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空區地車の力学その76.神は細部に宿る

かって若中頭が祭り前の挨拶で何気なく発した
「今日は思い切り暴れましょう」と発した挨拶に
「アイツは何もわかってない」と
怒った大先輩の年寄り(若中の重鎮)がいました。
何故怒ったのでしょうか?

「神は細部に宿る」と言う言葉があります。
私がまだ駆け出しの頃、先輩に言われた言葉です。
「モノづくりにおいて細部まで気を配り、力を注いでこそ
モノは目指した形になる。一つひとつ丁寧に積み上げろ、
神は細部まで見ているぞ!」という私に対する戒めの一言だったのです。

空區の幕「忍熊皇子(おしくまのみこ)」

神が悪魔になった「悪魔は細部に宿る」という言葉もあります。
「細部の小さなことだからとサラリと流すと、
綻びは大きくなり破綻してしまう。
細部には悪魔が宿っている」という意味合いです。
つまり細部には、神も悪魔も宿っているのです。

年寄りが若中頭の「暴れましょう」に怒ったのは、
リーダである若中頭こそが細部まで気を配らねばならないからです。
細部を怠ると必ず事故につながります。
言葉は大きなチカラを持っています。
「暴れましょう」では
「道理を無視して荒々しく振る舞いましょう」と
リーダーが宣言したも同然。
そもそも、だんじり祭りは神事なのです。
神事で道理を無くしてはいかがなものか。
よって年寄りの怒りをかってしまったのでしょう。

空區の幕「武内宿禰 (たけしうちのすくね)」

私もそうですが、若中はほおっておいても
地車に触れると理性がなくなる傾向にあります。
酒が入ったり、観客が多い時などはなおさらです。
だからリーダーの挨拶は、
「神事であることを忘れるな」
「曳いている時は酒は飲むな」
「くわえたばこは禁止」
「安全には十分配慮しろ」
などと、戒めと安全について釘を指すぐらいで丁度よいのです。
せいぜい締めの言葉として「楽しみましょう」なら
怒られなかったかと思います(笑)

西區地車を迎える空區地車

地車は一人ではピクリとも動きません。
しかし百人揃ったら、まともに動くかといえばそうでもありません。
百人の気持ちがひとつになって初めて優雅に動きます。
地車の細部で曳く若中の気持ちの持ちよう次第で、
細部は神にもなり悪魔にもなるのです。
ご安全に。

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