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差別という訳じゃないんです

障害者差別解消法。

平成25年。私は、その法律が制定されたことを、自分とはあまり関係のないこととして聞いていたと思う。

全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する

車椅子の来店を断らないとか、そうだね、そういう国になってほしいよね、と良いニュースとして聞いた。

私がそのニュースを思い出したのは、そこから約4年後のことである。発達の遅かった2番目の子、ニンタ4歳の病名が判明し、食事療法を始めたあたり。

私はまだ1歳のミコも抱えていて、誰でもいいから助けてほしい、と、ニンタの預かり先を探した。しかし、食事療法「修正アトキンス食」をしているという理由で、どこも断られる。

ニンタは、発達は遅れているが、幼稚園で集団生活をしている。間違った対応をすると命の危険があるとか、専門的な知識がいるとか、そういう病気ではない。もちろん、食事を伴う長時間の預かりは、いろんな打ち合わせが必要になるが、本当の問題は、そこではないんじゃないか、と思った。

「難病患者である」「聞いたこともない、かなり変わった食事をしている」「わからない」「何かあったら怖い。責任をとりたくない」「なんとか理由をつけて逃げよう」

相手の反応は、私の目からはこう見えた。「グルコーストランスポーター1欠損症」という長い病名を言った途端、相手が警戒する様子もあからさまだった。

実は、この記事を書く前に、私はニンタが幼稚園から保育園へ転園したときの話を書こうと思っていた。

あらすじだけ書く。

保育園に転園し、主治医から「保育園の給食も、食べられるおかずは食べていいですよ。こまかいルールもこちらで作ります」と言われたのにも関わらず、保育園は「絶対に給食は出さない」と言った。

私は、そこでやっと「障害者差別解消法」の存在を思い出し、「差別を受けた方はこちらへご相談ください」と書いてあった窓口に行った。しかし、県や市の行政に助けを求めても、対応は冷ややかだった。保育園に行政指導をするその人は、「まあ、とにかくご本人同士で話し合ってください」と言うだけだった。

そこで、私の家を以前からずっとサポートしてくれていた役所の保健師さんと、障害課の方が動いてくれ、保育園を交えて話し合いを持ってくれたが、保育園の態度は変わらなかった。

保育園の園長先生は、話し合いの途中で激高するタイプだったので、私は保育園に行ってその先生に会うことが怖くなり、送迎ができなくなった。送迎は、朝は夫が行き、帰りはヘルパーさんを頼んでなんとか通わせ続けた。

そして、最後は保健師さんの勧めで、理解のある保育園へ転園することで問題は終わった。私はやっと協力してくれる施設に出会い、その新しい保育園では給食も出してもらえた。とても感謝している。

以上だ。

ここ数日、その保育園との話し合い、転園のいきさつを詳しく書こうと思ったが、そのときに投げられた言葉、助けを求めて門前払いされた絶望を思い出すと、今でも苦しくなって、とても詳細は書くことができなかった。

ニンタは4歳になるまで、ただ「発達がゆっくりな子」として、不自由のない生活を送っていたので、病名が判明した途端、手のひらを返されるような、突然世界が変わったような感覚だった。私は怒りで戦い、敗れ、ボロボロになった。

けれど、多くの障害者は、そんなことはすでに知っていて、諦めの気持ちを持って生活していた。

経験者のアドバイスはたいてい、「障害者差別解消法とか、法律の名前を出すと、相手も頑なになるので、こじれないように、まずは丁寧にお願いしていきましょう」というものが多かった。

敵を作らず、和を大切にし、その中から理解者が出てくるのをじっと待つことが、一番の近道で、自分も一番傷つかないと教えてくれた。

おかしい。悔しい。でも、これが賢いやり方なのだ。

もちろん、私が知らないだけで、どこかに、この法律によって助けられた人がいるかもしれない。効力があったかもしれない。果敢に戦っている人が、どこかにいるかもしれない。

でも、私が見た現実はこれだった。

そして、全く差別がなかった環境もある。ニンタがすでにお世話になっていた幼稚園や、周りの友達だ。「どんなことに気をつければいいの?」と、自分にできることはないかと聞いてくれた。そしてそれは、気遣うことが増えて面倒かもしれないけれど、誰にでもできることだった。

反対に、新しく出会う人は、総じて私たち親子との関わりを避けた。「実態を知らないこと」は、これだけ対応の差をうむ。

ニンタよりも重い障害を持つ方、命に関わる病気の方が見ている世界は、もっと壮絶なのだと思う。私がこんなテーマで何かを書く資格はないかもしれない。

でも、もし「障害者差別解消法」を知らない人がいたら、これだけは知ってほしいと思って書いている。

「障害者差別解消法」では「合理的配慮」が求められている。「合理的配慮」とは、障害者が、障害のない人と同じように生活できるようにする“工夫”のことだ。

車椅子の例が身近でわかりやすいと思うので、例えに使わせてもらう。

この法律は、例えば、車椅子の人がどこへでも行けるように、いきなりどの施設もバリアフリーに造り替えよ、とは書いていない。(もちろん将来的にはそうなって欲しいが)。では現在、車椅子で使えない施設やお店はどうするか。そこで、「合理的配慮」が出てくる。当面の間、どうすれば車椅子でも利用できるか、考えてください、ということだ。

すいている時間なら、車椅子のまま移動するお手伝いができます、という案もあるかもしれないが、それが早朝とかだったら意味はない。何時なら双方合意できるのか。もしくは、時間帯の問題でなく、人の手を増やすのか。席数を減らしてスペースを確保するのか。答えは無数にある。その中から、お互いに納得できて無理がない「合理的な」答えを探すのだ。

それは「何か自分にできることはありますか?」という、姿勢があれば、必ず解決する。いつも壁になっているのは、「面倒なことには関わりたくない」という保身だ。

みんな、自分が生きることに必死で、面倒なことに関わりたくないと思うのは、自然なことだ。でも、そうやって見て見ぬ振りをする人の集団で、自分が生きていくのは不安ではないのか。自分が困ったときに、誰も助けてくれないとは思わないだろうか。

いや、私は差別はしない。見て見ぬ振りはしない、と思っている人も、考えてみてほしい。もし、その障害者の要求に応えることが、社内ルール違反だったら?前例がなくて、準備に時間がとられるとしたら?本当に断らないと言いきれるだろうか。

私とニンタを遠ざけようとする人が、よく言う言葉があった。「差別という訳じゃないんです、でも…」「差別しているのではなく、現実的に…」『差別という訳ではなく』は、悪意はないんです、という同義語として使われていた。

中には、「差別という訳ではなく、ニンタさんの助けになる人手を増やそうということになりまして」という、私達にとって嬉しい「合理的配慮」をしてくれる時にまで言われる、滅茶苦茶なこともあった。

この話を聞いて、知人は言った。「差別という訳じゃないんですけど…って言う人は、自分が差別してるかしてないか分からないから、不安でついその言葉を使っちゃうの。だから逆に、これを言った途端に、私は無知なので、無意識に差別する可能性がありますよ、と白状しているようなものだよ」と。

確かに、「差別」という言葉は強烈で、インパクトがある。差別してますよ、と言われたらどうしよう、と不安になるのはわかる。会ったばかりであれば、相手にとって何が良くて何が悪いのかもわからないだろう。そのときは、聞けばいいのだ。「私にできることは何ですか」「こういう案はどう思いますか」と。

私はこの「障害者差別解消法」が浸透していない現場を見てしまったことから、まだ、未来に希望を持つことができないでいる。本当に、差別がなくなる、見て見ぬ振りがなくなる世の中は実現するんだろうか。

でも、私のこどもはこの世の中で生きていくのだから、ただ絶望しているわけにもいかない。

賢く立ち回ることもあるだろうし、必要と思えば、これからも声をあげる。戦う人の応援もする。

そして自分の心にも問い続ける。私は、本当に差別しません、と、言いきれるのか、と。

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