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残り27分33秒に込められた痛快劇

この記事は映画「サリー」のレビューです。邦題は「ハドソン川の奇跡」となっています。私が最初に疑問を抱いたのは映画の題名でした。

何故「サリー」なのか?

世界的に有名な航空事故の一つだったので「サリー」には 違和感を覚えました。でも起承転結の結の部分を鑑賞してから映画の題名は「サリー」でなければならないと確信しました。

それは残り27分33秒から始まります。

この映画の上映時間は本編のみで1時間36分46秒です。では上記の残りの時間を差し引いた1時間9分13秒は何を描いているのでしょうか?

それは残り27分33秒を痛快劇にするためのお膳立てです。それにはこの航空事故にまつわる様々な出来事を観客の脳裏に焼き付ける必要がありました。何故ならこのことが痛快劇成立の前提となるからです。

この映画の冒頭には旅客機がビルに突入する9.11事件のような映像が流れます。それはサリーの悪夢でした。

サリーはこの映画の主人公でパイロット歴42年のキャリアを持つ超ベテランのサレンバーガー機長です。そしてこの航空事故の機長でもありました。

彼は飛行機の操縦訓練をセスナ機から始め、戦闘機のパイロットを経て旅客機の機長へとキャリアを積んで行きました。その飛行は何千回にも及んでいます。

セスナ機の操縦訓練では教官に「何があろうと操縦することを忘れるな」と教えられました。

戦闘機のパイロットの時にはジェットエンジンの不具合から墜落の危機に見舞われました。彼は黒煙を吐く戦闘機と格闘しながら操縦を続け着陸に成功しました。この武勇伝はサリーが如何に優秀なパイロットであるかを示唆しています。

しかし、副操縦士のジェフリー・スカイルズが羨むほどの機長のキャリアは最後の208秒のことで裁かれ剥奪される危機的な状況下にありました。

その208秒の間に何があって何が問題だったのでしょうか?

2009年1月15日午後3時27分にUSエアウェイズ1549便はニューヨークのラガーディア空港から離陸しました。しかしその約2分後にバードストライクによって両エンジンが停止し飛行高度の維持が出来なくなった為ハドソン川に不時着水しました。

離陸から着水までの時間はたったの5分です。離陸時は副操縦士が操縦していましたが事故発生と同時に機長が操縦桿を握りました。あの208秒はここから始まるのです。

機長が即座にやったことはAPUを始動したことです。これにより飛行制御コンピューターへの電力が確保されパイロットの操作を補助して失速を回避することが出来ました。

副操縦士はQRH(クイック・リファレンス・ハンドブック)を開きエンジン停止時の対処法を読みながらエンジンの再始動を着水まで試みましたがそれは叶いませんでした。因みにAPUは項目として15番目に書かれていましたがサリーが即座にAPUを始動したのは彼がエアバスA320型機に精通していたからです。

このQRHは高度2万フィート(約6千メートル)以上を想定していたために長々と書かれており着水の対処方法に至っては最後のページに記載されるなど現状にマッチしていませんでした。

その現状とは旅客機の高度です。事故発生時の高度は2818フィート(859m)で60階高層ビルの高さが300m位ですから相当な低空飛行と言えます。
サレンバーガー機長は空港管制に対しこの状況を報告するとともに非常事態を宣言しました。

「メーデー カクタス1549」から始まる管制官との緊迫したやり取りは観る者を釘付けにします。

S「メーデー  カクタス1549」
S「鳥と衝突」
K「デルタ331便高度維持」
S「両エンジン喪失」
S「ラガーディアへ引き返す」
K「ラガーディアへ?」
K「左旋回220」
S「220」
K「どっちのエンジン?」
S「両方ともだ」
K「ボス!緊急事態です」
B「状況は?」
K「両エンジン 推力喪失」
B「ラガーディア 滑走路13へ」
K「離陸停止 緊急引き返し」
K「1549 鳥と衝突」
K「 両エンジン喪失」
L「どっちの?」
K「両エンジン 推力喪失」
K「カスタス1549」
K「滑走路13に着陸か?」
S「ムリだ 」
S「ハドソン川に降りる」
K「A320が川へ降下する」
K「全着陸を停止」
B「全員 待機せよ 集中しろ!」
S「右は?」
S「ニュージャージー」
S「テターボロは?」
K「テターボロ管制塔」
K「1549が緊急着陸」
K「ニューアーク」
T「滑走路290可能」
T「緊急着陸だな」
K「右へ テターボロ空港へ」
S「こちら機長」(機内放送)
S「衝撃に備えて」(機内放送)
A「身構えて」(機内)
A「頭を下げて」(機内)
A「姿勢を低く」(機内)
A「身構えて」(機内)
A「頭を下げて」(機内)
A「 姿勢を低く」(機内)
K「1549 右旋回280」
K「テターボロ 滑走路1へ」
K「ムリだ ハドソンへ」
K「もう一度 言ってくれ!」
K「1549 レーダーから消失」
K「ニューアークも使える」
K「2時方向 7マイル*」
*約11km
K「川はやめろ!」
B「つなげ!」
K「1549」
K「ニューアークの滑走路29」
K「使える 2時方向7マイル」
K「頼む 返答してくれ」
B「残念だが」
K「ニューアークへ」
K「向かってます」
B「パトリック(K)」
K「無事です テターボロ空港へ」
K「確認してもらう」
K「G・ワシントン橋」
K「上空の全機」
H「 空母が見えます」
H「A320が緊急降下中」
H「1549便 ハドソン上空を」
H「低空飛行中」
H「ヘリコプター167号機」
H「1549便を視認」
K「ヘリが視認 」
K「交信を続けます」
K「無事です」
K「ニューアーク方向へ」
K「わずか 7マイル」
K「1549 こちら管制室 」
K「聞こえますか?」
H「降下している」
K「1549 聞こえますか?」
H「クソッ! 落ちるぞ」
H「川に突っ込む」
B「KC  交代しろ」
B「検査を行う 酒気と尿検査」
B「いつもと同じ」
K「冷静な声だった」
K「まさか本気でハドソンに」
K「信じられない(涙)」
K「着水だと生存不可能です」

S(サリー機長)
K(レーダー管制室管制官)
B(レーダー管制室ボス)
L(ラガーディア空港管制官)
T(テターボロ空港管制官)
A(3名のアテンダント)
H(ヘリコプターパイロット)

サリーはレーダー管制室のパトリックが発した「着水だと生存不可能」を可能に変えて見せました。
それは長年培ってきたパイロットとしての感覚や視認によって齎されたのです。

エアバスA320型機1549便はジョージ・ワシントン・ブリッジをぎりぎりで回避しながら高度を上げて減速し、ハドソン川へ時速270km程で滑走路着陸と同様の滑るような着水をしました。機体の姿勢も水面に対し水平に近かったために両翼の損傷を免れました。

着水後浸水が始まったので機内からの脱出が始まりました。乗員5人は脱出シューターや両主翼に乗客150人を導き避難させました。サリーは機内に残留者がいないかを確認するために浸水で増水していく機内の中を2回確認し、最後に機内から脱出しました。外は気温-6℃水温2℃という状況でした。

着水から4分20秒後に通勤フェリーが駆けつけ救助を即座に始めると、後に続いて水上タクシーと沿岸警備隊や消防の船が救助活動に加わりました。

元々この着水地点は救助活動に最適な場所だったのです。何故ならハドソン川の川幅が2kmと広く橋が少ないために水上交通が発達していて近くに埠頭がたくさんあったからです。

乗客と乗員155人全員の生存が確認されると当時ニューヨーク州知事であったデビッド・パターソンはこの件を34丁目の奇跡に因んで「ハドソン川の奇跡」と呼び称賛しました。

これを機にメディアはサリーを英雄扱いすると共にこの航空事故を「ハドソン川の奇跡」と呼んで褒めはやしました。

あるインタビューでMCがサリーに「英雄と呼ばれてどんなお気持ちですか」と訊くと、サリーは「私は英雄なんかじゃありません。ただ自分の仕事をしただけです」と答えました。

あの着水地点が乗客の命を守る最良の場所であることをサリーが織り込み済みならばそれは奇跡でも何でもありません。

人は「奇跡」という言葉を聞くとそこで終わってしまいます。細部を観ないで分かったような気になるからです。それがサリーには不満で懸念材料でした。

サリーには懸念材料となるものが他にもありました。それはNTSB(米国家運輸安全委員会)の事故調査です。

NTSBはまず1549便墜落の人的要因について調査を始めました。この人的要因がまさかブーメランのように自分たちの所へ襲いかかって来るとは予想だにしていませんでした。

サリーと副操縦士は睡眠時間やアルコール飲酒及び大麻の使用などを訊かれました。極めつけは家庭内の問題の有無で「あなた達と同じです」とサリーに返された調査官達は唖然とし彼に1本取られたと思いました。何故なら問題のない家庭などないからです。

赤っ恥をかかされた調査官は話題を変え、ラガーディア空港に戻らなかった経緯や理由を問いただしました。
サリーは七つにまとめ次のように答えました。
①高度が不十分だったこと
②長さと幅があるハドソン川だけが安全だったこと
③ラガーディア空港に戻るため左回旋を始めた時点で不可能と判断したこと
④戻るのは他の選択肢を奪うことになること
⑤高度と降下率の計算をする時間がなかったこと
⑥40年間何千回もの飛行経験から視認によって決断したこと
⑦乗客を救うチャンスは着陸ではなく着水だけだと確信を持っていたこと

調査官はサリーの回答が余りにも非科学的であったことから空港に着陸することが可能だったことを証明する方針に舵を切りました。
もしその証明がなされたらサリーが乗客の命を危機に曝したことになり彼の輝かしいキャリアは消滅してしまうことになります。

事故機は着水から1時間後に水没し2日後に引き上げられブラックボックスが回収されました。

NTSBはブラックボックスに納められたFDR(フライト・データ・レコーダー)とCVR(コックピット・ボイス・レコーダー)の情報をもとにコンピュータによる数値での試算と全く同じの条件の推力喪失と飛行高度でフライトシミュレーションを行いました。その結果、空港着陸は可能との結論を得ました。それに加えて左エンジンが作動していたことも判明しました。サリーはエンジンを観れば分かると主張しましたがそのエンジンは着水時に飛行機本体から脱落して行方知れずになっていました。

NTSBは意気揚々と公聴会に臨みサリーと対峙しました。公聴会には報道などの関係者や傍聴人を加えて200人程集まっていました。

いよいよ痛快劇の始まりです。

サリーはNTSBの主張を覆す秘策を持っていました。それはジョギング中に立ち寄ったバーのテレビで見た報道番組の5文字の言葉からインスピレーションを得たものでした。

公聴会ではまず初めにサリーや組合の要望によりフライトシミュレーションから始まりました。公聴会の議長が「エアバス社は衛星中継でフライトシミュレーションを行います」と言うとラガーディア空港に向かう映像が大画面のモニターに映し出されました。着陸は成功でした。続いて流されたテターボロ空港も同じ結果でした。

議長はサリーに対して「このシミュレーションはコンピュータの結果をなぞっただけでしかも大勢の手を煩わせた。正直なところ何が目的なのか理解できない」と不満と怒りを露わにしました。

しかし、その不満と怒りはこの後のサリーの秘策によって畏敬の念に変わって行きます。

さあ、これからサリーの反撃が始まります。

S「真剣な対応を望みます」
S「コンピュータと操縦士のシミュレーションを見ました。ですが、そこには“人的要因”が考慮されているとは思えません。」
P「人間の操縦士によるシミュで証明した」
S「違います」
S「彼らの動きは初めて事故に遭遇したものとは言えない」
P「細部の差だ」
S「鳥衝突の直後に彼らは引き返した」
S「コンピュータのシミュと同様に」
P「そうだ」
S「旋回も向かう方位も承知している」
S「損傷チェックもAPU作動もない」
P「 パラメータは同じだ」
S「我々に指示はなかった」
S「“航空史に例のない低高度で両エンジンが停止する”」
S「“その時は左旋回しラガーディアへ引き返せ”」
S「“日常の出来事のように”」

S(サリー機長)
P(ポーター議長)

高度2800フィートで両エンジンを失い、緊急不時着水した。155名を乗せて。
我々はそのような訓練は受けていない。誰一人。
あのバンク角でのテターボロ着陸はアクロバット飛行だ。
先ほどの操縦士は何回飛行練習したのか。彼らを批判はしない。2人とも優秀だ。だが、鳥衝突の直後、空港に戻るように指示されている。分析や決断の時間は皆無だ。“人的要因”が完全に排除されている。操縦士たちが対応を決めるまでに費やした時間は?
人為的なミスを探すなら人的要因の考慮を!

チェズレイ“サリー”サレンバーガー機長

J「ビデオゲームではない。生死の問題です。決断を下す数秒がある」
S「彼らは何回練習したんです?」
E「17回」(会場ザワつく)
S「17回」
E「テターボロに着陸した操縦士は今日のシミュレーション前に17回練習しています」(間を置いて)
P「考慮の時間を35秒設定する」

J(ジェフリー・スカイルズ副操縦士)
E(エリザベス調査官)
P(ポーター議長)

この後、鳥衝突から35秒間待って空港へ向かうフライトシミュレーションが行われましたがラガーディア空港もテターボロ空港も障害物に阻まれ着陸に失敗しました。副操縦士のスカイルズが「あり得ただろう結末です。現実の音声を聞きましょう。」と言うと議長は「全ての結論は後日に」と言ってエリザベスにコックピットボイスレコーダー(CVR)の再生を促しました。

S「鳥だ!」
S「1基回転低下」
S「2基とも回転低下」
S「イグニッション  スタート」
S「APU始動」
S「操縦交代」
S「GRHを」
S「左優先」
S「両エンジン喪失」
S「メーデーカクタス1549」
S「鳥と衝突 推力喪失」
S「ラガーディアへ引き返す」
K「ラガーディアへ?」
K「左旋回220」
S「220」
S「両エンジン」
J「エンジンモードセレクター」
J「イグニッション」
S「イグニッション」
J「スラストレバー」
J「アイドル」
S「アイドル」
J「再点火の速度300ノット」
J「出せない」
S「ムリだ 出せない」
K「カクタス1549」
K「滑走路13に着陸か?」
S「ムリだ ハドソンに下りる」
J「非常電源発電機つながらない」
S「つながった」
J「ATC通報7700を発信」
J「救難信号送信」
K「カルタス1549 」
K「滑走路31は左旋回で」
S「ムリだ」
K「どこに下りる?」
J「FACオフ」
K「10秒経過」
K「機長 何か言ってくれ」
K「カルタス1549」
K「左旋回から滑走路4が使える」
S「どこもムリだ」
K「右は?ニュージャージー」
K「テターボロは?」
K「すぐ右にテターボロが」
K「ラガーディア 緊急着陸」
T「テターボロだ」
K「1549便がGW橋上空に」
K「緊急着陸」
T「了解 状況は?」
K「鳥衝突だ 滑走路1に?」
K「1549 テターボロへ?」
障害物 障害物 障害物 障害物 プルアップ(機器音声)
J「30秒経過 再点火せず」
J「オフ確認」
S「オフ」
J「30秒待機」
高度低下 地表接近(機器音声)
S「こちら機長」(機内放送)
S「衝撃に備えて」(機内放送)
J「500・・・」
K「1549 右旋回280」
K「テターボロ滑走路1へ」
S「ムリだ」
K「どの滑走路へ?」
S「1番 再始動」
J「1番」
J「再始動せず」
S「ハドソンに下りる」
K「もう一度 言ってくれ」
S「フラップを出せ」
K「1549 レーダーから消失」
K「ニューアーク 2時方向」
J「フラップ 出しました 」
J「250フィート」
J「出力なし 別のを試します」
S「試せ」
K「1549 聞こえるか?」
J「150ノット」
J「フラット2」
S「よし」
K「ニューアーク 2時 7マイル」
S「他に方法は?」
J「ないです」
プルアップ (機器音声)
S「身構えろ!」
30・・・20・・・

S(サリー機長)
K(レーダー管制室管制官)
J(ジェフリー・スカイルズ副操縦士)
T(テターボロ空港管制官)

サリー機長は議長に休憩を求め副操縦士のスカイルズを伴って部屋を出ました。サリーはスカイルズに伝えたかったのです。彼があの危険な状況で冷静だったことを。それをチームプレーと表して副操縦士を讃えました。お互いに仕事をこなしたことが誇らしかったのです。

議長は公聴会を再開し、こう述べました。
「私にとって初めてです。墜落の音声記録を機長と副操縦士と共に聞いたのは。驚きました。」

この言葉には二つの意味合いがあると思います。一つは二人が生きているということ。二つ目は最後まで諦めないで真摯に仕事に向き合っていたこと。

議長はシミュレーションと現実は違うことを初めて認めました。

また、第2エンジン停止の疑惑も晴れました。飛行機沈没から3日後に第2エンジンが見つかり機長の証言通りに完全に破壊されていたのでACARSの誤データであることが認められました。

エリザベス調査官は個人的な見解とした上で次のような発言をしました。
「一つ確かなことが。当機の乗務員たちや鳥類専門家、航空技術者に話を聞きあらゆる可能性を考えても解けない“成功の要因”それは“Xの存在”あなたです。サレンバーガー機長!あなたを計算式から外したら成立しません。」

このエリザベス調査官の言葉を聞いて私は映画の題名は「サリー」でなくてはならないと思いました。

エリザベス調査官は副操縦士のスカイルズに付け加えたいことはありますかと言って次のように問いました。
「違う方法を取りますか?」
「また同じ状況になったら」
スカイルズは「はい!」と言ってこう付け加えました。
「やるなら7月に」
公聴会の会場が笑いに包まれる中暗転します。

エンドロールにはこう綴られています。

「2009年1月15日」
「1200以上の救助隊員」
「フェリー7隻が」
「1549便搭乗者を救った」
「ニューヨークの良心が集結し」
「24分で全員を救助した」

この痛快劇になくてはならないXの5文字の言葉とは?

それは「タイミング」でした。

     (参考文献:Wikipedia)