我が子の幼少期の記憶とでは差異があったということなのか……あと文庫版で読む場合は是非解説も読んでください。作家の人となりがよく分かって「好き」が増します)
当時の作家たちも多喜二さんについて色々書いているので是非読んでください。

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