研究者(卵)のみた漁村-牡鹿半島・雄勝半島-
こんにちは。
大阪大学の博士後期課程2年となりました,山本翔也です。
もう半年前となりますが,3/25-28の期間,宮城県牡鹿半島と雄勝半島の漁村の視察に行ってきました。
周知の通り,当該地域は2011年の東日本大震災において甚大な被害を被った地域です。震災から12年が経過した漁村の今をこの目で確認することが目的でした。ずっと”早く行かなければ…”と思っていたのですが,なかなか機会を掴めずにいました。
3泊4日の限られた時間でしたが,レンタカーでぐるぐる回って,41もの漁村を訪れることができました!
今回は視察を通してこの目で知った”今”を,写真中心にお話します。
(トップ写真は石巻市雄勝町分浜です。2023.3.27撮影)
1. 海からの隔離
最初に目にしたのは,メディア越しでしか見てこなかった巨大堤防でした。住民の住んでいた場所(旧居住域)から海を見ることはできませんでした。
海から隔離されたという現実は,これからの生活において,一体漁村に何をもたらすのでしょうか。しっかり追って見ていく必要があると思います。
2. 無居住化
2.1. 無居住化
被害の大きかった漁村では無居住化が進んでいました。
これは震災に伴って災害危険区域指定がなされたことに起因しています。
上2つの漁村をはじめとして,生活の痕跡と呼べるようなものが一切ない無居住化漁村も多かったです。外からふらっとやってきた僕でさえ,虚しさ?みたいな感情を抱きました。
2.2. 無居住化と信仰空間
一方無居住化はしたものの,信仰空間,例えば神社とその参道などは残っている漁村も確認することができました。
このような漁村では,住民が信仰空間の管理のため移転先から通っている状況が想定されるのですが,誰か調査されている方はいるのでしょうか…?
通いの”漁業”に関しては論文を読んだことがありますが,信仰空間の管理のための通いの論文は見たことがありません。
これからの集落再編のあり方を考える上で重要だと思うのです。
2.3. 無居住化とノラ空間
無居住化した領域が,漁業を行うための空間(ノラ空間)になっている漁村も確認することができました。
下の左の写真のように,海岸線傍に裸で漁具が置かれている漁村もあれば,右の写真のように,(おそらく)所有している土地に漁具倉庫を建てている漁村も見られました。
無居住化した領域を今後どのように利用していくか,このようにノラ空間として活用していくのか,はたまた積極的に利用しないのか,これに関しても考えていく必要があります。
一旦閑話|テンションの上がった漁村
訪れた漁村の大半は,「海からの隔離」×「無居住化」の漁村だったので,視察中精神的にしんどい時間は正直長かったです。
ですが,中にはテンションの上がった漁村もありました笑
①被災を免れた漁村
多くの漁村が甚大な震災被害を被った一方で,被災を免れたと見られる漁村も確認することができました。これらの漁村では,傾向として,居住域が一段高い場所に位置していました。
(このように被災を免れた漁村を訪れたことで,逆説的に,その他の漁村の被害の大きさを認識した側面もあります。)
雄勝町の大須は被害が比較的軽微だったそうで,路地や井戸など古くからの姿を残しているように見られました。名城大学の佐藤先生が伝統的建造物がどれほど残存しているか調査しています。
また,雄勝町の幾つかの漁村では,天然スレート葺きの民家を確認することができました。天然スレートは,東京駅をはじめとした国内各地の近代建築に用いられており,雄勝町は有名な産地(雄勝石)の1つだそうです!東北工業大学の大沼先生が調査を行っています。
たった1つですが,牡鹿半島の漁村では石蔵も発見することができました!これはテンション上がりますよね!笑
②わかめボイラースケープ
3泊した宿のオーナーがわかめの養殖業に携わる方で,獲ったわかめを加工する現場に案内してくださいました!
加工の最初にわかめをボイルするのですが,漁港の土地所有によって事業者ごとの利用区画が異なってくるそうです。漁協が所有しているのか事業者が所有しているのかみたいな…?(上の写真は漁協が土地を所有している?)
またしっかり調べてみたいです。
とりあえずわかめボイラーの並ぶ空間は壮観すぎました!!
3. 高台移転
今回の視察では,かつて漁村があった場所と高台移転先の新しい漁村,両方をセットで訪れました。セットで訪れることに意味があるのかなと思って。
3.1. 高台移転とその移転形態
「2.無居住化」で触れましたが,災害危険区域に指定された地域では,住宅建設が不可能となります。したがって,災害危険区域に指定された漁村では,被災住民の住宅建設の受け皿となる高台移転先が設けられました。
過疎化の進む漁村では,高台移転に伴い複数の漁村を1つの場所に集約する案なども考えられましたが,漁業権の問題などが発生し,結果的にそれぞれの漁村ごとに高台移転が行われました。(なんで高台移転の問題に漁業権が絡んでくるの?と思った方は,11月に世に出る僕の論文を読んでください!掲載され次第ここにリンクを張りますね笑)
新しい漁村はこれまで目にしたことがない漁村でした。郊外の新興住宅街のような印象でした。
3.2. 高台移転のHuman Scale
その一方で,あくまでも僕視点ではありますが,”ここ漁村ぽいな~”と思った空間もありました。
上の写真は漁網が干してある様子です。高台移転先に必ず1つ以上設けられていた公園に干していました。こんな公園見たことないですよね?笑。下の写真は地形の隙間のミニ畑です。こんなところも畑になるんだって感じです笑。
いずれも場所の使いこなし方が漁村ぽいな~と思いました!
4.おわりに
最後までお読みいただきありがとうございました。
思ったより長くなっちゃいましたね笑
視察を通して,これまで引用して話していた幾つかのコトバたちが,部分的ではありますが,僕のコトバで話すことができるようになりました。これが一番の成果かなと思っています。
次回は8月に訪れた愛媛県忽那諸島の漁村視察について書きたいと思います(いつになるのかな)。
ではまた。
追記(2023.11.3)
上記の漁業権と漁業集落の関係性に関する研究が公開されましたことを報告いたします!
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