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箱庭

「花を咲かす時って、とてもパワーがいるの」

最近、YouTubeで薔薇の育て方を見ていた時に聞いた言葉だ。知らなかった。当たり前のように、咲くものだと思っていた。
その言葉に、今の自分を重ねてしまった。

昨年の秋からどうにもこうにも、これまでのように活動的になれず、この春ついにメンタルと体調が崩れてしまった。仕事の忙しさも相まって、綱渡り状態だった日々がここにきて暴発したのだ。
ペンを持つこともままならない日々が続いていた。

処方された薬を飲み、カウンセリングを受けながらもがいていたのだが「少しでも早く良くなれば」と、セルフケアとしてガーデニングを始めてみたところ、見事にハマった。ベランダにプランターや鉢を並べ、小さな庭をつくってみた。

子どもの頃、家で花を育てる大人たちをみて「なんでこんなに花が好きなんだろう」と思っていたが、歳を重ね、その良さにやっと気が付いた。
ポットから苗を取り出し、用意した鉢に植えていく。ベランダに座り込み素手で土をいじりながら、天空の城ラピュタの「土から離れては生きられないのよ」という名言を思い出す。

植物は言葉こそ発しないが、その分にょきにょきと広げた葉っぱで語りかけてくる。可愛いねぇ、と愛でながら手入れをしていると、なんだか艶やかになり生き生きとしてくる。
逆に、日当たりが悪かったり、私の体調が悪い時なんかは、葉っぱもシオシオになり元気がなくなる。
もう運命共同体だろう。日々生きるためのバロメーターになっている。

先日、ベランダにつくったこの小さな庭を眺めながら、何も考えない時間があった。
本当にぼーっとしている。いつもなら五月蝿いと思う車の音は、右から左へ通り抜けていき、まるで流れる風と共に空気になっている。
この間、何も生み出さない。多くの植物たちが作り出した酸素を吸い、体の中で濾過された二酸化炭素を吐き出し、人に対して良き行いも施さない。
こんな状態で私の生きてる意味とは?なんて普段なら考えそうだが、それすらも出てこない。
地球に生まれた生物として、与えられた特権をこの身に享受するだけの時間だった。
何もせず、じっとそこに座り、風に揺られる植物を眺めている。

心底疲れていたのだ。自身をあらゆるネットワークから断絶させシャットダウンしなければいけなかったのだ。そこまでしないと脳みそのCPUをフル稼働させていることに気付けなかったのだ。
脳は血液やカロリーなどいち臓器としてそれらが使われる割合も多いようだが、「できてない自分」から生まれる焦燥感と不安と、とめどなく溢れる歪んだ認知バイヤスなどで、おおよそ脳が効率よく使うための場所を埋め尽くしていたのだ。これではクリエイティブをしようといった動作までいかないはずだ。
何かを創り出すことは、植物が花をつけるように、とてもパワーのいることだったのだ。

がんばっているのに、がんばっていることを受け入れない。
がんばっているときほど、がんばっている自分を認めない。
「もっと、もっと、がんばらないと意味がない」と、強迫観念を餌にぶら下げ、自分の足元を踏み鳴らしている。

「今までのように」と思って、かつての活動的な自分を取り戻そうとしているが、この小さな庭のように、今の自分に新しく苗を植え、育てていくのもいいかもしれない。日々、生きるためにがんばっていた自分に花を添えながら。


6/12追記:満面の笑みのようなお花を咲かせてくれました🌹頭の中では、マイク眞木さんの「バラが咲いた」がエンドレスで流れています。花数増えるようお手入れしたいと思います。(沼化決定)

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