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最近読んだアレやコレ(2022.04.10)

 1月、2月と小説を全く読めておらず、アウトプットばっかりしてしまっていたので、栄養バランスを整えるために3月は読書の月と決めていました。まあ、10冊は読みたいなと思ってたんで、10冊読んだんですが、不思議とあまりたくさん読んだという気がしないです。労働も忙しかったので、平日の暇な時間がほぼ読書してる感じになってたのに、文字が腹に詰まった感じがしない。月に1冊しか読まなかった時と肌感覚がおなじ。読み終わった本は本棚を圧迫しますが、そういう風に物理的な体積をとる代わりに、脳みその中の圧迫することはないのかもしれません。あるいは既にもう圧迫し切っていて、気づかず入れ替わっているのかもしれません。スポンジを浸す液を、ちゃぽちゃぽ取り替えてゆくだけで、スポンジにしゅんでいる液量は常に変わらない。4月はバランスよくやってゆきたい。

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これは学園ラブコメです。/草野原々

 虚構を司る力に導かれ、学園ラブコメの主人公は学園ラブコメを守るべく文字を綴り出す。学園ラブコメの「学園ラブコメ」性を揺らがせるものが、「SF」「ファンタジー」などの別ジャンルへの変異……言い換えれば、ジャンル同士の明確な線引きを前提として設定されているところに、ある種の軽薄なわかりやすさ、あるいは豪胆な妥協が感じられ、そのメタフィクションとしての「短所」が虚構を司る力の擬人化=言及塔まどかの個性そのものになっているのがおもしろい。作中でも言及されている通り、なんでもありはやはり難しいものなのか。血肉の通った人間と文字の塊との間でキャラクターたちが揺らいでゆく様は『大絶滅恐竜タイムウォーズ』(感想)を思わせますが、本作はより簡単でわかりやすく草野宇宙の体験版として機能するかもしれません。原典の輪郭をなぞる衛星の軌道だけにカメラを向ける空虚、物語を創るための構造ではなく、構造を語るための構造として作られた物語の模型が放つ脱力感は、「ああ、私は今、草野小説を読んでいる」という愉快さに満ちています。ただ、そろそろ、物語のパントマイムではなく、物語そのものを見せて欲しいなあという気持ちもちょっとあるかもしれません。


北乃杜高校探偵部/乾くるみ

 青春ミステリ。高校生主役の日常青春ミステリとしてとことんオーソドックスな作品であり、あまりにの平穏さに読んでいる途中で何度か作者名を見直しました。乾くるみなのに、異常小説じゃない……? 途中で文字が全部なくなったり白紙になったり、最後のページに全部嘘だよ!バーカ!と書かれていたりしないかと、ハラハラしながら読んだのですが、最後までイニシエーションもラブしなかった。狡猾な毒蛇が牙を抜かれた上に座禅を組んで修行をし、悟りを開いたみたいな違和感がある。そもそも講談社ノベルスの乾作品って『Jの神話』『匣の中』『塔の断章』『北乃杜高校探偵部』という並びの時点でもうおもしろすぎるんですよね。急に正気に返るな。極めて真っ当な青春ミステリであり、本作自体の感想を語るのは難しいのですが、単独作品でありながら、〈北乃杜高校探偵部〉シリーズの完結編だけ切り取って出したような作りは独特で印象的でした。自分たちの読んでいないところで、明らかにキャラクターたちがストーリーを終えて、関係性を構築し、事件を解決している。なので、最後の短編「贈る言葉」がいちばん好きですね。デザートだけをつまみ食いしたような、いい気分。


さよなら純菜 そして、不死の怪物/浦賀和宏

 〈松浦純菜・八木剛士〉シリーズ、その5。シリーズも折り返しを迎え、ためにためた爆弾がついに炸裂する。復讐。暴力。『この恨みはらさでおくべきかリスト』の成就。ウオオオオ!同級生皆殺しだぜ!!!  ……異形を極めた本シリーズですが、俯瞰した時見える筋立てはとても原始的なものであり、つまりは「いじめられっこがスーパーパワーを突然手に入れて、いじめっこをボコボコにする話」。しかし、その前ふりとなるいじめられ描写、そして、そのことに対する主人公の呪詛の過剰な分量こそが、本作を異形たらしめているのだと思います。何しろ、ここまで4冊ですからね。2,000ページ近くも延々いじめ描写を見せられ、恨み節を聞かされた上で描かれるリベンジは、「量」という圧倒的暴力によって陳腐な筋立てを見たこともない怪物に変貌させている。そして転換を迎えた本作に当たっても、リベンジシーンよりも呪詛の方が圧倒的に長いこと……復讐は20ページという物足りなさすら感じる短尺であったことが、このシリーズの核が何なのかをよく表していると私は思います。


世界でいちばん醜い子供/浦賀和宏

 〈松浦純菜・八木剛士〉シリーズ、その6。語り部は、八木くんから松浦さんにバトンタッチ。無限に恨み節を聞かされる地獄みてーな読書体験からようやく解放される、と安心して読み始めたところ、松浦さんの自意識の煮凝りみたいな語りも非常に厳しいものがあり、交通事故のようにお似合いカップルが成立していることがわかって爆笑してしまった回。鍋は割れ過ぎてただの錆びた金属片だし、蓋も綴じるどころではなく腐って粉々になっている。真面目な話をするならが、八木くん視点で聖母のように描かれてきた松浦純菜を、等身大のしょうもなくてつまらない、傲慢で自分勝手で最低で、それでも苛烈なまでに強く善良なひとりの少女に引きずり下ろす回であり、「怪物」となってしまった八木の鏡映しでもあるのでしょう。偏見と思い込みをガイドにどこまでも突き進む、この異形の主観青春小説は、青春小説という範疇に収まったまま完結することができるのか。世界でいちばん醜い子供たちに話し合いはできるのか。本格的に浮世離れしてくるっぽいの残り3冊、とても楽しみです。


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