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障害児の学歴問題

去年書いて眠っていた記事が出てきた。
ニンタは四年生になったけれども、基本的に問題は解決していない。

でも、先生がニンタのために「理科・社会の単元まとめポスター」をたくさん作ってくれて、我が家のトイレの壁はそれらでびっしりになった。

今出来ることはやっている。先生も協力してくれていて頭があがらない。

現在はそろそろ中学の進学を考えなければならず、おそらく公立中学の支援学級に進学するのだろうけれども、本当にぼうっとその選択をして良いものか、後で後悔しないように考えるだけは考えたい、と思っている。

地域にもよるとは思うけれど、教員不足が深刻なら、支援級の教員不足が更に深刻なのは当然だろうなと思う。

障害のある子が、隔離されず、しかし勉強を理解できないまま放ったらかしにもされない、そういう教育の整備を心から望む。

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まだニンタが5歳くらいだった頃、障害児の教育についての講演を聞きに行ったことがあった。

そのときに聞いた言葉が今でも頭に残っている。

「障害があっても学歴が必要か、そうでないかで、逆算して今やるべきことが変わってきます。障害があっても、学問するための工夫はたくさんあるので、考えなしに諦めてはいけない。でも、間違えないでください、いくら学歴があっても、犯罪を起こしてしまったら何にもならないんですよ。どんな子にも、まずは社会生活能力というものを第一に考えてほしいんです」。

学問よりも社会生活能力が大切、という点はもちろん分かる。しかし、ニンタに学歴が必要かどうか、或いはそれが選択できる状態であるのかどうかは、当時全く分からなかった。

それから4年ほど経ち、ニンタ三年生の時。

知的障害のあるニンタに勉強を教える事は本当に難しい。2+2+2は6で、2×3とも書けて、同じ6ですよ、と言っても、「数」の概念がふわふわしているから、自分でねんどでお団子を作って、そのお団子を数えたりして、根気強く「数」というイメージを作っていく。ニンタはまだその段階に居る。

お団子だけではない。漢字の覚え方、形の認識、複数の物事を同時進行で動かす頭の使い方。そういうものをゲームなどを使ってやる工夫、やり方、先人の考えた障害児への教育方法が山のようにある。親がその世界を勉強しようと思ったら、いくらでも出来るし、お金もいくらでもかけられる。

でも、私には無理。更に、学校でもデイサービスでも勉強をしてくるニンタを、家に帰ってきてまで勉強させるのは、どうかとも思う。だから、私は勉強は学校任せにして、考えすぎないようにしてきた。

でも、何度も自問自答した。ニンタはこの先、高校受験をするのか、それとも中学卒業後には支援学校へ行くのか。知的にいくらか問題があっても、「高校」と名前のつくところに無理矢理入学するのは不可能ではないかもしれない。授業内容はほぼ理解できず、名ばかりの高卒資格となるだろうけれど。

小学校入学前に講演を聞いた時、私は「いやいや、今から学歴が必要かどうかなんて、分かりませんよ、第一ひらがなが読めるかどうかだってまだ分からないのに」と思っていた。

そして、一年生になり、先生のおかげもあって、ひらがなは読み書きできるようになったニンタ。もしかして、勉強を諦めなくても良いのか?学歴が必要な子なのか?ますます分からなくなる。

そして、数字の概念はいっこうに深まらないまま過ぎた二年生。やはり進学は難しいか。

三年生になって、勉強はどんどん難しくなる。先生は、ニンタになんでも挑戦させようとしてくれているが、ニンタはちんぷんかんぷんだ。でも、もしかしたらニンタが虫の体のつくりに興味を覚えるかもしれない。地図記号を覚えて、地図好きの子になるかもしれない。最初からやらない、という選択肢をとるのは難しい。

しかし、結果は出ていない。他の三年生と一緒の授業は、さっぱりわからず、ニンタにとっては退屈なものだった。虫の体にしても、地図にしても、本当は4歳児がわかるように教えなければ意味がない。でも周りは三年生で、三年生用の授業が進んでいく。

先生もきっと迷いの中にいるんだろう。やらせない、という事は勇気がいる。才能の芽を摘んでしまうかもしれない。

でも、毎日全くわからない授業を大人しく聞いているニンタの事を思うと、このままで良いとは思えない。ここは、親である私が決心をしないといけないのだ。公立小学校で、圧倒的に先生が足りていない中で、付添の先生も居ないまま、ニンタがみんなと同じ勉強をするのは無理がある。

私は先生に面談を申し込んで、宣言した。

「ニンタは着実に成長していますが、それでも今の学校の勉強は難しすぎます。先生がサポートについてもらえるのであれば、ぜひ難しい単元にも挑戦して、ニンタなりの学びを得てほしいと考えていますが、人手が足りなくて不可能というのもわかっています。であれば、もう普通級に行く授業は最低限まで減らしてください。算数も、六年生になるまで一桁の計算でも構わないです。10が「7と3」「8と2」という、数の構成がわからないうちに、2桁の足し算をやるのは、理論的に不可能ではないけれど、ニンタが理解しているとは、到底思えません。ニンタに学歴はいらないと、私も決心しましたから、先生もそのつもりで考え直してほしいんです。理科の「虫の体の作り」とか、社会の「地図記号」は、単元ごとにまとめを家に貼っておきます。毎日眺めていれば、今は難しくても、もしかしたら大人になるまでに、覚えるかもしれません。答えを書くのが難しいならば、『家に貼る』というのも一つの宿題の形だと思うのですが、どうでしょうか」

先生は熱心にメモをとりながら話を聞いてくれた。そして、繰り返し形を変えて質問し、「本当に交流級に行く時間を減らして良いのか」「交流級で学ぶ意義についてどう思うか」と、親の私の認識を確認した。

私と先生は大きく舵を切り直そうとしている。慎重になるのは当然だ。と、同時に、全国で言われている教員不足は、この地域でも変わりない。個別指導を増やすという事は、それだけ人員が必要だということでもある。すでに限界を超えている人手不足で、そんなことが可能なのか、私には見当がつかない。でも、だからと言って、ただじっと座っているだけの授業時間を、このまま過ごさせておくわけにいかないのだ。それは、親として。

面談の後もまだ考え続けている。私の注文に応えようとして、先生が潰れたらどうするのか。間違っているのは、先生の指導法ではなくて、人手不足、システムの方だ。先生だって、ニンタがほったらかしになっている現状を、良いなんて思ってないだろう。でも、出来ない。だからこうなっている。

発達障害の認識が広がると同時に、支援が必要な子は増えてきた。増えてきたというのは、今まで見落としてきた事がわかっただけの事で、それは良い変化だと思う。

でも、現場では指導者が足りていない。圧倒的に。

一朝一夕にシステムは変わらない。人は増えない。何の力も持たない一人の親が、自分の子のために出来ることはなんだろう。いっそ、転校か。いや、仮にそうしたとして、自分の子が助かるだけでは救われない。現場の先生も、ニンタの友達も、みんなが自分の理想とする環境に見を置けるようになるべきなのに。

暴論だけれど、今、支援級のシステムがうまくいっていないのなら、一定期間クラスを閉めて、立て直しをしたっていいと思っている。出来るわけがないけれど。

六年間で小学校を卒業しなくてはならない、そのために六年間でここまでやらなくてはいけない。そういう目標設定に無理があって、特に知的障害を持つ子に、それを当てはめる意味がよくわからない。4歳の知能のニンタが、三年生の教科をやらないと、「友達と机を並べて共に学んだ」という経験が出来ないのが、現状。

この目標設定のために、子も、先生も、親も、目標設定をした教育委員会自身でさえも、どうにも出来ない壁にぶつかっているんじゃないだろうか。

インクルーシブ教育を目指すのはいい。でも、そのための人員確保は夢のまた夢だ。小学校で留年制度が導入されないと、真の解決はない、と私は思っている。

理想論と現実を並べて、でも私は現実を生きるしかない。今の制度の中で、私に何が出来るのか、少しでもマシな方へ、手探りで微調整し続けるしかない。

そのための妥協案が「ニンタに学歴は要りません」という宣言で、これが将来どういう意味を持つのか、先に進んでみないと本当のところは分からない。親の私が、勝手にニンタの未来を決めつけるような発言。恐ろしいけれど、でも今はこれしか方法がなかった。

もちろん必要とあれば、いつでも撤回して、学び直す事も覚悟の上で。

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