瞳の中


今まで出会ったことのない瞳だった。
今まで出会った人の中で、あの瞳をしている人は誰1人居なかった。

歌舞伎町生まれ歌舞伎町育ち。新宿を愛し、田舎を苦手とする。右手の指には新宿のマークのタトゥー。静かな夜で育ってきていないから深く静かな夜が苦手。そんな、渋谷龍太という男。

北海道の端っこ、人口は減少の一途を辿り、市町村の合併を繰り返してなんとか市として運営する港町で生まれ育った私は、賑やか夜をほとんど知らない。歌舞伎町に足を踏み入れたことは数えるぐらいしかないし、それはどれも通過するだけだった。一瞬でわかる、この街では私は息がうまくできない。街灯がひとつもない夜空の下で、星空に吸い込まれそうになる夜が好きだ。車が1台通ったら、今ここで誘拐されても誰にも気づかれないんだろうな、とビクビクしながら身を小さくする幼少期を過ごさざるを得ない。そんな田舎で育った人間にとって、歌舞伎町はずっと「異世界」だ。

ただ、歌舞伎町で生まれ育とうと、田舎で生まれ育とうとも、芸術を前にして感じる心が同じなら繋がれることがある。

SUPER BEAVERの音楽はそんな音楽だ。

東京で出会い東京で結成され東京を愛するSUPER BEAVERの音楽が、田舎出身の私の今の生きる指針である。音楽に、歌詞に、ライブの生の温度感に、圧倒的熱量に、心が震える。大切なのはどんなところで育ってきたか、じゃなくて、何を大事に想っているか。それだけで繋がれる縁があると、SUPER BEAVERを感じるたびに思う。

本当に本当に大好きだから、握手して欲しい、とお願いした。
快く受け入れて握手をしてくれた彼の目を見た時、「出逢ったことのない瞳だ」と心が震えた。

目と目を合わせることでしか交わせないコミュニケーションと、そこから生まれる感情がある。私は、彼の瞳を見た時に、なぜこの人と私の人生が交わることができたんだろうと不思議に思った。

見てきたもの、食べてきたもの、価値観、出逢う人、愛し愛される人、そこから感じるもの、きっと何もかも違う。全然違う。それをあの瞳を見た瞬間に実感させられたのだ。

渋谷さんのような見た目の方は歌舞伎町にはたくさんいるかもしれないが、私の地元には居ない。言葉を選ばずに言うと、居たらまず目を合わせたら殺される、と思うだろう。田舎は自己表現をする幅がとても限られているため、その幅を超えた自己表現を行う人は基本恐怖の対象となる。関わるのはリスクが高いのだ。対し自分は勇気がなくて髪の毛をブリーチすることもできない、ピアスを空けてもすぐ炎症を起こして閉じ、夜は23時には寝たい。そんな感覚としては高校生と変わらないぐらいの人間に、彼はちょっと、いやかなり刺激が強い。

ただ、私は渋谷龍太さんのことを好きになったから。大好きだから。本当に心の底から信頼してるから。目を合わせたいと思った。愛している人の目を見て、本当の意味で1:1で話したいと思ったのだ。

勇気を振り絞って、震える声でお願いし、見上げた瞳。私の知らない世界を見てきた瞳。その瞳を見た瞬間に、彼と私は生きる世界が違う人なんだと実感した。まず私は彼のような目をしたことがないし、周りにも彼のような目をしている人は誰もいない。あまりにも違いすぎた。

それが哀しいのか嬉しいのかは、未だによくわからない。
ただ、彼が、彼らが音楽をやり続けてくれたから、こんなにも異なる環境で生きている自分の心にも届いた。そして出逢うことができた。彼を知らずに街ですれ違っていたら、私は環境から生まれた偏見で絶対に目を合わさないように下を向いて歩いただろう。でもそうじゃない。彼が伝え続けてくれたから私の心に届き、すれ違うずっと遠くから彼に気づけて声をかけることができた。それは、彼が伝え続ける努力を怠らなかったから。私が、SUPER BEAVERの音楽に感動する生き方をできているから。

幼い頃からキラキラした女性を見て生きてきた彼は、私のようなひとつもメスの入っていない芋っころの目を見ることもそんなに多くはないだろう。音楽をやっていなければ彼を知らなかったのと同様に、彼も芋っころに好かれることはなかったかもしれない。

愛していることは、伝わっただろうか。
気の利いたことはひとつも言えなかったけど、違うものを見て育った人間同士の瞳から通じる想いはそこに存在しただろうか。

あなたが生きる意味だと、伝えたら笑うかな。

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