しじみ

3人のおかあさん。1番目の子が不登校。2番目の子に難病と知的障害あり。3番目の子に吃音…

しじみ

3人のおかあさん。1番目の子が不登校。2番目の子に難病と知的障害あり。3番目の子に吃音あり。夫と別居中。

マガジン

  • 夫婦のこと、生きること

    現在進行系で形を変えている、私達夫婦のこと。離婚調停中 (←NEW!)

  • 長男長女とは。そして不登校日記

    うちの一番上の子について。しっかり者で良いけれど真面目過ぎて大変そう。きょうだい児&親が気を抜くとヤングケアラー予備軍。最近は不登校。

  • グルコーストランスポーター1欠損症

    グルコーストランスポーター1欠損症&知的障害の子との生活。体調を保つために、糖質制限(ケトン食、修正アトキンス食)を続けています。てんかんもありましたが、発作消失から3年経ち、減薬中。

  • 吃音の記録

    3番目の子は言葉が出はじめの1歳から吃音があったような気がします。3歳から相談機関へ出向き、4歳から訓練開始。 「吃音があっても本人が気にしなければそれで良し」と思う自分と、「本人がとても気に病んだらどうしよう」という自分、2つの気持ちを抱えたまま、母として見守り中。

最近の記事

旅立ちの日のその前に(不登校日記4&離婚調停3)

山村留学が正式に決まった。 いや、実を言うとまだ夫からのクレームは続いているのだけれど、決まりましたよね、決まっていないと困りますよね、という今日はもう三月下旬。 三月の調停は、転出手続きをとらなければならない2週間前という日程で、ここで決まらなければ次の調停は四月以降、つまりもう新学期に間に合わない、という、かなり危ない橋を渡るスケジュールだった。 そしてその三月の調停から遡ること一週間前。裁判所からは「子の特性を理解している母親が監護することが望ましい」という意見書

    • 義務教育の限界

      ニンタは知的障害があるので、支援級に所属している。現在小学校4年生で、中学になってもそれは変わらないのだけれど、先日中学の支援級を見学する機会があり、そこでずっと私が我慢していた何かがバーンと弾けてしまった気がしている。 ◇ 中学では、小学校よりも更に支援の手が薄くなると聞いていた。なるほど、言われた通り、交流級との行き来は減ってしまうし、規則も多くなる。 そして小学校よりも更に長時間になる授業時間、障害のある子がみっちりと勉強するには無理があり、私が見学した時、支援級

      • 障害児の学歴問題

        去年書いて眠っていた記事が出てきた。 ニンタは四年生になったけれども、基本的に問題は解決していない。 でも、先生がニンタのために「理科・社会の単元まとめポスター」をたくさん作ってくれて、我が家のトイレの壁はそれらでびっしりになった。 今出来ることはやっている。先生も協力してくれていて頭があがらない。 現在はそろそろ中学の進学を考えなければならず、おそらく公立中学の支援学級に進学するのだろうけれども、本当にぼうっとその選択をして良いものか、後で後悔しないように考えるだけは

        • 山村留学でまた揉める(離婚調停②)

          山村留学が正式決定し、私もこどもも喜び、そして学校やご近所さんまでも、みんなで応援してくださっていたのも束の間。 ここからちょっと雲行きが怪しくなる。最終決定した三日後、離婚調停があり、その場で転居を伝えると、夫の反対表明が始まった。それはもう、荒ぶらんばかりに。 もちろん夫には、事前にこどもを通じて山村留学の意向は伝えてあったけれど、特にアクションはなく、決定した瞬間から妨害しようと決めていたかのようだった。 調停内では、夫の山村留学に関する懸念点について、次回までに

        旅立ちの日のその前に(不登校日記4&離婚調停3)

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        • 夫婦のこと、生きること
          18本
        • 長男長女とは。そして不登校日記
          15本
        • グルコーストランスポーター1欠損症
          61本
        • 吃音の記録
          17本

        記事

          いざ、山村留学

          山深い無人駅に単線電車が停まる。降りる人も乗る人も居ないのに、この駅はなぜあるのか。 そういう秘境駅も存在する静かな村に、引っ越すことにした。私とこども三人、親子四人で。 往来のない駅こそあるものの、中心地にある駅や里は明るく、学校は建て替えたばかりで新しい建材の香りがする。児童数は少なく、中学生から小学生まで入り混じってサッカーをしているところに、私達親子も混ぜてもらって、見知らぬ訪問者に村の人は皆親切だった。 期間は厳密には決めていないけれど、とりあえず一年。こども

          いざ、山村留学

          隠れ家のような場所  (吃音通級指導)

          3番目の子、ミコは吃音指導のために、週に1回通級指導教室に通っている。 私の懸案だった「抜けた分の授業はフォローがあるのか」という点においては、1年生はまだ授業時間が短い上に、通級の先生も午後に空きが会ったため、帰りの会を省略する程度の早退で済んでおり、これは大変ありがたい。 学年があがると、徐々に授業時間も長くなっていくので、今後もずっと、というわけにはいかないかもしれないけれど、まあほんの少し授業に出られなくても良いではないかという気持ちがすでにあったので、そもそも(

          隠れ家のような場所  (吃音通級指導)

          秩序があって安全(離婚調停①)

          離婚調停なるものに通っている。 調停は、家庭裁判所内で行われる。そこは家からそう遠くなかったけれど、なにしろ最寄りの家庭裁判所がどこにあるのかということも知らずに生きてきて(そして大抵の人は、所在地を知らずに一生を終えるのだろうけれども)、私は計らずもそれを知ることになり、これから月に一回通うことになろうとは、人生というのは本当に思いもかけない事が起こるものよ、と他人事のように思う。 他人事のように思うけれど、私、本人が申立人なのであった。私が始めたことなのだ。 もちろ

          秩序があって安全(離婚調停①)

          適、である。 〜不登校と知的障害と吃音〜

          吃音のある3番目のミコ。小学校入学と同時に通級指導に通うための申請を出し、面接や書類提出を経て、教育委員会から「通級指導、適、と判断する」という書類が9月に届いた。 これでようやっと通級指導に通えるわけだけれども、もったいぶらないでくださいよ、というのが正直な感想だったりする。 吃音の対応施設があるのは有り難い。だって学校だけでは、自分の吃音をどう取り扱っていくのか、自己流でやりくりしていくしかないわけだし、何か悩みにぶつかった時も、前置きなく相談出来る相手が欲しい。それ

          適、である。 〜不登校と知的障害と吃音〜

          今年の夏は暑かったらしい

          観測史上初の。異例の。災害級の。 そういう暑さだったという夏が、私には、ほとんど苦にならなかった。 もう酷暑が何年も続いていて、夏のふるまい方が身についてきたのかもしれない。冷房は欠かさないし、日中に長時間歩かない。水分は必ず備えて、命を守る行動をとる。こどもを遊ばせるのはプールばかり。 でも、それだけではなくて、私はこの夏とても元気だった。会いたい人に会い、気になる場所に出かけ、離婚調停の準備にも勤しんだ。 おかげで「夏休みに毎日お昼ご飯を作らなければ」とか、「毎日

          今年の夏は暑かったらしい

          おもちゃの指輪も、きらきらひかる。

          何度も結婚離婚を繰り返し、更に披露宴も盛大に開くと、冗談半分で「ご祝儀返しなさいよ」などと言われると聞く。 本当にそんなことを言った、言われた人が居るのかどうか、お会いしたことがないのでこれは都市伝説なのかもしれない。 けれど、自分が離婚すると決めると、じわじわと私達の結婚を喜んでお祝いしてくれた人達の事が思い出される。 ご祝儀云々と言う友人や親戚がいる気はしないけれど、私達も自分たちの出来る範囲で、しっかりと披露宴をやったので、そこに列席してもらい、心からおめでとうと

          おもちゃの指輪も、きらきらひかる。

          吃音と生きていく (療育から通級指導へ)

          吃音がある三番目の子、ミコの記録。 三歳からお世話になっていた療育センターの言語指導は、就学と同時に卒業しなければならないのがこの地域の決まり事である。 なぜなら、療育はとても混んでいるので。人口が多い都市部の多くはそうであるらしいし、また逆に、体力がない小さな自治体でも起きることらしい。 私もミコも、言語指導の先生をとても頼りにしていたので、この強制卒業はつらい。けれども決まり事であるので、前々から覚悟はしており、しかしそれでも、「卒業前に一度おかあさんだけで来てくだ

          吃音と生きていく (療育から通級指導へ)

          朝顔のカリカリ焼き(不登校日記3)

          私が小学生の時もそうであったように、現代でも小学校1年生は朝顔を育て、それを観察する。もしかしたら、地域性もあるかもしれない。 うちの子も、三人とも小1で朝顔を育て、家に持ち帰り、夏休み中に観察日記などを書く。 そしてタイトルの通り、三番目のミコが持ち帰った朝顔は、ほぼほぼ瀕死の状態で、鉢植えを持ち上げると、茶色く乾いた葉がハラハラと落ちた。 年々気候が厳しくなってきて、酷暑というのはわかる。上の二人の時は、まだ暑さがマシだったのかもしれない。が、ミコのクラスメイトで、

          朝顔のカリカリ焼き(不登校日記3)

          助走からガードレールを飛び越えて2車線向こうに着地できそう

          夫と別居して一年半が経ち、その間、とにかく問題が尽きなかった。 最初の数週間だけだったろうか、夫が平穏だったのは。 約束していた婚姻費用は、すぐに半分以下しか支払われなくなり、攻撃的なメールが日を置かず送られてくるようになった。 そして、夫は家の鍵を持っているので、留守中にあがった形跡があって、大切な書類は持ち去られるし、時には私の衣服だけが何着もクローゼットから放り出されていた。その他いろいろあったが書ききれない。 私は疲弊した。こどもたちが全員帰ってきて、ドアにチ

          助走からガードレールを飛び越えて2車線向こうに着地できそう

          演説みたい

          持病のため食事制限(ケトン食、修正アトキンス食)をしているニンタの親として、学校に特別な配慮を求めている記録。 一年生の時はこんな感じで、学校の対応を恨みがましく思っていた。 一年生の当時、栄養士の先生が「うちの学校がアレルギー対応していれば、ニンタさんにも対応出来たかもしれないんですけど、今は出来ません。アレルギー対応している公立校も市内にあることはありますが…」というコメントがあった。 学校によってアレルギー対応があったりなかったりするのは、公立の学校としてどうなの

          演説みたい

          おかあさんは無料ではない

          知的障害のあるニンタは、四年生。小学生の支援級に在席していて、支援級というのは知的障害、発達障害、身体障害、事情はさまざまだけれど、一年生の時は、たいていは親に付き添われて登校する。 そもそも支援級でなくとも、一年生だから、さあ、一人で歩けと言われてもなかなか厳しいもので、付き添ったり付き添わなかったり、家庭によってまちまちである。 ニンタももちろんそうで、新一年生の頃はランドセルを背負って学校まで歩く体力がギリギリだったし、小型犬がシッポをふりふり愛らしく散歩していても

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          闘う中学生(不登校日記2)

          一番上の子、中学生のいっちゃんが不登校ぎみであり、その試行錯誤の記録。 前回の記事はこちら↓ 学校は行ったり行かなかったりを繰り返しつつ、まだ手探りであるけれど、そういう中でいっちゃんが決断した。「塾をやめる」と。おお、そうきたか。 ◇ 約一年前、中学生になったいっちゃんが塾に行きたいと言うので、あちこちの塾を見学した。いっちゃんが選んだのはゴリゴリの進学塾で、本当にここに行くのかい?と思ったけれど、フィーリングが合ったようだったので、まあそれは大事だよね、ということ

          闘う中学生(不登校日記2)