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1年生は6歳じゃないとダメですか

新型コロナウイルスの影響で、休校が続いている。我が家も同じく。上の子いっちゃんと、今年小学1年生になったばかりのニンタは暇をもてあましている。ミコの保育園はかろうじて開園しているが、自粛で半分くらいの登園というところだ。

そこで突然出てきた「9月入学案」。これに賛成だとか反対だとか、何の専門家でもない、一介の主婦である私が意見するところではない。が、9月入学案の「問題点」として、報じられたリストに、1つ興味のある点があった。

9月入学は新小学1年生の入学年齢が、最高で7歳5ヶ月となり、世界でも異例の高年齢になる。

そうか。そうなのか。確かにそうだ。

では、仮に9月入学になったとして、来年の1年生はどうするか。9月1日以降に生まれた人は1年生!としたら、今の年長さんの9月~3月生まれの人は今年の9月に即入学!4月~8月生まれは年中さんのクラスに移動、もちろん玉突きで全学年の編成を組み直し!?…という心配をしている親御さんもいた。

こんなことが本当に起こるとは思えないが…。いきなりクラスが真っ二つになって、上の学年と下の学年に分けられたら、園児だって不安だろう。

どうして不安なのか?そんなこと日本で経験したことがないからだ。では、自分で好きな学年が選べたとしたらどうだろう。いわゆる、飛び級や留年が小学生でもできるとしたら。そういう国はある。

どうして私がそんなことに興味があるかと言うと、ニンタの療育で出会った友達が、よくこう言うからだ。「もう1年、小学校入学を遅らせることが出来たら、もう少し不安がなくなるのに」。これは全く無理な話ではないのだが、学校に登校できないような重病でない限り、教育委員会と全面戦争になる覚悟がいるようだった。

私も、「あと1年あったら…」とは何度も思った。ニンタと同学年の多くは、入学前にすらすら文字を書く。絵も上手だ。ハキハキとお話もする。そこへニンタを放り込んで、いくら先生のサポートがあるとはいえ、本当に大丈夫なのだろうか?

ニンタは支援級だが、1年の間は、できる限り通常級で授業も受けるという。支援級は人数が少ないので、通常級に通う時間が多いことは、社会性を学ぶ上でもありがたい。

けれど、2年生になって、理解できていないことが多いとなったら、無理矢理2年生の授業には参加できないだろう。かといって、もう一度1年生はできないから、少人数の支援級で、ゆっくり1年の内容を復習をするしかない。

では本当に、小学校の入学年齢を選べるとしたら?1年遅らせただけで、本当に安心して入学させられるだろうか?まだ不安だったら、いつまで小学校の入学を遅らせる?体もどんどん大きくなる。その違和感を、周りは受け入れてくれるのか?社会へ出るのもどんどん遅れるが、それについては不安がないと言えるのか?

仮定の話をしても仕方がない。現在、日本の義務教育が、飛び級も留年もない、いったりきたり禁止のシステムである以上、そこからこぼれた子は、自分に合わない環境で授業を受けるか、集団からはずれて、少人数や自宅学習でマイペースでやっていくかの、二択なのである。

義務教育だけではない。私は大学受験に失敗し、浪人したが、その恐怖はかなりのものだった。大学も留年した。そのときも、どうしようもない孤独感があった。社会に出ると、意外とそういう人は多くて、今ではいい経験だったとすら思う。でも、20歳前後のときの私は、「人より遅れる」「違う集団に急に組み込まれる」というのは、異質なことで、避けなければと思っていた。

今では改善されてきたと思うが、その先の就職も、もともと四角四面なところがある。私が就職活動したときは、「新卒採用」という枠があり、大学を今年度の3月に卒業する人、という基準を設けている会社がほとんどだった。もちろん就職浪人した人はダメ。会社によっては海外の大学を6月に卒業した人にさえ、首を傾げる企業があった。

私も長いこと主婦をしているので、今の現場はわからないが、「アベノミクス」で景気が回復するのでは?と期待されたとき、今年より来年の方が就職しやすいかも?と見込んで、わざわざ大学を留年する学生もいる、なんて話がテレビで報じられたくらいだから、まだ「新卒枠」というものは存在しているのだろう。

長くなった。

「あー!堅苦しい!」結局言いたいのは、これだ。

横並びでないと不安になるような仕組み。これが全部堅苦しい。もう、枠からはみ出すことが半ば決定しているニンタにとっては、この仕組みがいちいちハードルになる。

世の中には、こんな仕組みに縛られず、自分の才能だけを武器に、ひらりひらりと生きていく猛者もいるのだろう。

ニンタだって、もう枠からはずれたのだ。気にしないでいけばいい。本人は気にしないかもしれない。

だから、堅苦しいのは、ハードルになるのは、この私なのだろう。ニンタに障害がある、とわかって、初めて、私はこの問題に気付かされたくらいだ。私は今まで、この教育の仕組みに何の疑問も持ってこなかった、横並び側の人間だ。

でも、これってニンタのような障害者だけの問題なのだろうか。もしかしたら、ちょっとだけ勉強についていけないとか、ちょっとだけ学校が苦手だとか、体は健康だけど、みんなと同じスピードで人生を進むのが困難、という人の方が、見落とされやすくて、救われないのかもしれない。

システムが変わったらいいなあ、とは思う。留年も飛び級も当たり前で、それぞれに合った教育が受けられる未来。ついでに、障害者もそうでない人も、区別されない未来。

でも、その未来が近いうちに来ないのであれば、それはもう、勝手にこちらからその枠にサヨナラして、皆さんいろいろ大変ですね、と高みの見物をするくらいの強さを持たなければいけないのだろう。

それは誰にでもできることではない。

みんなと違うことは怖いことですか。いけないことですか。誰かの許しをもらわなくてはいけませんか。みんなって誰ですか。

9月入学案のニュースを聞いて、こんなことを考えているのは、私だけではないはずだ。

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