嫌われる勇気

「人から嫌われるのが怖くなくなった人は、怖い人になりますよ」

大豆田とわ子と3人の元夫というドラマにあったセリフが忘れられない。最近、よくこのワードを思い出す。

昔から人に嫌われることが異常に怖かった。怒られることに人一倍嫌悪感があった。いつも自分の行動の理由は
「怒られたくないから」だった。

小学生の頃、教師をやっている父親に、お前は何で勉強するの?と聞かれた時「お母さんに怒られたくないから」と答えたら「それ以外に理由はないの?」と聞かれ、「あるわけないじゃんなんであんな嫌いなことしないといけないの!!!」と突然一時間以上泣き喚いたことがある。

学生時代の飲食店のバイトで、厨房の人から「お前はこっちに気を遣ってないで客に気を遣え、気を遣う方向を間違ってる」と言われたことがある。

根性のない、気持ち的には何も継続して続けることのできない私が、物事を途中で投げ出せないのは、投げ出したことで嫌われることが嫌だから。勉強も部活もバイトも仕事も、怒られたくないから、嫌われたくないからずっと続けた。本当はいつだってすぐに辞めたい。何もかもやりたくないのに。全ての行動の根源にある感情は、いつもぶれずに「他人から向けられる否定の感情」への怯えから来ている。

嫌われないように生きることは、常に周りの自分に対する評価を気にして生きることとイコールになる。昔からずっと人のことを見てきたおかけで、異常なほど人間を分析してカテゴライズしてきた。この人は裏ではこういうことをしているタイプだ、この人は本当はこう思っていないタイプだ、この人はよく人を見ている人だ、、、そうやって判断して、長所短所をよく見て、嫌われないようにまず低姿勢、ごめんなさいすみませんありがとうございます、こればっかり意識して生きてきた。だから、急に嫌われることに慣れていない。私何かしたかな?ってすぐ考えて、焦って、具合悪くなって耳が聞こえなくなったり胃潰瘍になりかけたりする。嫌われるぐらいなら関わらないでほしい。だって私は嫌われるようなこと、していない。いつも自分が25年かけて作り上げたマニュアル通りに生きている。

嫌われることが怖くない人間になれたらもっと息がしやすいのに、いつまで経っても嫌われるのが怖くて、人の機嫌ばかり伺って、自分の首を絞めて、こんな苦しいなら早く死にたいなぁって思う。

自分の機嫌で周りを振り回す人はこんな気持ちになる人がいることを知らないんだろうなぁ。そうやって生きれたらと何度も思った。でも私はものすごく気が強くて、根っこで思ってることは人一倍エグくて、本音を話すとみんなに怯えられる。必死に隠して人当たりよく生活してるんだから、本当に自由に嫌われることを恐れなくなったら、たぶん何もかも失う。

気を遣えるように見えてまったく気が遣えないのは、本当の目的がおもてなしではなく嫌われたくない、だからなんだと最近知った。自分のことをハナから眼中に入れていない人間に対し、私はびっくりするほど何もしない。みんなに対してそうなれたら楽なのかもしれないけど、それじゃ社会を歩けないから頑張るしかない。でも、突然理由のわからない嫌いを投げつけられた時、私はもう一歩も歩けない。正解がわからないならもう、動けません。

八方美人だから、挑戦しないから嫌われるなら、もうそれはごめん、存分に嫌って、一生関わらないでくれ。
私はこの生き方しかできないから、それを失うのは死も同然なんです。

もっと器用に、自由に、うまいように生きれたらなぁ。自分を苦しめるのはいつも自分だ。自己肯定感の低さも全てここ。他人の否定の感情に鈍くいられたら、何倍も何百倍も幸せに生きれたのにね。

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