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私の音楽物語

この記事は、「私の音楽の四方山話」(1)~(3)を一つにまとめたものです 。すでに記事を読まれた方はスルーしてください。

私が音楽に目覚めたのは、小学生の頃 に兄のステレオで聴いたボビー・ソロの「君に涙とほほえみを」 聴いてからだったと思います。「セ ピアンジ ア モーレ イオ ピアンゴ コンテ・・・」 甘くて震えるような歌声に惹かれて歌が好きになりました。小学生の頃はボーイソプラノでよく歌っていて、白黒のテレビで見た「ウィーン少年合唱団」に憧れていましたが、変声期を迎えた中学生の頃は天文の方に興味が移り、音楽への関心は薄れていきました。

しかし、高校生になってから、フォークギターが天体望遠鏡に取って代わりました。フォークソング全盛期で吉田拓郎に憧れたからです。「青春の詩」や「人間なんて」の世界観が好きでした。ギターのレベルはコードが弾けるレベルで止まってしまいましたが、これが後の教師の仕事に役立つとは思ってもみませんでした。

洋楽では、ニルソンの「Without You」。ワムの「Freedom」、「Last Christmas」。そして、「Mrs.Robinson」のサイモン&ガーファンクル。 ビートルズはほとんど聴かず、完全なS&Graf派でした。

彼らのコンサートに行ったことがあります。後楽園球場のアリーナ席のセンター前寄り、「絶景かな、絶景かな」と叫びたくなるくらいの良席でした。しかもそのチケットは急用ができた同僚から譲ってもらったものでした。開演は18時。前座をつとめたのは、「かぐや姫」。持ち時間は30分間くらいでしたが、さんざんな言われようで気の毒でした。まあ、それも仕方ないかもしれません。聴衆のお目当ては、サイモン&ガーファンクルなのですから。それでも、彼らはなかなか出て来ません。登場したのは20時。1時間半待たされてた聴衆の怒りは、彼らの出した一音で歓喜に変わりました。サウンドが全く違うんです。超一流のサウンド。ごめんなさい!「かぐや姫」さん。格が違い過ぎました。本物を聴かせられた聴衆は ぐうの音も出ず 、盛大な拍手でそのタレントを褒め称えました。僕はサイモンの歌声に圧倒され、こんな世界が存在するんだと心底心が震えました。素晴らしい時間をありがとう!これは物には変えられません。チケットは料金であって代金ではありません。

歌声と言えば、スーザン・ボイル。日本公演があると知って、武道館まで足を運びました。この公演も前座がありました。フルオーケストラとミュージカル歌手のパフォーマンスです。お目当てのスーザン・ボイルはなかなか出て来ません。前座の演奏中、ホールの外側の通路から奇声が聞こえてきました。彼女の声かもしれません。超売れっ子になってから精神を病んだ、と何かの記事で読んだことがあります。結局、スーザン・ボイルは終演間際に登壇し、歌ったのは3曲だけでした。この公演は、スーザン・ボイルの名を借りた興行だけを目的にした公演に過ぎなかったのです。スーザン・ボイルの魅力を感じることは叶いませんでした。

この他に、よく聴いたのは、 カーペンターズです。カレンの歌声は音圧が一定で低音域に包み込まれる優しさと艶やかさがあり、リズム感や安定感も抜群で聴衆をリラックスさせる力を持っていました。類まれな才能(タレント)と共に旅立ったカレン。残念と言う外ありません。

カーペンターズと関わりの深かったのが バート・バカラックです。 メロディックで斬新なアレンジの バカラックの演奏を聴くようになってから器楽演奏に興味を持つようになり、一番心惹かれたのは、ビッグ・バンドでした。

BUDDY DE FRANCO 率いるグレン・ミラーオーケストラの ロンドンロイヤルフェスティバルホールでのライブ版は ミラー最高の演奏です 。これ以上の演奏はもう出てこないでしょう。

他に、ビリーヴォーンオーケストラ、 thad Jones mel Lewis &The Jazz Orchestra、 カウントベイシー 、デュークエリントン 、ベニーグッドマン、ウディ・ハーマン、トミー・ドーシー、バディ・リッチ、スタン・ケントン、ルイ・ベルソンなどを聴きました。

終盤に集中して聴いたのが、秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドです。作・編曲はジャズ・ピアニストの秋吉敏子です。彼女は、音の塊やうねりを創るのが得意です。メロディーは東洋的でエキゾチック。メリハリが効いていて、ドンピシャで決めてきます。ここがとっても格好いいのです。和楽器とコラボするなど、どの曲も工夫されていて、飽きずに楽しめます。その一例で、「Tuning Up」という曲があります。器楽の演奏会の場合、舞台に立つ前に必ずチューニングします。クラシックの場合は、観客の前で、チューニングすることが多いです。特にオーケストラの場合は、コンサートマスターがまず立って、オーボエにA(ラの音440Hzか442Hz)の音を出させて、コンマスのバイオリンをチューニングします。その後、木管楽器・金管楽器がチューニングして、最後に弦楽器がチューニングします。先の曲は、これをまねたのです。秋吉さんの遊び心です。バンドのメンバーは、あたかもチューニングしているかのように銘々、勝手な音を出しますが、ある一点で、ばしっと音が揃って曲が始まります。これが格好いいのなんのって、聴衆は一気にその曲の虜になります。(ROAD TIME~コンサート・イン・ジャパン1976)


聴き続けていくうちに沸き上がってくるのが楽器への興味です。 グレン・ミラーサウンドの特徴はクラリネットとサックスのハーモニーにあります。私は音色でサックスを選びました。思い立ったらやらないと気が済まない性分なので、楽器屋さんに乗り込んで、テナーサックスを買ってしまいました。教師になる前は会社勤めをしていたので、会社の寮にあった小さめの体育館で、早速、音出しをしてみました。すると、フオー、フオー、と息が漏れるだけで、テナーサックスのあの重厚な音が出ないのです。「嗚呼、やってしまった😵💧」と思いました。 

テナーサックスの続きの話ですが、結論から言うと、やめました。今も全然吹けません。楽器店に寄ると、ついついサックスを見てしまいます。サックスは姿がなんといっても美しいし、音色も色気があって魅力的です。それなのに何でやめたか、と言うと、ちょうど、進路変更の時期と重なってしまったからです。

私は2年間勤めた会社を辞めることにしました。次のステップの準備のため、テナーサックスはあきらめ、売却しました。

それから何年かは学生とバイトの生活で忙しく、音楽とは無縁でした。
そんな中、暮れも押し迫る、ある日のこと、いつものようにバイトに励んでいたら、第九が聞こえてきました。そしたら無性に第九が聴きたくなって、テナーサックスの時と同じように、バイトを早々と切り上げて、新宿厚生年金会館に乗り込んでいました。

第九はオーケストラの稼ぎ頭ですから、年末は、ほぼ毎日、公演があります。でも、公演はあってもチケットがあるとは限りません。ご多分に漏れず、当日券もキャンセル待ちの状態でした。

ここのまま帰るのも癪だったので、当日券売り場に並びました。程なくして、一人の男性が私に近付いて来て、こう言いました。

「1枚チケットがあります。良かったら譲ります。どうですか?」

この男性は、いわゆるダフ屋ではなく、正規の値段で譲ってくれました。どうしても聴きたかった第九。果たして私の期待に応えてくれるのでしょうか?
その心配は杞憂に終わりました。
指揮は、NHK交響楽団名誉指揮者のオトマール・スウィトナー。オーケストラを生で聴く初めての体験でした。これを境に好きが高じて、毎年、第九をはしごするようになりました。

私の性分からいっても、第九だけで満足するはずがありません。東京文化会館にはよく通いました。長い間、東京交響楽団の年間会員にもなりました。東京交響楽団の演奏は音楽に真摯に向き合う姿勢が常にあり聴衆の期待を裏切ることがありませんでした。

特に素晴らしいと思ったのは、NHKの番組で放送された、サントリーホールでのモーツァルトの交響曲第41番の演奏です。指揮は、東響桂冠指揮者のユベール・スダーンで、ノンビブラートの響きがことのほか美しく、その美しさの中で紡ぎ出されるモーツァルトの揺れ動く旋律とふくよかさを見事な指揮ぶりで表現し、団員もそれに応えて気迫のこもった演奏を繰り広げました。

演奏を聴き続けるうちに沸き上がってくるのが、楽器への興味です。勿論、それはオーケストラで使われる楽器です。そこで、私が一番最初に思いついたのはサックスでした。でも、オーケストラでサックスが使われるのは、ドビュッシー以降の曲からなので活躍する場はほとんどありません。熟考の末、私が出した結論はバイオリンでした。この後、「嗚呼、やってしまった😵💧」と思い知らされることになることも知らずに。

取り敢えず、初心者用のバイオリンと弓を買いました。次は先生探しです。最初に習った先生は年配の方で、ひたすらボーイングだけをやらされ、曲はやらないまま、結局、半年で辞めてしまいました。今思えば、あれは愚かな選択でした。バイオリンの場合、音楽を創るのは、右手のボーイングだからです。

この半年で バイオリンのとっつきにくさがよくわかりました 。バイオリンの構え方からして 超不自然。体にマッチしていないので、ヘタをすると体を痛めてしまう 可能性があります 。 こんな楽器、ほかにあるでしょうか ?「嗚呼、やってしまった😵💧」と テナーサックス以上に 正直思いました。

ボーイングは更に難しく、弦に対して弓の毛が常に直角に当たるように弓を動かしていかなければなりません。そのためには、指、手首、肘、肩の連動した変化を体に覚え込ませる訓練が必要です。しかも弦は4本あり、弦と弓の当たる角度は各々違うので、その訓練は各弦毎に行うことになります。これらの動きをすべて体に覚えこませるのは至難の技です 。そして、響きの良い音を出すには弦を震動させるための圧のかけ方も会得する必要があります。また、その他にも、マルテレ、デタッシェ、レガート、スピッカートなどの色々な技術があり、弓のコントロールは音楽を創る上で欠かせない技術の集合体と言えます。


あの先生には、右手ができたら、左手に行くという不文律があったと思います。 右手が完成していなければ 、未完成のピアノで曲を弾くようなものだからです。 生徒の心理としては 、それが未完成のピアノで あったとしても早く曲が弾きたい、 という強い欲求があります。 それが満たされないと私のように生徒はすぐ辞めていきます。 教える側にとっては悩ましいところです。でも、あの年配の先生は自分の信念を曲げませんでした。偉かったと思います。

このあと8人の先生に習いましたが 、上達のスピードは亀よりものろかった と思います 。 とにかく練習する時間がない のです。 サイレントバイオリンのない時代ですから 、毎日、次の日の授業の準備で帰りが遅く、 夜練習することはできません。練習できるのはせいぜい土曜日の午後ぐらいでした。 だから、私のバイオリン歴は全く当てになりません。

そんなとき、朗報が飛び込んできました 。週休2日制の導入です。これで丸々土曜日が練習に使える、とはしゃいでいたところ?

余談になりますが、当時、私は小学校で、教務を担当していて、週休2日制の対応策を提案する立場にありました。職員会議でその提案資料を配布して話し始めようとしたら、みんながニヤニヤしているのです。
提案資料のタイトルを「週5日制の対応について」と書くところを「週休5日制の対応について」と書いてしまったのです。みんなに大笑いされて赤っ恥をかいてしまいました。

ついでに、教務で一番大変な仕事を書いておきます。それは時間割編成です。新年度最初の大仕事です。担任の持ち時間は学年によって違うため、平均化する必要があります。そのため、学年毎に空き時間を設定します。そうすると、担任の空き時間に代わりの教師を配置しなければなりません。担任が音楽を希望すれば音楽専科の教師を配置すれば済みますが、違う教科を希望する担任もいるので、調整が必要になります。30クラスもあるので、担任の希望に沿うようにするには学年内での出入りも必要になってきます。こうなると ジグソーパズルみたいなって、もう大変です。その調整役が私の仕事で、これがピタッとはまった時の安堵感と達成感と解放感は教務を担当した人にしかわからないと思います。

「 時を戻そう 」(ぺこぱ)

楽器の興味がサックスからバイオリンに変わったきっかけが第九だったのは間違いありませんが、私が好きな ベートーベン は交響曲第7番 イ長調作品92 です。 ドヴォルザークも新世界の交響曲第9番よりも第8番 ト長調作品88 の方が好きです。 私はどうも主役よりも脇役が好きになる傾向があるようで、昔からマイノリティと言われる所以です。

交響曲の中 で一番好きなのは、ブラームスの交響曲第3番ヘ長調作品90の第4楽章です。 この楽章を聴いてる時の私は、高揚してドイツ人なっています。 お薦めはクルト・ザンデルリンク指揮ドレスデン・シュターツカペレ のレコードです 。CD もありますが、生の雰囲気を楽しむならレコードの方をお薦めします。 楽章の中にピアノからフォルテッシモに移行する直前に第1バイオリンの「さぁ、行くぞ!」という準備のざわつく音が微かに聴こえてきます。あたかも録音現場のドレスデン、ルカ教会に今いるような感覚で、その場の緊張感がひしひしと伝わってきます。これが生感覚というやつでしょうか? CD は、その部分は雑音として綺麗に取り去られ、アスファルト化されています。アナログとデジタルの違いがこんなところにも表れているように思います。

もう一つ好きな曲があります 。それはモーツァルト交響曲第40番ト短調 K -550第3楽章です。音が畳み掛けるように力強く重なっていく箇所は、天国へ登っていく高揚感で満たされます。 お薦めはカール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。他にカールベーム指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏もありますが、テンポが遅く、教科書的で高揚感は得られません。

ごめんなさい。もう一つ好きな曲がありました。それは、ジャン・シベリウス交響曲第2番ニ長調作品43です。

この作品との出会いは、マイケル・ティルソン・トーマス指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で、演奏会場は大宮ソニックシティホールでした。 演奏自体は良い演奏でしたが、 演者と観客の一体感は得られませんでした 。拍手で演奏を称える観客に対して団員は無表情でした。観客に対応するのは、指揮者の仕事でしょ!と言わんばかりのしらけた態度がありありと伺えました。音楽家というよりビジネスマンといった感じで、指揮者の困った顔が印象に残る演奏会でした。

オーケストラの生演奏は、前述のようにたくさん聴きましたが、強く印象に残っているのは、二つの演奏だけです。

一つは、記事「お先にどうぞ➰」に記載したドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団の演奏です。モーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲k.364」、ソリストは、Vn:イェルク・ファスマン、Va:セブスティアン・ヘルベルクです。この曲は、まさにバイオリンとビオラのバトルです。でも、二人の演奏は、敗者も勝者もいない、優しさにに包まれた止揚の世界へと私達を誘ってくれました。東京オペラシティコンサートホールの響きの良さもあいまって、吉田秀和氏(元水戸芸術館長)の評論によるところの「fとpのふくらみを持たせた『アポロ的モーツァルト』」さながらの、息の合った、全身に心地よい演奏でした。

もう一つは、記事「BILLY ELLIOT 2020(5)」に記載したNHK交響楽団のヘルベルト・ブロムシュテット指揮チャイコフスキー交響曲第六番「悲愴」の演奏です。あの時、第4楽章で奇跡が起きました。終楽章は消え入るように終わっていくのですが、誰も拍手をしないのです。その長さは今までに経験したことのない長さでした。観客の誰もが「悲愴」の余韻に浸っていたのです。これをぶち壊す人がいたら、この一体感は生まれなかったでしょう。この演奏で聴衆も音楽の一部だということがよくわかりました。まさに水墨画のような名演でした。その後の大喝采は言うまでもありません。

演奏会 とは言えませんが、私にも発表会の場はありました。私の通っていた音楽教室は、毎年、「 リトルコンサート」を 開催していて、そこに大人の部もありました。私はあまり気乗りしませんでしたが、練習曲にアッコーライのバイオリン協奏曲第一番イ短調を先生に勧められて、曲が気に入ったので、発表会に出ることにしました。これを最後に教室を辞めようと決めていたので、真剣に練習に取り組みました。楽譜を貼った厚紙の裏に、モチベーションが下がらないようにするために練習した回数を記録するようにしました。その回数は2766です。この時はもう退職していたので、時間はたっぷりありました。

発表会の前にピアノの先生との音合わせの日が設けられていたのですが、体調不良で参加できなかったので、発表会当日、舞台で1回だけ合わせてもらいました。本番では、息が合わないところが1箇所ありましたが、後は私の息にピアノの先生が合わせてくださいました。曲は2部構成になっていて、1部は初め緊張していてミスがいくつかありましたが、2部からは、平常心で練習通りに弾くことができて、練習はウソをつかないと確信しました。

実は、私は演奏会らしきものも体験しているのです。某大手音楽教室のアンサンブル科に入会してすぐ、発表会の開催を知らされました。会場は、東京芸術劇場です。読売交響楽団のマチネの年間会員だったので、東芸にはよく通っていました。まさか、あの舞台に自分が立てるのかと信じられない思いでした。アンサンブル科の受講生は13人(Vn:8人、Va:1人、Vc:4人)で、本番では、講師の先生方が10人(指揮者:1人、ソロVn:1人、Va:1人、ウッドベース:1人、フルート:1人、クラリネット:1人、アルトクラ:1人、ハープ:1人、ティンパニ:1人、パーカッション:1人)加わって、交響曲『シェエラザード』より「若い王子と王女」を演奏しました。演奏の様子はDVDで視聴していい演奏だと思いました。というのは、舞台上で聴く音は、観客席で聴く音とは全然違うからです。全く響いていないし、自分が弾いている時は自分の出す音しか聞こえません。ソロバイオリンの演奏の時は、バイオリンの音が客席に向かって飛んでいくのがよく分かりました。なるほど、指揮者が必要な訳がよくわかりました。そして、舞台上で弾くのは楽しくないだろうなぁ、と思いました。「音楽は客席で聴くに限る」。これがこの体験で学んだことです。音楽家の皆さん、本当にありがとうございます!

このコロナ禍で、私は2月からアンサンブル科を欠席しています。でも、辞めるつもりはありません。楽譜が定期的に送られて来るので、受講生の人たちと合奏しているつもりで、それらの曲を練習すると、つながっているような気がするからです。

コロナ禍が落ち着いたら、また、アンサンブル科の参加と近所の音楽教室の8番目の先生の個人レッスン受講も再開しようと思っています。何故なら、その先生は、私が5年生の時に担任した子の高校の恩師だったことが分かったからです。今、その子は、某プロオーケストラの団員として活躍しています。先生には、私がその子の担任だったことは、まだ伝えていません。世間は本当に狭いなぁ。

(See you)