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「仮母親」からの人生最後の仕打ち(前編)

きっと、「私の事なんか早く忘れてくれ。」とあの人は思っていることだろう。

「ずっと隠していたのに。ずっと内緒にしてきたのに。ずっとお前を騙せているつもりだったのに。
全部知ってしまったのならもう忘れてくれ…」
と。

3人きょうだいの中で長女の私だけを「自分の産んだ子ではない」と周囲に話していたあの人。
それを知ってからの私はあの人の事を「母」と呼ぶのはやめてしまっていた。
そう言いふらしていたのを知ったのは悔しいかな「母」の死後半年経った頃。
ちなみに、最初に他人にそんな告白をしていたのは、脳梗塞で高次脳機能障害を患う何年も前の事らしい。

自己紹介やタグから「毒親」という言葉を消してしまい、ここ何年か特に酷い仕打ちを受けてきた時系列のnoteも削除してしまったのはこれが原因だった。
振り返りながら追体験をするのは非常にしんどい作業であり私には負担だった。
気分転換に好きな話題で気晴らしをしたり、名前を変えたり(コロコロ変えてごめんなさい元ペイルです)していたけれど
うっかりすると私の心を支配してしまう真っ黒なモノはこの「真実」だった。

「毒親」とは「実際に産んだ親」という前提があり「我が子に毒」となる。
私には「実親」は最初からいなかったんだと考えるようになってしまい、私が毒親や愛着障害、アダルトチルドレンなどを語るのはどこか蚊帳の外のような気がして、実際に苦しんでおられる「実親の毒」で悩む方々と肩を並べるのはどこか引け目を感じていた。

しかし、それは簡単に覆された。

「あの人と私が血が繋がっていない」というのは全て作り話だった。
あの人は何の為にどんな顔をして産んだ覚えは無いと言ったのだろうか?
じゃあ何故母子手帳や臍の緒があるのか。
勿論戸籍も確認し、そして周りの協力もあり「確固たる嘘」だと判明した。

正気に返った私。

何処からか知らない赤子が突然現れあてがわれ、お前達が育てろと言われたそうだ。

んなことあるか。


何故そんなすぐにバレるくだらない嘘を何十年もつき続けていたのか。
そこまで産みたくなかったのか、産んで後悔していたのか。
それとも精神疾患だったのか、一体何だったんだ。

本人に確認できないまま、私はこれまで混沌とした時間を過ごしてきた。
何度天井を仰ぎ「幽霊でもいいから出てきて説明してほしい!」と叫んだか分からない。

悔しくて悔しくて私は泣いた。
他人の子を無理矢理育てさせられていたから、ずっと私は酷い目に遭っていたのかと。


その間に理不尽な事を言われもした。

「それは私の知らないところでお母さんが決めた事です。私はそんなこと言った覚えはありません。」
と言うと
「もうお母さんお母さん言うことじゃないでしょう?お母さんのせいにしないの!」

あの人のかつての仕事上の付き合いだった人。この人とは会話にならなかった。

何が「お母さんのせいにしないの!」だ。
まるで私がお母さんベッタリで何も判断できずいつまでもおかーさーん!!と泣いて暮らしているとでも言うのか。
その人は、親を突然亡くした人間に叱咤激励のつもりだったみたいだが、逆に私を怒らせた。

何も知らないクセに。
あの人の事も嫌いだっただろうに死んでから悼むフリをするなと。
一体何の罪悪感なのか。

仕事に関しては私に何の権限も決定権も無かった。
勿論責任を死んだ人間に押し付けるつもりも無い。
今まで想像もして無かったような話を初めて聞き感想を述べたまでだ。
その場にいなかった人間(私)のせいにしたのはあの人だ。
「あの人」と呼ぶと空気が凍るので「お母さん」と呼んだまでだ。
そして何よりももうあの人を母とは思っていない私がいた。


とんだ理不尽さに眩暈がした。
寝耳に水だ。
小さな事を一つ一つあげるとキリがない、私の知らなかった嘘の数々。
あの子が決めたから、あの子が嫌がったから、あの子が怒ったから。
「お母さん、こう言ってましたよ?」
周りから聞かされる度に頭から煙が出そうだった。
全部私のせいにしていた。

自分より他の人が少しでも目立つ言動をすると、妬み、嫌い、時には烈火の如く怒り散らしていた人間が、よくそんな「弱い母親」ぶった嘘をつけたなと逆に感心した。

その瞬間、もしかして周りの人は皆そう思ってるんじゃないだろうか…
と不安がよぎった。
私は全てにおいて悪者にされていたのか?
10年前から会社を手伝い一緒に運営し、1番近くであの人を陰で支えて来たのに…。
「私の前に立つな」と言わんばかりの態度をいつも振り翳していたのに。
私を支配者の様に周りに言いふらし、あの人は何か得な事があったのだろうかと。

恐らく
注目されたい、可哀想だと思われたい、苦労したねと言われたいが為の嘘の告白だったのだろう。
少なくとも「血が繋がっていない」という嘘については。
会う人それぞれに適当な嘘をついていたのが分かった。
それを聞いていた人曰く
「仕事も手伝ってるし、本当の母娘みたいだねって思ってたよ。それが嘘だったとは…そんな事ある?私だけに言ってくれてたものだと…他にもその秘密を聞いてた人がいたの?!えー!」
と驚いていた。

秘密か…。
どこか嬉しそうに、苦笑いをし少し困った様に話すあの人の顔が浮かんだ。
そしていつもの言葉だ。
「あの子には内緒だから絶対言わないようにね。知ってるのはあなただけなんだから。」

あの人が思いつくままに我が子だけでなく他人を軽く扱っていた問題が明るみに出た。

それからは正真正銘の娘だということが恥ずかしくてたまらなかった。
本当に親子でなかった方がどんなに気が楽だったか。
お願いだから「実は親子じゃなかった」と誰か証明してくれ。
顔はたまたま似ただけだ。
嘘つきの娘だと思われたくない。
知られたくなかったのなら何故墓場まで持って行かなかったのかと、私は天を仰ぐ日々が始まった。

周りに何を言われてもまるで他人事のように対応するようになる。

「お母さんよくこんな事言ってたねえ」
「そうですね(知るか)」

「息子さんを異常に可愛がってたよね」
「ほんと、そうでしたね(どれだけの金をボンクラに渡してたか。継子いじめで苦しんだのは私)」

私はそうやって存在しない相手に胸の内側で反抗することで必死に心の安定を図ろうとしていた。
色々と判明してからは、写真を見ることすら嫌だった。
お腹を痛めて産んだ我が子に、私ならこんな思いは絶対させない。
私自身の子にもこの事を伝えると
「じゃあ血の繋がったおばあちゃんではなかったのか?!だから自分にはお小遣い少なかったのか…」と鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

孫にまで差別か…この人でなし。

子供の頃から何度も聞かされた。
「産むつもりは全然無かった。堕すつもりで病院に行ったら出来ないと言われたからしょうがなく産んだ。だから産んだことを感謝してほしい」と。

古ぼけて茶色になった母子手帳に、記入されていた初めての受診日は妊娠6ヶ月に入った頃だった。
精神的虐待は、私が胎児の頃から始まっていたようだ。

産んだ覚えがないのなら、感謝も何もないだろう。

それからというもの
悲しみ、時には怒って恨むしかない、感情のやり場もない毎日を過ごすのは、私の心に深くダメージを与えることになる。

そして、今でもそこで生きていて、私を苦しめているかのような錯覚も起こしていたのだった。
何かをしたら怒られる(邪魔をされる)→私がこうするから上手くいかない→自信喪失→あの人の呪い
いつもこのパターン。
それが俗に言う「愛着障害」というものなのか。

そうかと思うと一方で、自分は恩知らずでここまで冷たい人間だったのかという考えもよぎる。
もう1人の私が言う「親子でなかったとしても育ててくれたじゃないか。
仕事も一緒に喜び悲しみ頑張ってきたじゃないか。」

私はその狭間の地獄で苦しんだ。

「理不尽」という今にも崩れそうな橋の上を、誰かに攻撃されないように恐る恐る手探りで歩いている。
そんな人生で私は死ぬ時に「良い人生だった」と言えるのか。
あの人を死に追いやった人間(他のきょうだい)は、他人の汗水流して稼いだ多額の現金を棚ボタで貰い、のほほんと恥ずかしい空想に耽ってヘラヘラ笑っているというのに。

ソウゾク問題で、結果私は借金が増えただけ。
これも何もかも全てあの人のせいだ。


見えない何かに怯えながらこれからもずっと生きていかなくちゃいけないのか?
あの人のために頑張ってきたのは私なのに?
今までの私の人生はただ利用されただけだったのか?
なのに、未だお前を産むんじゃなかったという呪いの言葉をまだあの世から投げつけてくるのか?

憎しみに支配されたまま漆黒の地獄の底で叫ぶだけで、かつて存在していた本来の自分には戻れないのだろうか。
もう二度と。

あの人のせいで。あの人のせいで無駄な時間を何年も過ごしてしまった…
そんな事を繰り返し考え続け
理不尽な思いがずっと消えなかった。

ここに生きて実在している、という実感が無いまま、毎日毎日虚な目で過ごし…
再発した鬱病が以前のそれより重くなり、家族や周りの人達に迷惑をかけた。

今回は仕事上でもお世話になっている精神科医に相談も兼ねて受診を続けている。
あの人が突然いなくなってからの一連の出来事を全て話し、多分今では誰よりも仕事や私の問題を理解してくれているのではないかと思う。
「同じ業界の仲間なんですから。なんでも相談して下さい。」
私と夫が歯を食いしばってやってきた事を第三者に労ってもらい、初めて人の優しさに触れやり甲斐を感じた。
そうやって励まされ支えてもらい、もう2年になる。

「そんな状態でよく続けてやっている」
と言っていただけた言葉が2年前は自分の事のように思えなかった。

現在は
「ソウゾク」の件に決着がついてからは、どこかに逃げ出していた「自分」が、周りを気にしながらゆっくりと帰ってきたような感覚になった。

「よくここまでやってきたな。いやほんと偉かったよ…」
と言える私が少しずつだがたまに顔を出すようになっていた。

しかしあの人への疑問はまだ消えない。
この理不尽な悲しみと苦しみは、この先癒える事はあるのだろうか…。

そんなある日、私はこんな夢を見たのだった。

次回へ続きます。












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