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2023年に読んだ小説ベスト5

 2023年はテキスト主体の本を57冊読み、内55冊が小説でした。55冊中、10冊が再読でありそのほぼ全ては綾辻行人の館シリーズが占めています。再読した小説から1冊選ぶのならば、以前読んだ時から最も振れ幅が大きかった『人形館の殺人』になるでしょう。本記事は残る45冊から選定した小説の感想と紹介になります。ベスト5と題していますが、1年間の私的な体験を総括するにあたり最も適切な5冊という意味であり、読んだ小説に対して採点を行い、高得点順に上から5つ並べたというものではありません。55冊個々の感想については(一部、抜けもありますが)以下の記事を参照願います。

 また、45冊中2冊+漫画1冊については、別途単独感想記事をリアルタイムで書いています。それらの読書体験はいずれも自分にとって特異なものであり、1年という枠組みから逸脱するものでした。よって、5冊には含めず、記事末尾に該当記事へのリンクを掲載しました。





エレファントヘッド/白井智之

 幸福は容易く崩れ去る。美しい妻と優れた娘たち……理想の家族を手にし、安定した立場を築いてなお、精神科医・象山はリスクを常に考えていた。幸福を維持するためのあらゆる手口は、やがて彼にひとつの薬を手にさせる。象の如く肥大した脳を、異形の論理が張り巡る。長編推理小説。

 白井ミステリの非人間性を私は深く愛しており、その内訳はおおむね「痛快」と「感動」になるでしょう。死をパズルとして弄ぶ時、ヒトの視点を保ったまま行うと淫猥な稚気が生まれます。では、ヒトの視点から逸脱した何かが、一切の湿度と熱を除去して推理小説に殉じた時、解体された屍肉の内に何が生まれるのでしょうか。

 コンセプトとチャレンジのためならば、推理小説は物語に対するあらゆる非道を許される……『名探偵のいけにえ』『お前の彼女は二階で茹で死に』など、作者の手によりそれが実行された過去の傑作たちは、「物語に対するスプラッター」とでも呼ぶべきものでした。しかし、本作では作者と主人公が手を取り合ってその非道が犯されます。幸福な家庭を守るためなら、あらゆる手口が許される。自己と他者はその手口に活用するための肉と精神ピースの寄せ木に過ぎず、世界はただの規則ルールの複合に過ぎない。ピースとルール、すなわちパズルです。推理小説と家内安全……目的こそ違えども、作者と主人公の向かう先は同じ。読者である私もそれに共鳴し追従します。倫理や道徳といったしがらみを置き去りに、解体に没頭するその読書体験は、まさに「パズラー」と呼ぶほかない痛快さに溢れていました。

 しかし、最後にこのパズルが到達する真相において、私は彼らの歩みから取り残されることになります。それは飛躍でも奇想でもありません。物語の開始地点から、主人公と足並み揃え、筋道立て、着実に納得を積み重ねた果て、最後に残った謎をまたぐための、たったの1歩に過ぎません。しかし、それが踏み出せない。自分はパズルに没頭していたはずなのに、倫理も道徳も置き去りにしたはずなのに、どうしてもそれだけは跨げない。その1歩……たった1つのトリックが明かされた時、私が受けたのは「自分はどこまでもヒトに過ぎない」という絶望と、「こんなトリックを思いつくヒトでなしがこの世にはいる」という恐怖でした。多重解決ものとしての精度、パズルとしての強度、特殊設定ものとしての遊戯性。本作は推理小説の全ての評価軸において、飛びぬけた完成度を誇る傑作でしょう。しかし、私にとっての『エレファントヘッド』は、最後のトリックが全てです。私はそこに、ヒトである自分が到達しえない「彼岸」を確かに見たからです。それは甘い痺れが伴う絶望と恐怖であり、無上の感動と等しいものでした。


一線の湖/砥上裕將

 湖山賞から時が過ぎ、駆け出しの水墨画家・青山霜介は壁にぶつかっていた。皮切りは揮毫会での失敗。「描かない」ことを薦める師に逆らうも、線を描くことは次第に難しくなってゆく。そんな折、兄弟子の頼みから、小学校の美術を受け持つことになる。それは思わぬ転機の兆しだった。

 前作『線は、僕を描く』は、「水墨画を描く」ことを「線を描く」ことに解体し、それをアートに昇華する上で必要なものを、サイバーパンクめいた命題から導き出す小説でした。確かな重さを伴いつつも、ライトな擬似スポ根として手堅くまとまった内容はとても読みやすく、ゆえに、続編である本作を私は軽い気持ちで、ある夜、手にとりました。結果、私は徹夜で本作を読み通すこととなります。本作の放つ鬼気に、見事脳を焼かれたのです。

 何よりもまず、続編としての必然性があまりにも強固です。「線を描く」自分が自然の中に在ること識ったならば、次に識るべきなのは、自分もまた誰かを中に収める自然そのものであるという事実でしょう。「線を描く」行為が過去の蓄積の果ての「今」の発露であるならば、描く線のその先は当然未来に向かうと理解すべきでしょう。「水墨画を描く」ことを「線を描く」という行動に解体したならば、その解体の果てに立ち現れる虚無の暗黒に立ち向かうべきでしょう。与えられた課題のいずれもが、前作で描かれたことの「次」であり、それらは全て「小学生たちに水墨画を教える」という展開に美しく収斂されてゆきます。

 そして、「線を描く」物語の続きとして、本作は「線を描かない」物語となっています。剣を極めれば無刀に至るというクリシェ。この小説はその聞き飽きた到達点に、「線を描く」という行為、その全てを書き尽くさんとする鬼気の果てに至ります。人間が行う1つの行動を、限りなく微細に分解し、粒子1粒コンマ1秒に至るまで全てを文字に起こさんとする異様。強迫観念すら感じられる執拗な記述は、莫大な情報量となって溢れ、読むだけで溺れます。描き尽くすことで、「描かない」ことができる。作中で語られるその難題を、本作は小説という土俵の上で有限実行しているのです。語られる物語と記述されたテキストに、矛盾なく筋が通った小説ほど美しいものはありません。「心中に白紙を抱えた主人公は、ゆえにそこに線を描きえた。そして、描かない余白をも、自らのアートの内とした。」 それは要約に過ぎず、余白を持ちません。丁寧で真剣にやり遂げられたこの小説は、言葉が書かれる意味と、言葉を読むべき価値を、自らに付与せしめています。


ネジ式ザゼツキー/島田荘司

 童話作家エゴン・マーカットは、翼の付け根のような肩甲骨を持ち、記憶を定着させる能力を持たない。幾度かの初対面を繰り返した後、エゴンを面談したドクターは指摘した。彼の著した『タンジール蜜柑共和国への帰還』に、全てが書かれているのだと。空想と真実を迷い旅する探偵巨編。

 「終始この部屋にいたのに、まるで世界一周旅行でもしたみたいだ。」という作中の台詞は、自身に対する的を射た評になっています。それは最早、筆力という腕(かいな)の太さのスケールを遥かに超え、雄大に天を突く巨木の幹のようでした。文章も、主題も、仕掛も、物語も、小説を構成するあらゆる要素が見惚れるほどに分厚く、しかもその内にずっしりとした中身が詰まっている。読み手の体重を容易く受け止めるその大きさは、空想の世界に深く腰をあずけてもよいとする、信頼と安心を私に与えてくれました。

 混沌に秩序をもたらすことは、推理小説の重要な1側面です。しかし、「密室」「孤島」「殺人」「探偵」……ジャンルとして成熟するまで型式化された「問題編」は、果たして本当に混沌と言えるのでしょうか? その問題提起への回答はシンプルでした。「まず型式から外れた混沌を推理小説の「問題編」に組み直す長編をひとつ書き、その後から通常の長編推理小説を始めればよい」……その多段式ロケットに似た大規模な設計を、実作として著わしたことは驚きです。しかし、それ以上に圧巻なのは、実物が、思考実験に凝り固まる様子も、挑戦精神からきゅうきゅうと急く様子もなく、ゆったりとした余裕をもって完成している点にあります。頭でっかちな私は、こうしてコンセプトという小賢しい切り口から、感想を語ってしまうのですが、実物が「ただ、そう書かれている」雄大さの前では、それは矮小な動物が根の隅を小さく齧っているに過ぎません。

 混沌から「問題編」が作られ、満を持して始まる通常の推理小説。消化試合になってもおかしくない後半戦に入ってもなお、本作の威容はこゆるぎもしません。悪夢としか称しえないリドルは、未踏の迷宮に踏み入れたような奥行きを持ち、探偵が推理というたったひとつの手段だけで、それをゆるゆると紐解いてゆく様には呆然としてしまいます。舞台の変化はほとんどありません。文庫620頁にも渡る大ボリュームは、全てが小さな部屋の小さな椅子の上に収まるものであり、しかし物語は推理という翼によって、「まるで世界一周旅行でもしたみたい」な冒険を繰り広げるのです。巨大な物語の内に推理小説の要素が付属するのではなく、どこまでも遠くに羽ばたいてゆく「推理」の軌跡そのものが、巨大な物語を綴っているのです。推理小説というものは、こんなに凄いものを書きえる。本作を読み終えた瞬間の心地よい疲労と新鮮な震えを、私は未だに忘れることができません。


俺が公園でペリカンにした話/平山夢明

 町から町へ〈おれ〉はヒッチハイクで旅をする。しかし家も職もなく、不潔で臭い〈おれ〉を拾う人間なんてろくでなしに決まっていて、連れていかれる町もお里が知れている。案の条に最悪で下品で醜く生温かい20のヒッチ、20の町。10年を超える連載をまとめためたくそのぐちゃぐちゃ20編。

 平山夢明小説をハードカーバーで579頁も読む行為は、自分の頭蓋骨の蝶番をゆっくり外してゆくようなもので、意識がぼんやりと融けてゆくような度し難い快楽を伴います。「主人公がヒッチハイクをし、町を訪れる」。シンプルかつ強靭なフォーマットがなお悪い。20回もそれが繰り返されるため、読み進めるほどに酩酊はより深まり、読み終える頃には脳がぐずぐずに崩れたゲル状の塊になってしまいます。

 平山夢明短篇集の魅力とは、暴力表現の上に乗せた2種のカラーによって作られる、メリハリの効いたコントラストであると私は思っています。その片方は頬杖をついていちごのショートケーキを眺める幼子の無垢であり、もう片方はぺしゃりと踏み潰された幼子の頭蓋骨をじっと眺める空虚さでしょう。しかし、このアルバムにおいて両者の境界は緩く融けています。1つの話の中では勿論、全体でも無垢と空虚の攪拌は進み、いちごと臓物のセーキがゆっくりと出来上がってゆくのです。分離不可のどろどろの読感は、物語や文章によっても一層強まります。各話は起承転結すらゆるんで崩れ、書かれる文章も多くが意味のとれない方言と隠語を占め、果たして今、自分は何を読んでいるのか……。視界がぼやける中、柔く湿った手触りを通して、取返しのつかない生温かさだけが、確実に体内に伝わります。

 また、短編を重ねるごとに、全体が同じ方向にゆっくりと傾いてゆくのも印象的です。それは、12年という長い連載スパンが作った、おそらく意図しない傾向であり、際立ったエッジが滑らかに丸みを帯びるように、剥き身であった残酷は、奇妙でおどけた滑稽さへと姿を変えてゆきます。長い時間が作りあげた緩く生温かい流れに身をあずけるこの体験は、なんだかもうどうでもよくなってしまう気持ちよさがあり、気がつけば頭蓋骨を完全に開いて全部を受け入れてしまいます。19話目までが書かれた順で並ぶ中、20話目の収録作だけが最も古く書かれた「第1話」、流れに逆らうものとなっているのは、読者を現実に返すための編集の計らいかもしれません。急なガタつきに、ふっと目を覚まし、息を落としつつ本を閉じる。ずっとこのままでよかったのにという、破滅への誘惑もわずかに残しつつ……。


七人のおば/パット・マガー、大村美根子

 実家を離れたサリーの元に、おばが夫を毒殺したという凶報が届いた。しかし、サリーには7人のおばがおり、手紙には犯人の名前がない。その上、おば達は誰が人を殺してもおかしくない、筋金入りの曲者揃い。サリーは真相を推理すべく、夫に実家の事情を語り始める。

 エンターテイメントのおもしろさとは、脳で弾ける刺激である。そう仮定した時、時間当たりの刺激量が飛びぬけて多い作品が、今年3つありました。無意味な比較を避けるために題はあげませんが……ひとつは計算高い設計によるもの、ひとつは書き手の美学と熱量によるものです。そして最後のひとつ、この『七人のおば』は、炸裂する火花に毒を混ぜるという、性根のねじくれたクソ野郎っぷりによってそれを成し遂げるものでした。

 特筆すべきはそのリーダビリティにあるでしょう。軽やかな文章によって最悪の親戚模様が、ねちっこく書かれてゆく様の、なんと陰湿でろくでもなく、痛快無比なこと。ずらりと並ぶ7人のおばたち、それどころかそのパートナーのおじに至るまで、全員「ぼくの考えた最悪の親戚」がしっぽの先まっでたっぷりで、ひと口齧ればキャラを混同することは1度もありません。いずれの組み合わせにおいても、必ずもめごとが起きるように設計されたおばたちは、物語の開幕と共に一斉に走り出し、ものすごい勢いで互いにぶつかりあい、次から次に化学反応を起こしてゆきます。その結果、本作は、1頁めくる度に怒涛の如くろくでもない親戚トラブルが押し寄せる、最悪親戚オールスターによる最悪親戚フェスティバルの様相を呈しています。わんこそばの速度で繰り出される「最悪」の嵐は、常にバチバチの刺激と火花を散らし続け、おもしろさで脳を焼き焦がすほどです。

 紙面の隅から隅まで性格の悪さが染みこんだ小説であり、明らかな露悪と冷笑に満ちた作品でありながら、不思議なことに不快感はありません。それは、先にも述べた優れた筆さばきによるものでしょう。回想という形式は、1歩引いた冷淡さを読者に共有し、大騒動をおもしろおかしく、そしてほんの少し痛切に彩ります。カタログスペックだけならば、どう考えても好きになれないおばたちのことも、引き起こされるトラブルの嵐を見送るにつれ、彼女たちなりに必死であることが伝わって、なんだか愛おしく思えてくるから不思議です。本作は「おばの誰が殺人犯か」という推理小説としての建てつけも用意されているのですが、この本を読んだ多くの読者は「そんなことはどうでもいい」となるでしょう。親戚を憎み親戚を厭い親戚を愛する、全ての甥と姪に向けた親戚エンターテイメントの決定版。皆さま、帰省は終えたでしょうか。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。



【2023年の単独読書記事】


 ROCA 吉川ロカストーリーライブ/いしいひさいち

 キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘/西尾維新

 鵼の碑/京極夏彦


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