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『まとめ』歴史を変えた6つの飲み物〜蒸留酒編①〜

~ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラから見る世界史~

「ワインは湯煎で蒸留できる。
蒸留すると、ワインはバラ香水の様な色になる。」
サバー・アル=キンディ(アラビアの科学者・哲学者)

蒸留酒と言われてもイメージし辛いかもしれません。
ですがすごく身近なお酒なんです!
ウィスキー、焼酎、ジン、ウォッカ、ラム、テキーラ、ブランデー、、、これらは全て蒸留酒、スピリッツと呼ばれるお酒です。

お酒を熱していくと、アルコールは沸点が低いのでドンドン蒸気となり分かれていきます。その蒸気を集めて冷やすと液体に戻る。

これが蒸留。こうするとアルコール分が高い液体になります。これを色んな材料や作り方、熟成方法の違いで、たくさんの種類に分かれていきます。
ざっと紹介したところで本題に入っていきます。

❶叡智の結集、錬金術師の実験室

10世紀末の西ヨーロッパで最も偉大かつ文化的だった都市はご存じですか?
ローマ?パリ?ロンドン?ミュンヘン?

違うんです!
現在のスペイン南部「アラブ・アンダルシアの首都コルドバ」でした。

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今思うと意外かも知れませんが、
当時最も文明が進んでいたのはアラビア世界でした。

ローマ帝国が崩壊するとアラブ勢力が領土を拡大し、当時はスペインのほぼ全土がアラブの支配下でした。
西ヨーロッパはゲルマン民族の入植により、古代ギリシャ、ローマの叡智は失われていました。
逆に東ローマ側はギリシャやローマの叡智が残り洗練されていました。アラビア人学者は天文学、数学、医学、哲学といった分野で発展を遂げるために、ギリシャ、インド、ペルシアの知識をもとに前進を続けていました。

彼らはアストロラーべと呼ばれる天文観測儀、代数学、近代的な記数法を開発し、香草を麻酔剤として初めて使い、さらに羅針盤(中国から入ってきたもの)、三角法海図を利用した航海術を編み出しました。
西はギリシャ、東は中国に至るまであらゆる情報が交易と共に入ってきていたのでした。

新しい種類の飲み物を作る技術を洗練および一般化したのも、そうした数多くの功績の一つとして蒸留法があったのです。

❷香水からブランデーへ、蒸留の歴史

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蒸留法の誕生は古代まで遡ります。
紀元前4000〜3000年代のものと思われる簡単な作りの蒸留装置がメソポタミア北部で見つかっており、香水を作るのに使われたそうです。
ギリシャ人とローマ人もこの技術に精通しており、例えばアリストテレスは沸騰した塩水の蒸気がしょっぱくない事に気付いてます。

ただしワインを蒸留する習慣を取り入れたのはアラブ世界が初めてだったのです。

これに関して有名な人物は、化学の父の一人として知られる8世紀の「アラビア人学者ジャビール・イブン・ハイヤーン」
彼は洗練された蒸留用の装置、蒸留機を考案し、ワインを始め様々な物質を蒸留しました。

蒸留の知識はアラビア人学者が守り、発展させた数ある古代叡智の一つでした。こうした叡智がアラビア語からラテン語に翻訳され、西ヨーロッパの人々の学問の精神に再び火をつける役割を果たしたのでした。

閑話休題:語源の話

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蒸留器の中に「アレンビック"alembic"」という物があります。
これはアラビア語の"al-ambiq"アル=アンビクから来ています。
語源は「蒸留用の特殊な形の壺」を指すギリシャ語の"ambix"から。

同様にアルコール"alcohol"の語源は、アラビアの錬金術師の実験室に由来している。精製した「アンチモン」の黒い粉末(まぶたに塗る化粧品として使われていた)が"al-koh'l"と呼ばれた事から。次第に錬金術師がこの言葉を液体を始め高度に精製された他の物質を指す一般名詞として使う様になったのです。
そのため蒸留したワインはのちに、英語で「アルコール・オブ・ワイン(ワインの精製物)」と呼ばれました。

❸大航海時代のお酒へ

この様に錬金術師の実験室という人目のつかない場所でひっそりと生まれた蒸留酒は、ヨーロッパの探検家たちが世界中に植民地を、そして帝国を築く大航海時代を特徴づける飲み物となっていきます。
蒸留酒は運ぶ量に限りがある船において、コンパクトで日持ちのするお酒であるばかりか、財源にもなっていくのは少し後の話。

❹燃える水の奇跡・命の水

話は戻って12世紀
イタリア人錬金術師ミカエル・サレルヌス
彼はアラビアの文献から学び、「純粋で非常に強いワインに少量の塩を加えたものを普通の器で蒸留すれば、火をつけると燃え上がる液体ができる」と書き残している。

蒸留したワインは火がつくため「燃える水」を意味する「アックア・アールデーンス(aqua ardens)」という名で呼ばれました。

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「燃える」とは飲んだ後の喉の熱さでしたが、飲んだ後の高揚感と幸福感に比べれば気にもなりません。
ワイン自体が薬とされていた時代に、そのワインをさらに凝縮、精製したワインであれば、当然、さらに強力な治癒効果が期待できると考えられたのです。

13世紀後半、大学と医学校がヨーロッパ中に設立され、ラテン語の医学専門書についにこの言葉が出てきます。

ー命の水ー「アックア・ヴィータ(aqua vitae)」

しばらく放置しても決して腐る事のないこの水は、実際に生きていると考えられたのです。本来、水は川の流れの様に動きがないと淀んで腐っていくので、当時の人は大変驚いたそうです。

この命の水があれば若さを保ち、記憶力を高め、脳、神経、関節の病を癒し、心臓の元気を取り戻り、歯痛を鎮め、失明、言語障害、麻痺を治し、さらに疫病も予防出来る、と信じられました。
そう、錬金術師はまさに万能薬、不死の薬を作り出したのです!

❺万能薬からお酒へ

15世紀に入り、蒸留の知識が普及するにつれて、薬から飲み物として楽しまれる様になっていきました。

この変化を後押ししたのが「印刷技術」
1430年代にヨハネス・グーテンベルクが発明したこの印刷技術。そして蒸留に関する初の印刷本を執筆したのはミハエル・パフ・フォン・シュリックというオーストリアの医師でした。
この本で蒸留酒を飲めば体調が良くなると宣伝したのです。
1478年にアウクスブルクで出版されたこの本は大変な人気を博し、1500年までの22年間で14版を重ねました。

ですが多くの人は医学的な効果に目もくれず、手早く、かつ簡単に酔っ払える、これが重要で魅力的でした!今も昔も考える事は一緒です、、、笑

また蒸留酒は北ヨーロッパの寒冷地で人気が高かったのです。
理由はワインが育たなく、ワイン自体が高値で売買されていたためです。
当時、主に飲まれていたのはビールでした。

ベルギーはビールが有名ですが、キリスト教の聖餐でワインの代わりにビールを用いた事も一因なんです。寒くてブドウが育たないから代わりに修道院でもビールを作っています。シメイが有名なトラピストというタイプは今でも修道院で作っているビールです。さらにバーレイワインと呼ばれるタイプのビールはワインの様に14%くらいある、ワインに似せたビールなんです。

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ビールは8%前後、ワインは13%前後くらいなので、ついに彼らにも自分達の土地で作れる材料=ビールで強いアルコールを作れる様になったのでした。

アックア・ヴィータを意味するゲール語「ウシュク・ベーハー」が「ウィスキー」の語源です。

因みにロシアがウォッカというイメージがあるでしょうが、まだこの時代にはありません。ウォッカの主原料はジャガイモですが、ジャガイモはスペインがポトシ銀山を1545年に発見して銀と一緒に新世界から持ち込んだ植物だからです。

寒冷地では穀物が育ち辛いので麦はパンなど食用に優先的に回されていました。

ブランデーの語源も似たようなものです。アクア・ヴィータは「燃やしたワイン」と呼ばれ、ドイツ語で「ブラントヴァイン(branntwein)」、英語で「ブランデーワイン(brandywine)」となっていきました。

❻今回のまとめ

ウィスキー・ハイボールやレモンサワーの材料、焼酎やウォッカ、ジンと様々な蒸留酒がブームですが、こんな成り立ちがあったってご存知でしたか?

昔は人が造れたお酒は高くても15%くらい
それが40%ほどの強い蒸留酒を人は、超自然的と捉えて、神秘的、かつ長寿の薬と信じられました。

アイデアが浮かぶのを「インスピレーション」と言いますが、この言葉も蒸留酒=スピリッツに関係してます。
「スピリッツがインする(入ってくる)ことによって天からアイデアが降ってくる」みたいに考えられていました。

さてさて蒸留酒に関しての良い部分、神秘的な部分を書いてきましたが、次回は闇の部分にも目を移していきましょう。
物事には良い部分だけがあるわけでもないので。

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ではまた次回!!


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