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土曜ドラマ『わげもん〜長崎通訳異聞〜』第二回「消えた漂流民」

 黒船来航前夜、嘉永2年(1849年)。伊嶋壮多は、オランダ通辞であった父を探しに長崎にやって来る。そんな折、アメリカ籍捕鯨船から逃げ出したサモア島民・カイを匿うことに。カイを清の船長に託し一息ついたが、どうやら彼は長崎に戻っているらしい。何があったのだろう?

贅沢なミステリになってきた

 このドラマはプロットがなかなか複雑になっております。
 消えた主人公の父は何者だったのか? カイはどうなったのか? 神頭が密貿易に関与している? 背景には迫るアメリカがあり……と、ものすごく複雑なのです。二重に三重に糸が絡み合っています。抜荷に神頭が絡んでいると見破られるところなんて、スリリングでしたから。
 登場人物もキレもの揃いだし、皮肉を言ったり、本音と建前があったり。これは結構難しい話だと思えます。

幕末前夜、知識の偏りをつきつけてくる

 このドラマは正月時代劇『風雲児たち』も思わせるものがありまして。実は幕末の“物語”をひっくり返す要素があるんですね。幕末の“物語”とはじゃあ何か、ってことですが。
 それは幕府が無策で、維新志士たちだけが国を真剣に考えていたという、薩長史観とでも司馬遼太郎史観とでも呼ぶべきようなものなのですが。そうではなくて、このドラマは幕府が抱えていた問題まで含めて描いています。
 幕府がちゃんと海外から情報を得ていたことも確か。オランダ語だけではもう無理だ。英語も学ばないといけない。そういう対策をしていたこともそう。そしてオランダが情報を隠蔽する体質もそう。これはフェートン号事件後から意識されていたことで、ナポレオン支配下にあることをオランダが隠そうとし、日本側が探ろうとした情報攻防戦があったんですよね。
 当時の日本人でも、鋭く賢い人たちは、幕府の目をかいくぐって情報を得ようとしていた。このドラマには、そういう人々がたくさん出てくるようです。彼らって歴史から消えてしまったようなところはある。幕末の“物語”に彼らの居場所はなくて、維新志士の英雄譚に上書きされてしまったように思えると。
 歴史に名を残していないようで、新しい歴史に向かって歩いていた人々がいる。そう示すことって、ものすごく大事だし、勉強になると思えます。幕末の研究でそのへんはちゃんと証明されているのに、大河ドラマあたりではそれが反映されず、年配者はまた司馬遼太郎の話をしている。これではあまりに不健全だし、なんとかならんのかと私は思っておりまして。

若い世代に届ける時代劇

 そうしたら、このドラマが出てきた。これは若い年代にぜひ見ていただきたい作品ですし、だからこそのキャストだと思えます。このドラマは永瀬廉さんと小池徹平さんの二人を筆頭にともかくキャストがいい。永瀬さんと小池さんの何がいいって、武勇よりも智慧、それに優しさと誠意が持ち味のところでしょう。
 若い世代でも時代劇にハマる役者さんはおります。ちょっと上の年代だけど山本耕史さんや向井理さんはもう言うことがないと思える。溝端順平さんや中川大志さんも最高です。彼らと比較して、永瀬廉さんが時代劇主演と言われても、正直言って私はピンと来なかったと思う。殺陣が似合うかな? 和装は? でもそれは私も時代劇はこうだという偏見があったからなんでしょうね。このドラマの主演は、それこそ永瀬さんだからこそだと思える。ものすごく繊細で心優しい壮多は、彼ならではだと思えるのです。

 永瀬さんのインタビューに、時代劇というとチャンバラだと思っていたというコメントがあった。これぞまさしくこのドラマの狙いでは? 壮多たちは言葉と誠意で立ち向かってゆく。そこがまさしく新しい時代劇だといえる。あ、でもこのドラマ、殺陣も結構いいんですよね。
 出産の場面。中国史考証。複数の言語を使いこなす。ものすごく手間暇かけているドラマです。

 時代劇がおじいちゃんおばあちゃんの娯楽となって、衰退した原因には色々あると思います。それをひとつひとつどうしたらいいのか考えていくとキリがないけど、身近なものと思えなければそうなるだろうと。
 強くて偉い人がバタバタ悪党を切り捨てるとか、やっぱり入り込めないとは思うんですよね。特に最近は韓流と華流が伸びているし、ああいう水戸黄門みたいなのでは古い。藤沢周平路線も、金勘定路線も古い。
 人間が人間を思い、助け合い、世界をよりよくしようとしていた。それはどの時代でもそうだった――そういうアプローチが求められているんじゃないかと。それは今回、サモア島民と、アメリカ人が歌い上げる様を、日本の役人が見守る場面で痛感させられたのです。歌い、大事な人を思い、夢を見て、前に進みたい。そういう気持ちに国境はないはずじゃないか。そのことを幕末の人だって感じていたと思う。そんな普遍的なあたたかみがある場面でした。

 たまたま舞台が昔だから、ちょんまげを結っている。でも、いろんな人がいて、助け合って生きていたというところは同じである。そういう描き方をした方が、これから通じる時代劇になることでしょう。そういう新しい試みをこのドラマからは感じます。
 そんな新時代にふさわしい時代劇主演として、永瀬廉さんはきっと記憶に残るだろうと思います。すごい試みです。ほんとうにこのドラマは見ていていろいろなことに対して希望を持てます。

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