食べない子は、どうしたって食べない。それでも私は。

「ウチの子、全然ごはん食べないのよー」。は子育ての永遠の悩みである。私もその答えを知らない。けれど、その「全然ごはん食べないこども」に「病気の治療のために、残さず食べさせてください」と言われたら、どうするか?私は右往左往した。もしかしたら、病気じゃない、普通の子育てに通ずるヒントがあるかもしれないし、同じように病気の子の食事に悩む人と共感できることがあるかもしれない。

先に言ってしまうと、過ぎ去った日を振り返って私が思うのは、タイトルの通り、「食べない子は食べない」だ。しかし、お薬と同じように、一口だけなら。今日1日だけなら。食べさせる工夫はいくつかある。ただ、それをするには、親子共に、かなりのダメージが与えられることを覚悟しなければいけない。私は「病気の治療」という名目に気をとられ、親と子のストレスは無視して、食べない子に食べさせ続ける、という壮大な実験をしてしまった。もう過ぎ去ってしまったことなので、後悔しても仕方がないが、私の失敗の記録として書いておきたい。そして、こんなに頑張らなくても出来たかもしれないが、「体調の改善」は一応しました、ということも、先にお伝えしておく。

食事療法の開始

ニンタ4歳。入院して、いよいよ食事療法、糖質制限が始まった。これからは病院で出される食事しか食べることが出来ない。売店に行ってお菓子を買うなど御法度だ。けれど、一番大変なのは「なるべく残さないでほしい」ということかもしれない。

「グルコーストランスポーター1欠損症(通称、グルットワン欠損)」と診断されたニンタの行う食事療法は「修正アトキンス食」だ。普通の食事から少しずつ糖質を減らし、足りないカロリーは脂質で補う。最終的なゴールは「1日の糖質摂取量を12.5gにすること」。これは、糖質制限ダイエットをやったことがある人なら、いかに厳しい数字かわかるだろう。たとえ4歳だとしても、調味料に入っている糖質まで気を配らなければ達成できない数字だ。

そしてその間、血糖値やケトン値を計測しながら、体に無理がかかっていないか常にチェックする。体に負荷がかからないように、栄養士さんが、しっかり計算して、ジリジリと糖質を減らして行く。そこで食べたり食べなかったりしたら、体に負担もかかるし、途中経過もわかりにくい。まあ、途中経過がわからなくても、具合が悪くならずに最終目標までゴールできれば、結果オーライだ。でも一番問題なのは、食べ残し過ぎて、低血糖になることだと言う。ご飯やパンが少しずつ減って行き、ゼロになると、野菜からほとんどの糖質をとることになる。野菜が嫌いと言って、お肉しか食べなかったら、糖質は調味料くらいで、ほぼゼロだ。低血糖状態が長く続くと、命の危険もあるので、もし低血糖になった場合はリンゴジュースなどを50mlずつ飲ませて様子をみるようにと言われた。

困ったことに、入院すると、ほとんどのこどもは食欲がガクンと落ちる。ニンタも同様だ。家ではこどもの好みに合わせて作っているけれど、病院では、そうはいかない。栄養バランスも考えられたメニューなので、家庭によっては、こんなにお野菜!?と思うかもしれない。そして、入院生活での運動不足、ストレス、いろんな要因が重なって、どの親子も、だましだまし、なんとかご飯を食べさせるのに必死だ。それでも、この病院の食事はかなり充実していて、おいしい食事を出してくれていたと思う。それでも食べないこども達。ニンタも同じく盛大に残していたのに、これからは「なるべく残さず…」。ニンタは出来るだろうか。

主食がゼロになる「修正アトキンス食」だが、ニンタはこの食事療法を始めるにあたって、心配の少ない方だったと思う。もともとニンタは主食ばかりを食べてしまう、というタイプではないし、おかずの方が好きだった。おかずは肉や魚のメインが好きだが、ものすごく野菜の好き嫌いがあるわけでもない。そして、食も細い方ではない。大好きな果物が食べられないのが1番つらいが、もしかしたら、なんとかなるかもしれない。そんな希望的な思いもあった。

さて、いよいよ最初の食事。主食が少なめ?いや、言われなかったら気づかなかったかもしれない。ニンタは喜んではいなかったが、いつも通りに食べ、そしていつも通りに残してしまった。

だんだん主食が減っていき、ゼロになる。主食への執着はあまりなかったと思うのだが、なんとなく食事がつまらないと感じているようだった。大好きなお肉や魚を食べ終わると、そこに残るのは野菜だけ。どうしても食べられないわけではないが、わざわざ食べたいとも思わない。どうやって食べ残しを減らそうか。私は試行錯誤し、看護士さんも全面バックアップの体制だった。

作戦その①好きな場所で食べる

まずはデイルーム(食堂のようなところ)のどこで食べるかをニンタに決めてもらう。少しでも気分良くスタートしてもらうためだ。そして、気分がのらなくなったら、場所を変える。たいていはナースステーション前に移動となり、後半は看護士さんの働く姿を見ながら食事をした。

作戦その②助っ人を呼ぶ

最初は親子2人で食べ始めるが、これはもうダメだな、と思ったら看護士さんを呼ぶ。看護士さんもあの手この手で、「看護士さんが目をつぶってる間にどれがなくなってるかな~」と目を隠したり、ぬいぐるみを持ってきて、「ほら、プーさんも応援してるよ!ぼく、プーさん!ニンタくん、次は何を食べようか!」と、気の遠くなるような演劇を繰り広げてくれるのだった。この助っ人は看護士さんだけでなく、メニューを考えてくれている栄養士のアメ先生も加わった。時々、食べられているか、困ったことはないか、と様子を見にきてくれるのだが、そのときは辛抱強く「これ、アメさんが作ったんよ。食べられるかな。食べられたらメニューの横にハナマルするね」と、かなり長時間様子を見ながらニンタに促し、甘えるニンタの口に、あーんと、食事も運んでくれた。

作戦その③好物は半分隠す

お肉やお魚を最初に全部食べてしまうと、空腹感がなくなって、ますます野菜を食べない。そこで、メインは最初に半分隠し、「お皿をピカピカにしたらご褒美があるかもよー?」と誘う。食べきったところで、「わあ!お肉のおかわりが届いた!」と出してくる。そらぞらしいこと、この上ないが、幼いニンタは「どうせ隠してるんでしょ?」という憎まれ口をたたくこともなく(こころの中では思っていただろうが)毎回この流れでしぶしぶと食べることになる。

作戦その④料理をアレンジする

ニンタは味のさっぱりした、付け合わせのような野菜を特に嫌がった。そこで、ハサミで小さく切り刻んで、メインのお肉のお皿に残っているソースや油分をまぶし、ついでにデイルームにあるレンジでチンして少しでも柔らかくして、さあ、作ってきたよ!と仕切り直す。

作戦その⑤離乳食に戻す(禁じ手)

ニンタは食事制限が始まってから日に日に元気がなくなっていき、噛む元気すら残っていないようだった。糖質制限の初めは、糖質が少なくなって栄養は足りないし、かといってまだケトンの量が十分ではないし、大人がやってみてもつらいのだと言う(後に文献を読んだところ、自分の体で実験した方がいて、そう感想を書いてあった)。野菜はなるべく柔らかくしてください、と頼んではあったが、それでもまだ固いと言って泣いた。これはもう、メニューを少し変更しないとダメだろう、と栄養士さんに相談すると、タイミング悪く連休中で、担当の栄養士のアメ先生が不在だと言う。連休のため、食材の発注も終わっていてメニューが変更できない。そこで、食事を全てミキサーでペースト状にしてもらい、私は外出して「糖質ゼロ麺(原材料は大豆)」というものを教えてもらって買いに行き、その麺にまぶして、パスタのような見た目にして食べさせた。長いハンストで、腹ペコだったニンタは食べたが、これは禁じ手である。成長期のこどもが噛むことをサボったら、様々な発達の遅れを引き起こす。病気で噛めない場合は必然の選択だが、噛める場合は避けるべきだろう。私もこの連休の事件以外ではやったことがない。ちなみに、連休があけてアメ先生が出勤してきた時、「大変だったようで…」と言ってくれたので、遠慮なく「ぜんっぜん食べませんでしたー!」としっかり八つ当たりさせてもらった。

結論。食べないときは食べない。それでも私は食べさせ続けた。

これだけ頑張っても、入院の前半、ニンタはどうしても食べきることができなかった。そしてついに、夜中に急に目を覚まし、嘔吐する。恐れていた低血糖が起こった。顔色はさえず、ぐったりしているのに、時間が時間なので、夜勤の看護士さんしか居ない。若い看護士さんは電話で指示をあおぎながら、血糖を測定し、私は指示に従って、備えてあったリンゴジュースを飲ませた。私も看護士さんもかなりオロオロしたが、血糖は元に戻り、健康状態も問題なかったので、次の日から予定通りの低糖質メニューが出された。

何もなくて良かったが、この経験は、私に「低血糖、食べ残しは怖い」というイメージを強烈に残してしまった。その結果、私は退院後もしばらく、食べ残しがないようにピリピリすることになってしまう。

確かに低血糖は怖いが、もし大量に食べ残しが続くなら、緊急時のりんごジュースに倣って、好物の果物でも一口、糖質量を計って、多すぎないように与える、という選択肢もあったのだ。しかし、そのあたりのさじ加減はとても難しい。まず、野菜を残せば果物をもらえる、と、こどもが覚えてしまうのが怖かった。では、それほど好物ではないイモ類を少々食べさせて、糖質をカバーする方法はどうか?悪くはないが、イモ類は基本的には食べてはいけないのに、頻繁に登場すると、「食べて良いもの」と認識してしまう恐れもあった。ならば、薬にお砂糖を少量混ぜて、本人がわからないように糖質を摂らせる、という方法はどうだろう?これも名案だが、野菜を食べずに砂糖を食べる、という不健康さが気になった。何より、食事は「慣れ」である。野菜を食べなくてもいいよ、と親が投げ出したら、いつ食べられるようになるかわからない。私は「いつか食べるようになる」と待つことができなかった。ただでさえこの食事療法は、ビタミンや食物繊維などが足りなくなりやすい、偏った食事なのだ。出された食事は残さず食べて欲しい。私はその願いを諦めることができなかった。

結局、病院から与えられた指示に頼るのが一番安心で、私は自己流の糖質コントロールを実施したことは一度もない。一度やってしまって、後戻りできなくなることが怖かったのだ。でも、人生は長い。どうしてもつらい時や、こどもの機嫌が悪いとき、上手にいろんな方法で逃げて、息抜きできる母親であったらよかったのに。と今になってみれば、思う。

野菜がどんなふうに体に役立っているか、とか、果物一口とサラダ一皿、同じ糖質量でも、とれる栄養量はサラダの方が断然多いとか、そういうことは、「サラダを食べてえらいね!」と言い続けたり、果物を食べるときの悲しそうな親の表情で、こどもは学んでいくのではないかと思っている。結局、私はこどもの力を信じることができていなかったし、長い目でものを見ることもできなかった。こどもは成長する。いつか、食べる日が来る。今になってはそう思えるのだが、当時の私は無理だった。結局、スパルタで食事を食べさせ続けているうちに、極端に食べ残すことはなくなった。こどもの成長が追いついてしまったのだ。

こどもの食事療法は、継続出来るのか

入院中の話に戻ると、入院の後半は、ケトンが増えてきて元気になったのか、食事になれてきたのか、作戦の①~④を総動員すれば、食事を残さず食べられるようになった。毎回とても時間がかかったが、それでも空になったお皿は、ニンタにこの食事を食べる力がある、ということを示していて、退院後も続けていけるかもしれない、という希望の1つだった。同時に、看護士さんのバックアップでやっと成り立っているこの食事を、私1人でやるというのは大きな不安でもあった。そこで、病院のソーシャルワーカーさんが、入院中に訪問看護を手配してくれ、退院後すぐに「食事を食べさせる」というためだけの応援を受けることができたのだ。私はこの応援がなかったら、退院後の時期を乗り越えることができなかったと思う。(繰り返しになるが、全部食べさせなければと思わなければ、そこまでの応援も要らなかったかもしれない)。

「食べさせ続けること」の弊害

結局、いろいろ大変だったけど、スパルタを続けた結果、食べるようになったのだから、いいではないか、という考え方もあるだろう。ただ、忘れてはいけないことがある。親と子のストレスだ。

ニンタの髪の毛は、まっすぐで柔らかいストレートなのだが、ある時から急にチリチリの固い毛になった。成長と共に毛質が変わることはよくあるので、ニンタもそうかな?と思っていたのだが、15cmほど固い毛が続いた後、また元の柔らかいストレートに戻った。その固い毛質の時期が、ちょうど食事療法を始めた時期にあたる。病院の先生に聞いても、食事療法で毛質が変わるなんて話は聞いたことがないという。栄養の変化が影響していないとすると、素人として考えられるのはストレスしかない。私が「食べさせることの代償」について考えるのは、こういう時である。

そして、食事を食べさせ続けることは、こどものストレスであると同時に、私自身にも影響があった。

入院中のある日、ニンタがなかなか食事を食べ終わらないので、私はイライラして強引にスプーンをニンタの口に入れた。すると、ニンタの唇から、うっすらと血がにじんだ。私は自分が情けなくて怖くて、ボロボロ泣きながら食事を食べさせていると、看護士さんに「おかあさん、代わりますから、少し休んで」と声をかけられた。私はニンタと毎晩2人で寝ているベッドに戻って、声をこらえて泣いた。先生や栄養士さんは、治療の効果や今後の健康を考えれば、食べられるなら食べてほしいだろう。だから、もう無理です、と声をあげられるのは親しかいない。私は最後までそれを言うことが出来ず、結局軌道にのるまで乗り切ってしまうことになる。しかし、負った傷は大きかった。私はいろんな人の助けなしには子育てを続けられなくなり、今でも多くの人の手を借りている。

もちろん、しっかりと食事療法を続けて良かったこともあり、ニンタは日に日に元気になっていき、毎日大きな声で歌を歌うようになった。大人しいと思っていたのに、けっこう陽気なとこがあるのね、と私は驚き、嬉しかった。

ただ、モノには限度がある。私はどう考えても頑張りすぎた。自分のメンタルが弱いと思われる方は、どうか私を反面教師にしていただきたい。

食事療法の中断を迫られるとき

「無理です」と声をあげられるのは親しかいない、と書いたが、主治医のヤマ先生も、もちろん私の危なっかしい様子は分かっていた。以前ちらっと書いたことがあったが、一度、ヤマ先生に治療を中断しようかと持ちかけられたことがある。

食事療法が終わって退院が近づいたとき。まずは退院の延期を打診された。退院後のことを不安に思っているようだし、もう少し病院で治療を続けたらどうか、と。でも、1歳のミコを預かる親戚は疲労困憊しているようだし、私も家だったら、もっと野菜を柔らかくしたり、好きなメニューを増やしたりできるかな、と思ったので、まずは退院してみることにした。退院後は残念ながらもっとボロボロになるのだが、ミコの事を思えば、あそこで一度退院したのは、私の安心のためにも、周囲のためにも良かったと思う。そして、なんとか1ヶ月間を過ごして、予定通り、再び5日間の検査入院となる。それまでに何度か電話で相談もしていたので、家での様子はヤマ先生の耳に入っていた。そして入院して開口一番に、ヤマ先生は、「治療、いったんやめましょうか?」と、提案をしてきたのだ。私はそんなことは考えもしなかったので、とても驚いた。「おかあさんに、かなり負担がかかっているようだし、そういう道もあるかと思いまして」。

そんな。やっと毎日順調にケトンが出るようになったのに。ニンタも4歳になってしまったとはいえ、まだまだ発達が伸びる時期なのに。この時期を逃したくない。嫌だ。私はきっぱりと断った。確かに、この病気は命に直接関わる病気ではないかもしれない。でも、食事療法をやめれば、発達が遅れるとか、不機嫌が続くとか、そういう体調の悪さを引きずりながら生きていくことになる。それが分かっていながら、食事療法を私の意志でやめることは出来なかった。

そして、私はこの提案で、遅ればせながら、もう1つの可能性に気付いた。もしも私が倒れたら、この治療は中断する可能性があるのだ。ぞっとした。私がこのあと、ありとあらゆる福祉サービスに助けを求めるようになったのは、この理由が大きかった。

同時に、私はもっと先の将来も考えるようになった。ニンタが自分で自分のことを決められない現在、私が代わりに、ニンタにとって良いと思う道を選んで続けていくしかない。でも、ニンタが成人して、自分の意見が言えるようになった時。「死んでもなんでもいいから、好きなものが思いきり食べたい」と言ったら、私は、その時は必ず手を離す。そう決めた。もちろん、起こりうる可能性はきちんと説明する。食事療法を止めて、ちょっと具合が悪くなって、「しんどいから、やっぱり食事療法を続ける」と言うかもしれないし、「しんどくて寝たきりになったけどこれでいい」と言うかもしれないし、発作を起こして命に関わるような可能性も、全くゼロとは言い切れない。でも、私はその時、必ず手を離す。だってそれはニンタの人生だから。この話を人にすると、「嘘でしょう?自分のこどもにそんなこと出来る?絶対に止めるよ」と言われることがあるけれど、私の決意は固い。それは、ニンタが大人になるまでの辛抱だ、という自分への励ましでもあるし、ニンタの人生を私が握っている、などという驕り、錯覚を持たないようにする戒めでもある。

人生は続く。食事も続く。

ニンタが6歳になった現在、ニンタに食事療法を続けるかどうか、確認したことはまだない。でも、私の見る限り、ニンタはしっかりと自分の病気を理解し、治療を続ける意志がある。最初は他の子たちがお菓子を食べているのを見ると、欲しくて泣いたが、今は「それ食べるとニンタ死んじゃうから」と言うようになった。(もちろん、「死なないよー。疲れて具合は悪くなっちゃうけどね」という訂正をし、正しく認識してもらうように声かけはしている)。他にも、初めて食べるものは「これ食べていいの?」と聞くし、油の摂取も服薬も嫌がらない。ニンタは私よりもよっぽど強いと思う。それはよわよわメンタルの母、私の支えである。

そういえば、ニンタは食事療法を始めた4歳のときから、迷いはなかったのかもしれない。食事療法を始めて数週間たったときの、忘れられない思い出がある。私は気晴らしに、ニンタを連れて病院から外出し、公園へ行った。そして、2人で誰もいない公園の砂場で遊んでいるとき、私は独り言でも言うように、ニンタに語りかけた。「ニンタは今、ごはんの勉強を頑張ってるでしょう?ニンタの病気はね、グルットワン、っていう病気でね、治らないんだ。ニンタはずっとごはんのお勉強を続けなきゃいけなくて…」。ニンタは黙々と砂をバケツに詰めながら話を聞いていたが、突然「グルットワンけっそん!」ときっぱりした口調で言った。私が「グルットワン」と短く言ったので、いつもヤマ先生が言っている「グルットワン欠損」という呼び名に訂正したのだ。「あ、そうだね、グルットワン欠損だね。そうだね」。

ニンタが思った以上に先生と私の会話を聞いていて驚いた。自分の体調だって、一番自分が良くわかるだろう。毎日食べずにグズグズとするが、その場を逃げ出すこともない。ニンタはわかっているのだ。

ニンタと食事の戦いは、まだまだ続いている。気持ちがゆれて泣くこともある。それでも、とりあえず続いているのは、このニンタの根性のおかげだ。

私は、と言うと…。小さい声で言うが、残念ながら、今でも作るときは「うー、めんどくさい!」と思っているし、食事になれば「また残してる!」と口うるさい。完璧主義は抜けていないし、メンタルもよわよわの、ダメ母である。それでも、ニンタの食事は続いていく。生きている限り、永遠に、続いていく。

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