見出し画像

文ストアニメ5期11話(61話) 感想

1.振り返り

改めて5期を振り返ってみると、とにかく話が深く深く込み入っていったように思います。
一見すると非常に難しい展開で理解が追い付かず大変なのですが、ひとつひとつを丁寧に紐解いてみれば、自分と世界の在り方についての大切な問いやひっそりと胸を打つような感動がいたるところに散りばめられていて、小さな星座たちが複雑に絡み合いながらもひとつの壮大な天空を作り上げているようだったなと感じました。

複雑であるがゆえに考えることを諦めて星空のもつそのままの美しさに身を委ねてみるもよし、意味を手にするために星座を見い出してそこから空想を広げるもよし。そして「意味」を追い求めようとする人たちのことを決して裏切ることのない作品、それが文豪ストレイドッグスだなあと感じさせられた5期でした。
あらゆる大切なものが詰まった素晴らしいエンターテインメントを、ずっとずっとファンのために制作し提供し続けてくれている制作陣の皆様には心から感謝です。

最終話は戦闘シーンのスピード感の緩急やBGMの緊迫感、回想シーンの移ろいゆく四季の儚き美しさなど、細部までこだわり抜かれている上に臨場感がすさまじく、ものすごく惹きこまれました。日本の伝統的な和の要素や近代化を推し進めた双福ならではの会話など、史実と照らし合わせて印象に残るシーンも多くあり、素晴らしい体験をさせてもらったなあと感じます。

さて、総括的な話はこれくらいにして、中身にいきまーす。いつものアニメの書き方じゃなくて、本誌の書き方にして項目分けしちゃいますよー。ブラちゃんかっこよすぎて死ぬ―!とかそういう叫びは封印封印…。

2.ドスくん死んじゃった

地下の監獄から出て星空の美しさを称えるドスくん、やけにわざとらしいと思いません?この人もしかしてダンテの真似してるのかな?神曲でルシファーの脇腹を通って地獄から出た後のダンテを気取っているような。見ようによっては星空に南十字星も見えてくるし…。ここが地獄のおわり?

あの男以来の敵ってどの男ですかい。ダンテとかゲーテとか?55minによればゲーテは過去の大戦で活躍しているらしい。ジョンミルトンだったら笑っちゃおう。普通に考えたら夏目さんかな?

右脇腹を槍のようなもので刺して聖痕ゲットだぜ!
敦くんは左胸下に聖痕あるんですよね。敦くんのが本物でこっちは偽物なんでしょう?聖痕がある人は「君では私を殺せない」と太宰さんに言われる習わしがあるらしい。

ドスくんの最期がこんなにも優雅な感じで来るとは思ってなかったのでちょっとうさん臭くてどうしようもなくて笑っちゃうね。ヘリぶつけて炎上させるとかハリウッド映画によくあるやつではないかー!

エリエリレマサバクタニってもう100万回くらいXで考察されてて、みんなドスくんの復活信じてて健気。
ドスくんはさ、いつもキリストのふりをしたがるよね。葡萄酒を頭から被ったりして虐げられてる人感を演出するの。キリストのふりをした偽キリスト。
神とルシファーをプレイした次は、キリストをプレイしたわけだけど、あとほかになにがプレイできるのですか?ドスくんなら死んだあと10秒くらいですぐ復活できそうだけど、みっちりプレイしたいからって律儀に3日待ってから復活するんだよこの人は。
洪水の試練以降、ドスくんのギャグセンスの成長が著しい気がします。回を追うごとに好きにさせてくる…。
ってこれでほんとに死んでたらどうしよー!一応、シグマに情報は全部渡されてるからここで死ぬのも全然あり得るのよね。
先程のダンテのくだりで「地獄の終焉」の意味を持たせてきてるから、もしかしたらほんとに死んでるかもしれない。ルシファーにはもうお目にかかれないという意味の予言だったのかも。そして世界は煉獄を通って天国へと向かおうとしてたりして。

それで思うんだけど、3日後にシグマが昏倒から目覚めたら、復活するのはドスくんじゃなくてシグマだという可能性もあるんですよね…もともとシグマは復活のキリストっぽいし。個人的には復活してくれるのがドスくんでもシグマでもどっちでも嬉しい。
ダンテの真似事したり、シグマに情報を流したことを考えるとここでの死もドスくんにとっては既定路線だったのかもしれない。共喰いのときには、政府に逮捕されたことで一件落着と見せかけて実は策略の一部だったので、今回も死んで一件落着と見せかけて実は策略の一部なんではないでしょうか。そういう意味ではとてもドスくんらしい最期ですよね。

これが策略なのだとすれば、ドスくんの目的はシグマにこのあと何かを達成してもらうことにある、とも考えられる。太宰さんが「あとは頼んだよ」と言って信頼を託してたけど、ドスくんはドスくんで自分の企みを全てシグマに託してしまってたりして。

ドスくんがシグマに触れたときにシグマの脳内の何かを削除するチャンスがあったのなら、シグマの異能を削除しててもおかしくないかな?そして異能を持たぬ者になったシグマが、アイデンティティとしてはドスくんに近くなってしまったことで、分離したドスくんの異能に新たに憑依されちゃうというのもあり得るかもしれないなあと。
シグマが情報を交換するときって、交換されるのは情報だけじゃないっぽいですよね?敦くんは猟犬の刀の「殺気」を感じとっていたので、そういう感覚的なものまで交換されちゃうのかも。
ということでドスくんの死は思わぬ展開だったけど、でもだんだんおもしろくなってきた感もあって、みんなで考察もできて超たのしいですね。文スト最高すぎてたまらない。おかげでずっとハイテンションです。

ドスくんの死後、ゴーゴリの素顔が現れました。自分の理解者たる親友とただゲームをしたかっただけなのかもね。
ひとりで感情や道徳に抗うゲームをやってもどこか虚しさがあったけれど、意味を理解した上でそれに巻き込まれてくれる親友がいて一緒にゲームを楽しんでくれるというだけでとても充実した時間が過ごせたのかもしれない。次なるゲームを嬉しそうに期待したゴーゴリがここにきてとても切ない。
親友を喪失した悲しみまでも、ゴーゴリは克服したいと思うのでしょうかね。それだけには抗えなくて、忘れたくなくて、ひっそりと感情を抱えたまま生きることを選択するでしょうか。

3.福地の呪い

福地の目的が「世界平和」であることが明かされましたが、藩(=国家)をなくすという目的は、福地桜痴が生きた明治維新の時代の出来事と重ね合わせられているようにも見えますね。
明治維新は、それまで各藩が持っていた権力をすべて廃止して、中央政権による統一国家を樹立した改革運動であり、それを現代に当てはめてみれば権力の単位である国家を廃止して、全国家を統一する超国家人類連邦の樹立を目指すことと意味合い的には同じなのでしょう。
しかし明治維新の目的は外国勢力による支配に対抗するというところにあって、国内の平和を願って起こった運動ではない。その点、戦乱の終焉を目的に同じような改革を推し進めた国がお隣にある。

キングダムを観たことがある方ならなんとなくわかって頂けると思いますが、福地さんがやってることは秦の始皇帝がやったことと実は同じなんじゃないかなあと。争いをなくすために中華統一を始皇帝(嬴政)は目指すのだけど、その道のりは血みどろでとてもじゃないが平和に向かっているとは思えない。それでも始皇帝は未来の光を信じて痛ましい犠牲を受け入れていく。その結果、紆余曲折ありながらも試みは成功し、後に争いは途絶えた。これを地球規模でやろうとしたのが、福地さんなのだろうね。

この話はドストエフスキーが『罪と罰』の中で描いた「非凡人にはより良き世界のために血を踏み越える権利がある」という思想にも通ずるものなので、それはまた別途記事を書こうと思っています。

そして福地は36年後に2億1千万人が命を落とすことになるという世界大戦の予言を時空剣から受け取った。しかし人類軍の総帥となった者には独裁の危険がつきまとう故に、独裁を警戒する福沢にこそ、その総帥となる権利があるとして、福地は権利を福沢に突きつけたように見えます。

この時点で福沢の手には未来の2億1千万の人命が乗せられている。
それをすりつぶすのも、あるいは救うのも、福沢次第だと。
未来で人命が死ぬことを知りながらも見殺しにしたら…福沢は2億人分もの命の重さから来る良心の呵責に耐えられるのだろうか?
「黙過」という言葉があります。
黙過は神の領分であり、同時に悪魔の誘惑でもある。
父親が殺されるかもしれないことを知りながらも、手を打たずに見殺しにした結果にカラマーゾフの兄弟のイワンが見たのは、自分の中に潜む悪魔であった。その悪魔により精神錯乱し、幻覚から逃れられずに精神病棟へと入った。人の精神は、それだけ「人殺し」という行為によって蝕まれていく。たとえ直接殺していなかったとしても。

福沢が総帥の権利を受諾しなかったことで、二人の道は再び分かたれたように見えたが、今回は意地でも引きずり込んでやる、という福地の最期の我儘により総帥の権利が押し付けられる。
幼い頃から頂点を目指し、世界の英雄として「強み」だけを演出してきた福地が、信頼できる福沢と燁子というたった二人の人間にだけ見せた弱みとしての我儘。
自分の命を差し出してでも得たいと思った対価が「福沢と自分の道を重ね合わせること」だったと思うと、福地さんの胸の中に36年ものあいだ降り積もってきた感情の重みが、仮面の裏から少しだけあふれ出てくるように思います。

其方自身が呪いなのだ、というブラムの言葉を思い出せば、福地は「支配」を通じて呪いをかけ続けていたようにも感じる。
頂点を目指そうとする意志が結果的にもたらす他者の支配。しかし英雄としての傲慢さを裏側で支えていたのは純粋に人命を想う気持ちであり、福地は福地で時空剣という呪いに囚われ、自らの運命をも弄ばれていた。
そしてその呪いが、燁子の手によってはっきりと福沢に手渡される。

猟犬の軍刀を「貴様はこっちだ」と掴まされた福沢は、日陰で犯罪者として生きてきた自分との決別を余儀なくされる。探偵社という宵から、猟犬という昼の世界へ、似つかわしくない人類軍の総帥として英雄になる呪いをかけられる。

自分が持つ本来の性質と正反対の人間へと変われ、という呪い。
太宰は織田作に同じような呪いをかけられた。闇に限りなく近い人間から「善い人間になれ」という呪い。太宰は超人的な頭脳と超人的な精神力があったおかげで、まるでなんの困難もなくそれを成し遂げているかのように見えるが、福沢はここまで器用に変われるだろうか。

岩で塞がれた自分自身を解き放つ行為は、とてつもない恐怖感を伴う。
目を背けてきたものと向き合うのは耐えがたい痛みを伴う。
人はそう簡単には変わらない。カフカ先生が文スト博のキャラ解説の中で書いた言葉である。
福地に託された道を福沢が歩むことがどれほど困難かは想像に難くないが、乱歩さんはそのすべてを見抜いた上で「どうするかは社長が決めるべきだ」と冷静な眼差しで選択を促す。
友人の想いに応えることは己の傷と向き合うこと。
英雄へと変化することは己の過去と向き合うこと。
2億の人命をどう扱うかを決めることは己の正義を見極めること。
61話は、福沢にとって容赦なき選択と克服に向かう物語の序章となったように感じます。
大きく感動させられながらも、どこか心にしこりが残るような強いインパクトのある二人の物語でした。ほんとに素晴らしかった。

さて、ここまでしんみりと来てしまったのだけど…この後!あの驚愕の事態が!!

4.誰やねん

空に浮かんでるやつ明らかに福地さんなんだけど、何をどうやって改造したらあの福地さんがこの福地さんになるのか、訳がわからない!
ご神体?天人?なに?月から降りてきたの?
足ないけど大丈夫?全体的にめちゃくちゃファンキーでドタイプの見た目でした。これは楽しくなりそうですね。剣先を向けただけで特大威力の斬撃を喰らわせることができるとか激強じゃん。

やつがれも新衣装に仮面っぽいもの被っているから、何か世界線が違うとかそういうことなのかな?時空剣がなにかを呼び寄せてしまった?
ほんと今後の展開が楽しみすぎます。

最後を未了で締めくくってくるの、まじで神すぎる…。

おっしまーい!
まだ回収されてない伏線とか謎とかいっぱいあるよねー。
仇敵って誰だったの?とか。
V=五衰ってなんだったの?とか。
手紙は誰が落としたの?とか。
森さんどこでなにしてるの?とか
種田さん元気?とか

どこで読んだか忘れたけどカフカ先生は、物語の中に1割程度わからないままのものを残すようにしていると前読んだことあるので、回収されないまま残される伏線もきっと多いのでしょうね。あとは読者の想像でご自由にどうぞみたいな。
今後の本誌、しばらくはまったりいきたいと思います。展開が同じならば、ですがね。

5期本当に満喫させて頂きました。
感想読んで一緒に楽しんでくれた皆さまも、本当にありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?