自室依存症共和国
Galileo Galilei(以下ガリレオ表記で統一する)が再始動をすることが発表された。
大学生活を締めくくる最終課題のプレゼンを翌日に控え、それにまだ何も手をつけていなかった私はしかし、前日からリマインダーをかけていたYouTubeの画面をiPadで開いて見ながら風呂に入っていた。数日前からガリレオのチャンネルでリマインドされていた配信を待機していたからだ。途中から入った配信の画面内の尾崎雄貴さんの、ガリレオとしての活動は自分たちにとって理想の世界を投影した逃避先であったというニュアンスの発言を聞いていてたまらない気持ちになった、だってガリレオの音楽はいつだって高校生の頃の私の逃避先だったから。
木漏れ日の差し込む白樺の林とか、鯨の骨が落ちている夕暮れの海辺とか、冷たい霧が立ち込める暗い森の奥とか、音楽を聴くたびに頭に浮かぶイメージに没頭するために部屋を真っ暗にして眠りについた。バスの外を眺めたり山道を歩いたりする時に、非日常に連れて行ってくれる音楽があることはなんと幸せなことか。
ガリレオにハマったのは、友達に武道館で行われる終了ライブに誘われたのがきっかけで、その時から終わりの見えている道をそれでも歩めて幸せだった。人生で初めてのライブが大好きなバンドの最後のライブだったのだ。
その後も私たちは貪るようにガリレオを聴いて、足りない時間を埋めるようにミュージックビデオを見漁ったりSNSを遡ったりインタビューを読んだり、シングルのB面の曲を集めたプレイリストを作ったりした。彼らの紡ぐ物語の秘密を共有してもらったようなつもりで歌詞に登場するモチーフを履修することも楽しかった。ボニーとクライドを聴いては、「俺たちに明日はない」をTSUTAYAで借りたし、ウェンズデイがどんな女の子か知りたくて「アダムス・ファミリー」だって借りた。フラニーやシーモアについて知りたくてサリンジャーを読むうちすっかりグラース家のファンになってしまった。
それだけでなく、現実においてもガリレオの音楽を追体験したくて北海道に旅行し、彼らの故郷である稚内を訪れて管制塔のモデルとなった「開基百年記念塔」から海を眺めたり、モエレ沼公園で嵐のあとにのミュージックビデオの真似事をした。
私はいつだって空想とか物語の世界に逃避したくて、彼らの音楽はそれを助けてくれた。5人の友達と始めたバンドが、なんやかんやあってガリレオを教えてくれた友達との二人きりのバンドになっちゃった時には、ガリレオが宅録で洋楽のカバー動画とかをあげてるYouTubeチャンネルの名前「Ouchi Daisuki Club」から着想を得た「自宅依存症共和国」を意味する「Home-A-Holic Republic」という名前を自分達につけて、本棚と楽器しかない壁の隙間みたいな狭い部室で放課後をずっと消費した。
See More Glassのインタビューで、逃避先がいつの間にか居場所になったと彼らが言っていた。彼らの逃避は私にとっても大切な居場所だったし何度も救われていたのだと思う。
BBHFやWar Bearとしての最近の活動も追っていないわけじゃないけど、止まっていた時間が動き出したような夢のようなニュースが心から幸せです。おかえりなさい。ありがとう。
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